世界の宝を守り抜け!

 ほうきにまたがり空をせる。

 それは、物語の中に登場する魔女のフェイバリットな姿だ。

 だが、シスター・アウラは修道女しゅうどうじょである。

 その矛盾むじゅんする姿を見られようとも、彼女は躊躇ためらわなかった。

 そして、忠実なるパートナーである杖魔じょうまのニコルは、魔法でそんな彼女をサポートする。高速で飛翔する時に魔法が色々作用することはツララも知っていたが、一般人の目に触れなくなるすべもあるのはありがたかった。


「ツララさんっ、あそこです! なんて禍々まがまがしい……目視で見える程に悪しき力が充満してます」

「あの黒いきりがそうなんだね。降りてみる?」

「ええ! ツララさんは着陸次第、距離を取って身の安全をはかってほしいですの」

「それはまあ、現場を見てからだね。俺になにもするななんて言われてもさ!」


 そう、足手まといは承知でここまで来たのだ。

 魔法少女が戦うことに、無関心ではいられない。ただ守られる側として、言葉や声で応援してるだけでは気がすまないのだ。

 言葉を魔法に変えて、残酷な数字を塗り替えてゆく乙女たち。

 その命を賭けた戦いを知ってしまったら、もう黙っていられない。

 もし背を向ければ、それは妻の愛に背くことだと感じてしまえるからだ。

 まるで暗雲垂れこめる闇にも等しい街へ、アウラの箒が降りてゆく。息苦しさに包まれる中、閑静かんせいな住宅街のド真ん中でツララは奈落の底を体験した。

 まさしく異界としかいえない空間がそこには広がっていた。


「凄い魔素まそですの……ニコル、お願いしますわ」

すでに結界を幾重にも広げておりますれば。マスター、守りは万全ですぞ」

「ありがとう。ツララさん、わたくしから離れないでくださいな。この空気、あまりにも濃密な絶望に満ちています。もう、多くの人が全てを諦めてる気配ですの」


 言われるまでもなく、異常な気配にツララも悪寒が止まらない。

 以前見た、デーモン・タイプのディバイジャーはこれほどまでではなかった。凶暴極まりない暴力の権化ごんげだったが、こうして広範囲を絶望に沈める程ではなかった。

 放置しておけばこうなっていた可能性もあるが、今回は段違いの強敵らしい。

 そして、薄闇の中でツララはこの場所がなにかを知って愕然がくぜんとする。

 日本では、ほぼ全ての子供たちが通う、まさに日常の忠臣となるべき公共施設だ。


「アウラちゃん、ここ……学校だ。中学校かな? まずいよ!」

「まあ、これが日本の。なんてことでしょう」

「俺が前に見た通りなら、ディバイジャーは」

「危険ですわ。子供たちに絶望の数字は残酷すぎますの!」


 アウラも14歳の子供だが、そこはとりあえずスルーした。

 ツララにも、ことの深刻さがゆっくりと浸透してくる。ともすれば侵食と言える不快さで、染み渡ってくるのだ。

 子供とは、ようするに発展途上な状態の人間を指す。

 子供でなかった人間も、子供をずに成長した人間もこの世には存在しない。

 そして、社会が一番に守らなければいけない命、それが子供たちである。


「とりあえず、校舎こうしゃへ入ろう。恐らく中は」

「待ってください、ツララさん。ここから先は」

「ん、俺も行く。君は変身して戦わないけど、仲間のために現状把握を試みようとしてるんだからさ。さっき、ニコルにも無茶しないって言った。それに」

「それに?」

「俺、このドギツいもやもやの中に残されたら、絶望しちゃいそうだしさ。ごめん、結構今は弱ってる」


 今のツララには実は、突然降って湧いた希望がある。

 思いがけず、上司のナギリに持ちかけられた話だ。

 それが絶望に塗り潰されたら、きっと辛いだろう。

 そして、アウラを危険な中で放り出すのは、もっと苦しいことだと思ったのだ。


「……と、とりあえず、ディバイジャーを探しますわ。では、ツララさん。わたくしから離れないでくださいまし」

「おっけ、助かるよ。アウラちゃんは日本の学校は初めてかな? 俺、ある程度ならわかりそう……どこの学校も、基本的に似たりよったりだしさ」

「助かりますわ。この気配、かなりの数の被害者が」

「だね。急ごう!」


 箒から降りると、すぐにニコルが鳥の姿に戻る。

 その羽撃はばたきが、不可視の壁を周囲に広げていた。先程言っていた結界だろうか、時々周囲の暗闇に対して緑色の光が波打ち輝く。

 確かに守られていると感じれば、ツララも不安が和らぐ。

 ただの一般人であるツララは今、死ぬほど怖い。

 魔法少女のおっとでしかない、無力な人間だからだ。

 でも、他の不特定多数とは違って、世界の秘密を知った責任もある。


「マスター、西側に強い害意を感じます。その先へ」

「だってさ、アウラちゃん。多分、中から回った方が早い。正面玄関は……なんとなく、こっちかな。行ってみよう!」


 少し懐かしい感じもして、その感傷が許されないほどに状況は逼迫ひっぱくしている。

 どうにか視界が暗くて狭い中で、ツララはアウラを学校の入口に案内することができた。多分、降り立った場所は校庭で、その端から回り込んだここが玄関だ。

 その予想は的中していたが、倒れて動かない子供たちの姿で知りたくはなかった。

 ぼんやりと見える玄関では、数人の生徒たちが倒れている。

 皆がジャージで、恐らく早朝の練習に登校してきた部活動の子たちだろう。


「酷い……皆が生気を奪われてますわ」

「やっぱり、額に数字が出るんだね。これは? あ、でも、うん、そうか」

「? ツララさん、わかりますの? この子たちは」


 子供たちは皆、見開いた目になにも映してはいなかった。ただ、硬直して人形のように冷たくなっている。そのひたいには、それぞれの気持ちをへし折り心をすり潰した数字が光っている。

