魔法少女の戦い、ツララの戦い

 修羅場しゅらばは突然やってくる。

 いつだってそう、常にそうだ。

 ツララは今、脳のリソースを全て仕事に奪われていた。時刻はすでに午後の三時を過ぎているが、不具合の対応に追われている。

 納品されたシステムがトラブルを起こしたらしい。

 大手の商社に入れた、在庫管理のシステムである。

 定時退社は諦めたが、そもそも帰れるかも怪しい状況になっていた。


「もしもし、お電話変わりました。はい、ええ、ええ」


 電話の受話器を小首にはさめて、受け答えをしながらツララはキーボードを叩く。

 ぶっちゃけて言うと、別の部門の尻拭しりぬぐいだ。ツララたち契約社員だけで構成されたこのプロジェクトチームでは、主にデータの整理やマニュアル作成、そして別部門から仕事を引き継いでのシステムメンテナンスを任されている。

 ようするに、一番金にならない仕事をコストカットするべく働いているのだ。

 だが、利益率が低くても大事な仕事、大変な仕事というのは存在する。


「はい、では再起動を試されたのですね? ありがとうございます、お手数をおかけします。それでは……あ、今は端末の前に? はい、ええ、では……


 ツララは努めて冷静に対応していたが、物凄い剣幕けんまくで怒鳴られた。

 システムを運用しているパソコンのOSを一度、再起動する。これは基本中の基本だ。だが、相手からすると既に試した手段で、それをまた電話の向こうの若造に言われたのだ。

 自分の再起動を信用していないのかと、怒声が浴びせられる。

 だが、こちらも電話対応時のマニュアルがあるのでしかたがない。

 リモートで繋げて処理する方法もあるが、その前の手順も存在するのだ。


「いえ、そのようなことは。ええ、ええ、申し訳ありません。現在復旧のための作業をしておりまして。ええ、ですから再起動して頂いて、その次に――」


 隣では今、クロウが必死でシステムの仕様書を読み漁っている。大量のドキュメントが保存されているのに、肝心なことを見つけ出すことができないでいた。

 こうしている間も、徳田トクダさんが他の仲間とコードを見てくれてる。

 とにかく、作りっぱなしの投げっぱなしなシステムの保守、これは大変だ。

 ようやくツララも、威圧感たっぷりな電話を終えて溜め息を零す。

 すぐに横でクロウがノートパソコンを向けてきた。


「先輩、すんません。ここ、見つけたんですけど……妙じゃないすか?」

「ん、見つかったんだ。よかった、それで」

「仕様書では、このオペレーティングは想定されてないみたいです」

「でも、できちゃった。だからやった、そしたらシステムが止まった」

「そっすね。バグというか、運用の抜け穴があったみたいっす」

「……テストしてんのかな、これ本当に」


 まれによくある話だ。

 矛盾むじゅんしてるのに、そう聴こえない程度によくある話ということである。

 しかも、システムの一部が下請けに出されており、その下請けが孫請けに仕事をおろして構築された部分もある。

 今すぐどうこうはできないが、どうにかしないといけない。

 顧客の業務が滞っていて、明日も続けば莫大な損失を生んでしまうからだ。


「とりあえず、できることをできるかぎりやろう。これも給料分だ」

「うす」

「もうすぐ主任チーフも戻ってくる。LINEで先に伝えてあるから、指示があるまで現状把握。それと、徳田さん! ソースはどうです?」


 振り向く老人も、逼迫ひっぱくした事態に乾いた笑みを浮かべていた。

 どうやら、なかなかに入り組んだコーディングがなされているらしい。仕様書と照らし合わせてくれているのだが、どっちが間違っていてどっちが正しいのかすら怪しいらしい。

 こりゃ、荒れるな……ツララはちらりと壁の時計を見上げる。

 部署内では携帯電話の使用は禁止なので、意外とアナログなのだった。


大黒寺ダイコクジさん、あの」


 そうこうしていると、佐藤サトウアイが椅子ごとスススと滑ってきた。

 彼女の表情もまた、緊迫感の中で凍っている。


「クライアントに先程の件、問い合わせてみたんですが」

「うん。どうだった?」

「なにもしてないのに壊れた、の一点張りで」

「出たな、いつもの『』が。何もしなきゃそもそも壊れないし、動かないんだけどね」

「ま、まあ、そうです、けど」


 こんな時、また魔法に頼りたい。

 いつか杖魔じょうまのロックがやってくれたように、魔法でサササッと全て解決できれば最高だ。

 だが、これは世界の危機ではなくて、ただの仕事の危機だ。

 魔法が守るのは世界で、その世界の一部だけを贔屓ひいきする訳にもいかないだろう。

 これはツララたちの仕事なのだ。


「よし、じゃあ佐藤さん」

「は、はい」

「クロウと一緒に仕様書持って、開発元の……えっと、上の12階か。システム七課に行ってくれる? まず、なにが正しいかをはっきりさせよう。それで」


