魔法少女の戦い、ツララの戦い
いつだってそう、常にそうだ。
ツララは今、脳のリソースを全て仕事に奪われていた。時刻は
納品されたシステムがトラブルを起こしたらしい。
大手の商社に入れた、在庫管理のシステムである。
定時退社は諦めたが、そもそも帰れるかも怪しい状況になっていた。
「もしもし、お電話変わりました。はい、ええ、ええ」
電話の受話器を小首に
ぶっちゃけて言うと、別の部門の
ようするに、一番金にならない仕事をコストカットするべく働いているのだ。
だが、利益率が低くても大事な仕事、大変な仕事というのは存在する。
「はい、では再起動を試されたのですね? ありがとうございます、お手数をおかけします。それでは……あ、今は端末の前に? はい、ええ、では……一度、再起動をお願いしてよろしいでしょうか」
ツララは努めて冷静に対応していたが、物凄い
システムを運用しているパソコンのOSを一度、再起動する。これは基本中の基本だ。だが、相手からすると既に試した手段で、それをまた電話の向こうの若造に言われたのだ。
自分の再起動を信用していないのかと、怒声が浴びせられる。
だが、こちらも電話対応時のマニュアルがあるのでしかたがない。
リモートで繋げて処理する方法もあるが、その前の手順も存在するのだ。
「いえ、そのようなことは。ええ、ええ、申し訳ありません。現在復旧のための作業をしておりまして。ええ、ですから再起動して頂いて、その次に――」
隣では今、クロウが必死でシステムの仕様書を読み漁っている。大量のドキュメントが保存されているのに、肝心なことを見つけ出すことができないでいた。
こうしている間も、
とにかく、作りっぱなしの投げっぱなしなシステムの保守、これは大変だ。
ようやくツララも、威圧感たっぷりな電話を終えて溜め息を零す。
すぐに横でクロウがノートパソコンを向けてきた。
「先輩、すんません。ここ、見つけたんですけど……妙じゃないすか?」
「ん、見つかったんだ。よかった、それで」
「仕様書では、このオペレーティングは想定されてないみたいです」
「でも、できちゃった。だからやった、そしたらシステムが止まった」
「そっすね。バグというか、運用の抜け穴があったみたいっす」
「……テストしてんのかな、これ本当に」
しかも、システムの一部が下請けに出されており、その下請けが孫請けに仕事をおろして構築された部分もある。
今すぐどうこうはできないが、どうにかしないといけない。
顧客の業務が滞っていて、明日も続けば莫大な損失を生んでしまうからだ。
「とりあえず、できることをできるかぎりやろう。これも給料分だ」
「うす」
「もうすぐ
振り向く老人も、
どうやら、なかなかに入り組んだコーディングがなされているらしい。仕様書と照らし合わせてくれているのだが、どっちが間違っていてどっちが正しいのかすら怪しいらしい。
こりゃ、荒れるな……ツララはちらりと壁の時計を見上げる。
部署内では携帯電話の使用は禁止なので、意外とアナログなのだった。
「
そうこうしていると、
彼女の表情もまた、緊迫感の中で凍っている。
「クライアントに先程の件、問い合わせてみたんですが」
「うん。どうだった?」
「なにもしてないのに壊れた、の一点張りで」
「出たな、いつもの『なにもしてない』が。何もしなきゃそもそも壊れないし、動かないんだけどね」
「ま、まあ、そうです、けど」
こんな時、また魔法に頼りたい。
いつか
だが、これは世界の危機ではなくて、ただの仕事の危機だ。
魔法が守るのは世界で、その世界の一部だけを
これはツララたちの仕事なのだ。
「よし、じゃあ佐藤さん」
「は、はい」
「クロウと一緒に仕様書持って、開発元の……えっと、上の12階か。システム七課に行ってくれる? まず、なにが正しいかをはっきりさせよう。それで」
少し考え込んでから、うんうんと
こういう時に笑える自分を、内心で褒めてやりたいツララだった。
