聖なる乙女の揺るがぬ決意

 始発ではないが、かなり早い時間帯の電車に人影はまばらだ。

 それでも、ホームの向こうの上り線には、これから会社で働く通勤客がチラホラと見える。逆にツララの周囲は閑散かんさんとしていて、椅子いすの暖かさが眠気を誘った。

 最寄り駅で降りるまでに、二度三度と居眠りしてしまった。

 本日秋晴れ、快晴……徹夜明けのまぶたに朝日が痛い

 そして、別れ際のナギリの言葉が思い出された。


「ん、んーっ! ふぅ……正社員にならないか、かあ。願ったり叶ったりだけど、今は考える頭が働かないや」


 大きく伸びをして、雲ひとつない空をあおぐ。

 先程携帯電話を確認したが、コトナから何件かLINEラインが入っていた。

 返事できなくて申し訳ないし、昨夜はある時間帯から完全に仕事以外を忘れていた。極限状態と言ったら笑われるかもしれないが、修羅場とはそういうものである。

 もうすぐ忙しい空気が満ちる駅前を、ツララはトボトボと家路についた。

 だが、すぐに意外な人物に出会ってしまう。


「あれ? 確かあのは……アウラちゃん?」


 まだ朝の五時過ぎだというのに、往来に修道女シスターが立っている。

 それも、結構な数がぞろぞろと勢揃いだ。

 その中に、ほうきを手にしたシスター・アウラの姿があった。向こうもこちらに気付いたようで、おひさまのような笑顔を向けてくる。


「おはようございます、ツララさん」

「や、やあ。おはよう、アウラちゃん。えっと、なにしてんの?」

「教会の皆様と、奉仕活動です。こうして近所のあちこちを掃除して回ってるんですの」

「ああ、ボランティア。なるほど」


 周囲はなかなかにベテランシスターさんばかりで、一人だけ若いアウラが物凄く目立つ。皆が同じ修道服なのに、アウラだけなんだかゲームやアニメのヒロインみたいに見えた。

 そして、そんなアウラを見詰める先輩方の視線は優しく温かい。


「シスター・アウラ、お知り合いですか?」

「はい。友人の旦那様で、わたくしとももう友人同士ですわ」

「あらあら、いいわね。では、私たちは先に教会に戻っていますよ」

「わかりました。わたくしもすぐに」


 上品な挨拶を残して、シスターたちは行ってしまった。その手には、やはり掃除用具と膨らんだゴミ袋が握られている。

 なんだか頭が下がる思いで、ツララの軽い会釈えしゃくにも妙な熱が籠もった。

 だが、顔をあげれば隣ではにかむアウラがまぶしい。


「それにしても、ツララさんはこんな朝早くにどうなさったのですか?」

「ああ、仕事帰りなんだ。徹夜で会社に缶詰かんづめだったんだよ」

「まあ! こんな時間までですか」

「うん。アウラちゃんはこれから教会に戻って、学校?」

「いいえ? わたくし、国ですでに大学を出てますので」

「……14歳なんだよね?」

「ええ、花も恥じらう乙女ですわ」


 にっぽりと笑っているが、とんでもない高スペック女子だった。

 そんなアウラが、一度ゆっくりと周囲を見渡す。まだ早い時間で、人影もまばらだ。そして、二人に気を止めている人間はいない。

 そのことをのんびりと確認してから……アウラは箒を手放した。


御紹介ごしょうかいしますわ、ツララさん。わたくしのパートナー、ニコルですの」


 箒が自分で立っていた。

 そして、その輪郭がほどけて再構成される。

 あっという間に、箒は一羽の鳥になった。そのまま広げた羽根で浮かぶと、アウラの肩に留まる。フクロウのような、カラスのような、緑色の奇妙な鳥だった。

 そう、このニコルもまた杖魔じょうまなのだろう。

 彼は見た目を裏切るバリトンボイスで語り出した。


「はじめまして、ツララ殿。小生しょうせい、ニコルと申すしがない杖魔……どうかお見知りおきを」

「ど、ども。まあ、そうだよな。魔法少女と杖魔はセットなんだもんな」


 アウラはまだ、魔法少女に変身したことがない。

 彼女が行ってる活動は、魔法でディバイジャーと直接戦うことではないのだ。

 むしろ、魔法を使わない。

 その手で人としてできることこそが、彼女が向き合う戦いなのだった。

 そのことを改めて、ニコルが説明してくれる。


「マスターはこうして、多くの奉仕活動に日々汗を流しております。小生もまた、その一助になれればと」

「ああ、それで箒の姿に」

「魔法、言霊法ことだまほうを用いればより多くのことを為せるでしょうが……それがマスターの意思なのです」


 静かにアウラは頷いた。

 そして、意外なことを口にする。


「ツララさん。何故なぜ、ディバイジャーが出現するのか御存知ごぞんじですか?」

「えっ? それは……や、なんでだろう。そもそも、あいつらなんなの?」

「神話の時代には、悪魔とか蛇、龍などとうたわれていた存在です。ディバイジャーの前では、人はあまりにももろく弱いですわ。簡単に堕落し、諦め、活力を失ってしまいますの」