 学校とは、子供たちが初めて接する最初の社会。

 極めて閉鎖的である分、大人になるための準備期間として配慮が行き届いている。

 そこでは、数字で証明された結果とは別に、そこまでの過程も評価される。学校でならまだ、努力や頑張りが価値を持つのだ。そして、その経験が大人になる時、結果が全ての世界で自信に変わる。

 だが、ディバイジャーは少年少女の未来から可能性を奪っていた。


「アウラちゃん、君ってその、ゲームみたいに回復魔法が使えるんだよね? 前もコトナさんを……だったら、この子たちを」

「……これだけの数となると、難しいですわ。癒やしている間に、治る数を上回る絶望が広がっていきますの。……悔しい、ですわね」


 くちびるを噛みつつ、アウラは前を向いた。

 その先、彼女の眼差まなざしを吸い込む廊下の向こうで、濃密な闇が渦巻きながら唸りをあげている。まるで、くぐもる獣の叫びのような、不気味な風が不協和音をかなでていた。

 迷わず進むアウラの先に立って、ツララは目を凝らす。

 早朝とは思えぬ暗闇の先に、確かに冷たい殺意がとがっていた。


「俺の経験からいうと、一階には職員室とかがあって……でも、もっと奥、端の方から強い敵意を感じるね。ただの人な俺でも、これだけピリピリしてればわかる」

「……行きましょう、ツララさん」

「多分もう、コトナさんたちも動いてると思うしね。まず、ディバイジャーを確認しよう」


 文字通り手探りの状態で、ツララはアウラを背にかばいつつ進む。

 場所は違えど、学び舎を歩けば懐かしい。そのノスタルジーすら、今はひたっている余裕がなかった。

 そして、教員たち大人も廊下のそこかしこで倒れている。

 早朝だったから犠牲者は少ないものの、真昼だったらと思うとぞっとする。

 でも、希望を拒絶された人たちは、数で数えてはいけない。

 一人でも百人でも、全員でも同じだ。

 数の大小は問題ではないのだ。


「こっちは体育館か? ……ごめん、なんかブルッてきた。いる、なんかいるよこの先に」

「ええ。ここまでですわね、ツララさん。できればディバイジャーの種類を確かめたかったのですが」

「なんか、色々なの? ディバイジャーって」

「弱い個体もいれば、大きく強い個体もいますわ。総じて、世界中の神話や伝承に語られてる怪物がそれですの。――ッ、あれは」


 アウラが息を飲む気配が伝わった。

 その時にはもう、彼女は修道服のスカートを両手でつまんで猛ダッシュ。あっという間に杖魔のニコルを置いてその背が走り去った。

 ツララは勿論もちろん、ニコルも流石さすがに慌てた様子を見せる。


「マスター! ああ、結界の外に自ら……なんてことでしょう」

「ニコル、俺たちも行こう! アウラちゃんになにか見えたんだ」

「この先、体育館と言いましたね。いますよ、確実に。羽毛にビリビリきますから」


 ツララも走って、開けた空間へと飛び出す。

 前後左右に高さがあって、その開放感が全て黒く塗り潰されていた。

 そして、かろうじて目の前にアウラの姿が見えた。

 しかし、その矮躯は今……身の毛もよだつ恐怖の権化ごんげ対峙たいじしているのだった。


「アウラちゃん!」

「なんてことでしょう……ドラゴン・タイプですの」

「ドラゴン? それって」

「過去に数えるほどしか顕現けんげんしていない、最強レベルのディバイジャーですわ!」


 目が闇に慣れてくると、体育館の広さが徐々にかき消されていった。

 そこには、身を屈めて翼を畳んだ巨大な怪物が鎮座ちんざしていた。

 屈強な両手両足には、鋭い鉤爪かぎづめが光っている。

 角が生えた頭部に、底なし沼を凝縮したような双眸そうぼうが妖しく輝いていた。

 龍、すなわちドラゴン。

 古今東西を問わぬ娯楽や創作物に登場する、これぞまさしくザ・ラスボスといった風格が空間を独占していた。

 ツララも思わず、冷たい汗をにじませる以外の行動を封じられてしまう。

 気持ちや意思と無関係に、肉体が硬直してしまった。


「ア、アウラちゃん……逃げよう。俺でもわかる、こいつは……超絶にやばい」

「ええ……ですが、手遅れみたいですの。だって、ほら」


 振り向くアウラが、髪を覆っていた頭巾をするりと脱ぐ。

 信仰心に従い短く切りそろえられたおかっぱ頭の、その額に数字が光っていた。

 彼女の表情はしかし、明滅めいめつする3という数字に照らされながらも覇気をみなぎらせていた。

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