「それでさ、仕様が鮮明になったら今日はもういいよ。上がって」
「えっ!? で、でも」
「クロウも今日、早く上がりたいって行ってたしさ。娘さん、迎えに行ってあげてよ」
契約社員には残業代は出ない。
なので、完全なタダ働きな上に、保育園は深夜まで待ってはくれない。なにより、小さな女の子を待たせるのは酷だと思ったのだ。
ちらりと視線を走らせれば、徳田さんたちの背中も無言の肯定を語っていた。
だが、アイは申し訳なさそうに食い下がる。
「私ももう少しやってきます。みんなだけ置いてなんて」
「おっ、なんか映画みたいな
隣では、あいかわらずぼんやりした顔でクロウが「ウス」と一言。その間も彼は、ノートパソコンとバインダーを抱えて移動準備を整えていた。
「……すみません、大黒寺さん。じゃ、じゃあ」
「うん、よろしくね。正社員の人たちも大変っぽいけど、遠慮せず色々はっきりさせちゃって。で、それが終わったら任務完了ってことで」
そうして二人を送り出し、徳田さんにも声をかけて手短に確認する。
この時点でもう、かなり諦めがついた。
敗戦処理は終わりが見えないが、終わらせなければ帰れない。
「よし、やるか!」
一度席を外して、コトナに
でも、今はそのちょっとした時間も惜しい。
携帯電話を使うには、一度セキュリティの外に退出しなければいけないのだ。
そして、いよいよ修羅場が加速すれば、誰も彼も声が大きくなる。
忍び寄る悲壮感をどうにか
「ツララくん、男前じゃのぉ。ワシもじゃあ、そろそろ」
「あ、徳田さんは駄目ですよ。ってか、ごめんなさい、駄目です」
「そうですよー、徳田さんがいなきゃ誰がデバッグして修正するんですか」
「すまない、徳田のじーさん! 僕たちと一緒に死んでください、ってな」
笑い合えるうちはまだ、大丈夫だ。
現状ではまず、クライアントと開発元で見解の一致を見出し、どうあるべきシステムなのかを明確にする。そして、許されるなら今晩中に修正してアップデートすればいい。
明日の始業前に、システムが復旧すればなんとかなるだろう。
残ったのは、野郎ばかりとむさ苦しい。
だが、今この瞬間から戦友で、今までもずっとそうだったと思える。
「ところでワシ、こういうグチャグチャなコード見るとイライラするんじゃが」
「あー、わかる。つーか、雑に変数ザクザク切ってるとことか、ありえねー!」
「大黒寺さんも見る?
ツララは返事をするより先に、鳴った瞬間の電話に出た。
受話器の向こうではもう、悲鳴に近い声がヒステリックに叫ばれている。
ついつい何度も頭を下げつつ、話を聞いて対応を調べ始めた。
なかなか酷い
ちらりと窓の外を見れば、既に日が傾きかけていた。そして、
遠目にもはっきりと、翼を広げる魔法少女が見えた。
また、戦いが始まるのだ。
それがコトナなのかリンカなのかまでは、わからなかった。二人の他にも魔法少女は何人かいるらしい。
偶然見かけた魔法少女は、確かに今も世界を守っているのだった。
(なんだ、意外とそこかしこにいる感じじゃないの、ねえ?)
小さく心に
頼もしい声がフロアに響いたのは、そんな時だった。
「待たせたね、諸君。
ナギリが戻ってきた。
スーツにパンツスタイルの彼女が、いつになく
すぐにツララが、手と指のジェスチャーで同僚に報告を頼んだ。何人かが資料を持って、ナギリの元に集まる。
徳田さんも、キーボードを叩く音が心なしかヒートアップして聴こえた。
すぐにナギリは現状を把握し、的確に指示を飛ばす。
それだけでもう、ツララも僅かに安堵の気持ちが込み上げてきた。
「よし、上には私が話を通す。最低限の修正でシステムを復旧、手を加えた箇所は記録して開発元に引き継がせる。悪いけどみんな、一緒に頑張ってくれ」
ナギリも早速、作業に取り掛かった。
ツララたちの長い長い夜が、今まさに始まろうとしていたのだった。
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