「それが、数字の力かあ。まあ、わからなくもないけど」

「ディバイジャーは、人の不安や疑念の集まる場所で発生しやすいですの」


 そう言われると、この大都市東京はホットスポットだろう。日本の人口の一割が集中し、誰も彼もが時間や損得に追われている。

 なによりツララ自身、忙しい毎日を送っていた。

 酷く実感で、明文化した数字の力はさんざん思い知っている。


「わたくしは、ディバイジャーの出現する環境そのものを減らしていきたいのですわ。そのためには、街の空気を少しでも明るくすこやかにと」

「そっか。いや、本当に凄いな。これは俺もお礼を言わなきゃ……ありがとう、アウラちゃん」

「本当は、魔法少女として戦う方が効率はいいのでしょうけど」

「でも、魔法少女はディバイジャー退治のスコアを競う訳じゃないし、対処療法と一緒に元凶も減らしていかないとね」


 気付けばツララは、眠さも疲れも忘れていた。

 なんだか、アウラから見えない力が溢れ出ていて、それが流れ込んでくるかのような錯覚さえ覚える。

 だから、コトナが言っていた言葉を思い出して、自分の言葉に織り込んだ。


「数字にすれば、戦うか戦わないか、0か1かだけどさ。戦わないことだってちゃんと、戦ってるって言える。そう言葉で表現できることだと俺は思うよ」

「そうだと、いいですわね。だからわたくしは今日も、この街のために祈り、願いを込めて奉仕させていただいてますの」

「それでいいのさ、多分ね。絶対に正解とは言わない、言えないけど……でも、自分がベストだと思うことを頑張るしかないしさ」


 酷く実感のある言葉だ。

 ツララ自身、そう思うことで何度もピンチを切り抜けてきた。

 大学時代に、あの時にこそそうするべきだったと今も思う。後悔するからこそ、今ははっきりと言えるのだった。

 人は皆、

 そして、確実に成果が出なければ挑戦できない、そんな人の弱さもまた否定はできないのだ。


「さて、じゃあ俺はそろそろ戻るよ。そうだ、今度アウラちゃんもうちに遊びにおいで。もっと聞きたいんだ、コトナさんのこと」

「まあ、よろしいんですの? ふふ、嬉しいですわ」

「コトナさん本人から聞くより、君やリンカちゃんの話の方が面白いからね」

「でしたらわたくし、ケーキを――」


 その時だった。

 不意に、アウラの胸から緑色の光が溢れ出す。

 それはまるで、萌える木々や草花が揺れるように風を巻く。

 どこか苦しげに手で抑えても、アウラはあっという間に光の柱そのものになってしまった。そして、魔法少女のあかしである紋様が放つ輝きは、敵の出現を意味している。

 すぐにニコルが飛び立ち、頭上を旋回し始める。


「これは……ディバイジャーの反応ですね。それも、近い」

「くっ、アウラちゃん! 君はとりあえず、教会に戻るんだ」

「マスターのことはおまかせを、ツララ殿。小生が責任持ってお守りしましょう」


 アウラは戦えない。

 いな、戦わない。

 魔法の力ではなく、人としての自分の力でちゃんとあらがっている。忍び寄る絶望に対して、果敢に抵抗しているのだ。

 そんな彼女のやりかたを、ツララだって応援したい。

 だが、魔法少女の力を宿したアウラの肉体は、宿敵ディバイジャーに勝手に反応してしまうのだった。


「……ッ、大丈夫です。ニコル、方角はわかりますか?」

「マスター、ここはコトナ殿やリンカ殿を待ちましょう。他の魔法少女たちもいますし」

「いえ、戦えないまでも援護くらいは。わたくしがまず、ディバイジャーを確認します」

「では、無理をしないと約束していただかねば」

「ええ、心得てますわ。……どのみち、わたくしでは戦闘の足を引っ張ってしまいますし」


 アウラは着衣をはためかせながら、その風の中で微笑ほほえむ。

 そこには、ただ優しいだけである以上の決意が見て取れた。

 覚悟という言葉がぴったりだ。

 そして、強い瞳の輝きがコトナやリンカと同じ熱を伝えてくる。


「俺もいくよ、アウラちゃん。なにができるってこともないけど、女の子一人くらいなら守れる。前にもそうやって、無茶してみて守れた命があるからね」


 ニコルが「フッ」と笑ったが、それはツララなりの意気込みを認めた証だった。その証拠に、彼は再び箒の姿になって横になる。


「では、マスターもツララ殿も……お乗りください。飛んだほうが早いでしょう」

「え、ちょっと待って。箒で飛ぶの?」

「マスターが変身しない以上、杖魔が最低限の魔力でサポートするのが上策かと」

「いやこれ、ビジュアル的にどうなの? まずいでしょ」


 シスターが箒にまたがって、まるでおとぎ話の魔女みたいに飛ぶ。それも、後ろに疲れたサラリーマンを乗せて。

 宗教的な意味でもまずい気がするし、いくら早朝でも目立つ。

 だが、アウラは躊躇ためらいを見せなかった。


「お願いしますわ、ニコル。では、ツララさん。わたくしにしっかり掴まってくださいな」

「いや、ちょっとアウラちゃん。少しは考えよう……って時でもないか」

しゅはきっと、見た目ややりかたよりもまず、心のありかたを見てくださいますわ」


 おずおずと、ツララは箒の上でアウラの腰に腕を回す。

 次の瞬間、あっという間に周囲の景色が空に染まったのだった。

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