 少し考え込んでから、うんうんとうなずいた。

 こういう時に笑える自分を、内心で褒めてやりたいツララだった。


「それでさ、仕様が鮮明になったら今日はもういいよ。上がって」

「えっ!? で、でも」

「クロウも今日、早く上がりたいって行ってたしさ。娘さん、迎えに行ってあげてよ」


 契約社員には残業代は出ない。

 朝宮アサミヤナギリが社に掛け合ってくれてるが、今は出ないのだ。

 なので、完全なタダ働きな上に、保育園は深夜まで待ってはくれない。なにより、小さな女の子を待たせるのは酷だと思ったのだ。

 ちらりと視線を走らせれば、徳田さんたちの背中も無言の肯定を語っていた。

 だが、アイは申し訳なさそうに食い下がる。


「私ももう少しやってきます。みんなだけ置いてなんて」

「おっ、なんか映画みたいな台詞せりふ。でも、いいんだ。それにほら、クロウは躊躇ちゅうちょなく帰るし」


 隣では、あいかわらずぼんやりした顔でクロウが「ウス」と一言。その間も彼は、ノートパソコンとバインダーを抱えて移動準備を整えていた。


「……すみません、大黒寺さん。じゃ、じゃあ」

「うん、よろしくね。正社員の人たちも大変っぽいけど、遠慮せず色々はっきりさせちゃって。で、それが終わったら任務完了ってことで」


 そうして二人を送り出し、徳田さんにも声をかけて手短に確認する。

 この時点でもう、かなり諦めがついた。

 敗戦処理は終わりが見えないが、終わらせなければ帰れない。


「よし、やるか!」


 一度席を外して、コトナにLINEラインで連絡を入れようかとも思った。

 でも、今はそのちょっとした時間も惜しい。

 携帯電話を使うには、一度セキュリティの外に退出しなければいけないのだ。

 そして、いよいよ修羅場が加速すれば、誰も彼も声が大きくなる。

 忍び寄る悲壮感をどうにか払拭ふっしょくしようとする、ブラック企業ではごく当たり前の自衛行動だ。人と話してる方が気がまぎれる。


「ツララくん、男前じゃのぉ。ワシもじゃあ、そろそろ」

「あ、徳田さんは駄目ですよ。ってか、ごめんなさい、駄目です」

「そうですよー、徳田さんがいなきゃ誰がデバッグして修正するんですか」

「すまない、徳田のじーさん! 僕たちと一緒に死んでください、ってな」


 笑い合えるうちはまだ、大丈夫だ。

 現状ではまず、クライアントと開発元で見解の一致を見出し、どうあるべきシステムなのかを明確にする。そして、許されるなら今晩中に修正してアップデートすればいい。

 明日の始業前に、システムが復旧すればなんとかなるだろう。

 残ったのは、野郎ばかりとむさ苦しい。

 だが、今この瞬間から戦友で、今までもずっとそうだったと思える。


「ところでワシ、こういうグチャグチャなコード見るとイライラするんじゃが」

「あー、わかる。つーか、雑に変数ザクザク切ってるとことか、ありえねー!」

「大黒寺さんも見る? 目眩めまいするレベルだよ」


 ツララは返事をするより先に、鳴った瞬間の電話に出た。

 受話器の向こうではもう、悲鳴に近い声がヒステリックに叫ばれている。

 ついつい何度も頭を下げつつ、話を聞いて対応を調べ始めた。

 なかなか酷い罵倒ばとうの言葉にも、丁寧に応じる。

 ちらりと窓の外を見れば、既に日が傾きかけていた。そして、斜陽しゃように染まるビル街の空を……天使たちが飛んでゆく。

 遠目にもはっきりと、翼を広げる魔法少女が見えた。

 また、戦いが始まるのだ。

 それがコトナなのかリンカなのかまでは、わからなかった。二人の他にも魔法少女は何人かいるらしい。

 偶然見かけた魔法少女は、確かに今も世界を守っているのだった。


(なんだ、意外とそこかしこにいる感じじゃないの、ねえ?)


 小さく心につぶやいて、再度電話の相手へと向き合う。

 頼もしい声がフロアに響いたのは、そんな時だった。


「待たせたね、諸君。進捗しんちょくはどう? 今から私も作業に加わる」


 ナギリが戻ってきた。

 スーツにパンツスタイルの彼女が、いつになく颯爽さっそうとして見える。

 すぐにツララが、手と指のジェスチャーで同僚に報告を頼んだ。何人かが資料を持って、ナギリの元に集まる。

 徳田さんも、キーボードを叩く音が心なしかヒートアップして聴こえた。

 すぐにナギリは現状を把握し、的確に指示を飛ばす。

 それだけでもう、ツララも僅かに安堵の気持ちが込み上げてきた。


「よし、上には私が話を通す。最低限の修正でシステムを復旧、手を加えた箇所は記録して開発元に引き継がせる。悪いけどみんな、一緒に頑張ってくれ」


 ナギリも早速、作業に取り掛かった。

 ツララたちの長い長い夜が、今まさに始まろうとしていたのだった。

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