数字という文字の功罪

 再び世界に危機が訪れた。

 人知れず今、可能性の未来がおびやかされている。希望をいだいて明日へと向かう、あらゆる人たちに絶望が突きつけられているのだ。

 だから、魔法少女たちは今日も戦う。

 リンカはすでに、細く長く光の軌跡を残して飛び去っていた。

 すぐにコトナが、周囲を見渡し人目のないことを確認して、


「言葉の魔法、言霊法ことだまほうっ! もぉ、先走っちゃ駄目だよ、リンカちゃんっ!」


 あっという間に変身、ふわりと花びらのようなドレスをひるがえす。

 やはり、彼女の側には杖魔じょうまがいない。

 そしてコトナは、そのことを気にする素振りを全く見せたことがなかった。それが逆に、ツララを不安にさせる。

 それでも、気合十分でパシパシとコトナがほおを叩く。

 同じ11歳の姿でも、魔法少女の装束しょうぞくは彼女を何倍も大きく見せていた。

 だが、その勇姿を前にアウラが表情をくもらせる。


「よしっ、じゃあ行くねっ!」

「あの、コトナさん」

「ん、大丈夫だよ? 大丈夫、アウラちゃんはツララ君と待ってて」

「……はい。でも、なんだか心苦しくて」

「んーん、気にしなくてもいいの。アウラちゃんには、アウラちゃんしかできないことがある。それをやってくれてるから、わたしたちも全力で戦えるんだよ?」

「でしたら、少々お待ちを。コトナさん」


 そっとアウラが、コトナに身を寄せる。

 そして、彼女のかざした手がコトナの胸を輝かせた。魔法少女のあかしである、紋様もんようが赤く輝く。


「言葉の魔法……言霊法。ん、なにか数字が」


 コトナの紋様が浮かび上がる。

 それは、常に姿を変える奇妙な文字のようだ。まるで鼓動をともすかのように、絶えず形が変化して、その全てがツララには判読できない。

 まるで、ここではない時、今ではない場所の言語のようだ。

 だが、その中にアウラはなにかを見出す。

 そっと手で触れれば、コトナが小さく鼻を鳴らした。

 そして、思いがけないことが起こる。

 ツララは思わず、目の前の光景をそのまま言葉にしてしまった。


「数字だ……26? って、なんだ?」

「……ツララ君、こ、これはね……」

「えっと、待てよ? なんだっけ。確か……」

「――だよ」

「え?」

「年齢! ! ツララ君より二つ年上、26歳! 新婚ホヤホヤだけど、こんな歳でもまだ処女の、わたしの年齢だよぉ!」


 その場で身悶みもだえるように、コトナが足踏みしながら涙目になる。

 それで思い出したが、26というのはコトナの実年齢だ。

 アウラは顔を真赤にしつつも、あえて突っ込まずに魔法を続ける。


「え、えと、コトナさん。この数字をディバイジャーに植え付けられたみたいです」

「ほえ? それって」

「無意識のうちに、コトナさんが気にしてらした数字ですわね」

「あ、あっ、そそそ、そうね、うんそうだね! アハハ、アハハハ……はぁ」


 アウラはコトナの紋様から、空気中に浮かんで光る数字を切り離した。そして、それを手と手の中に圧縮し、指をからめる。

 祈りを捧げるように彼女が目をつぶれば、その不気味な明滅は弱まり最後には霧散した。

 これでどうやら、コトナの肉体から変身が解けない理由が取り払われたらしい。

 だが、小さく溜め息を零すと、アウラが心底不思議といった面持おももちで話し出す。


「それにしても、何故なぜ……どうして、この26という年齢がコトナさんを苦しめていたのでしょう」


 思わずツララは、コトナと一緒に真顔になってしまった。

 察してほしいが、アウラには無理のようである。

 そして、ツツツと隣のコトナを彼が見れば……なにも聞かないで、とにらまれてしまう。

 それなのに、アウラは全く理解に苦しむとばかりに腕組み首を傾げていた。


「26歳という年齢に、なにか意味があるのかもしれませんわ。でも、本当に不思議ですの」

「あ、いや、アウラちゃん? やめたげて、コトナさんのメンタルが」

「確かにコトナさんは、現役魔法少女の中では最年長、頼れるみんなのお姉さまですの。そのことがどうして、数字で可視化されただけでこうも」

「そ、そのことは、うん! 今はよそうか! コ、コトナさんも急いでリンカちゃんを追って!」


 わたわたとツララが、微妙な雰囲気になってしまった空気を振り払う。

 コトナはもう、限り無くフラットな表情で目が死んでいた。

 それでも、気合を入れ直して彼女は空を見上げる。


「じゃ、じゃあ、行くねっ! ツララ君、アウラちゃんのことよろしくっ!」


 瞬時に風をはらんで、風そのものになる。

 赤く尾を引いて、その姿は瞬時に雲の彼方へ消えた。

 見送るツララは、まだ思案にふけっているアウラを隣に見下ろす。


「あ、あのさ、アウラちゃん。深く考えなくていいと思うよ」

「でも、ツララさん。なにかこれには、深い意味があるのではないでしょうか。26歳とは、そこまで女性にとって重要な年齢ですのね」

「ま、まあ、コトナさんがその数字にとらわれていたのは事実だけどね」


 知らなかったし、気付けなかった。

 確かに、二十代も半ばを過ぎて魔法少女をやるというのは、そういった葛藤かっとうもあるのかもしれない。肉体年齢が一回り以上も巻き戻って、身も心も純真な乙女に返らなければ戦えない。戦うためにいつも、子供の自分から脱却できないのが魔法少女だ。

 気にするなとは軽く言えない、それくらいの重みが感じられる。

 だが、その話に区切りをつけて、静かにアウラが胸に手を当てる。


「……わたくしも本来、変身して戦うべきですのね。それなのに、わたくしは」

「えっと、アウラちゃんはアウラちゃんにしかできないこと、してるって。それでコトナさんがいいって言うんだから、本当にいいと思うんだよな、俺は」

「ツララさん……」

適材適所てきざいてきしょっていうし、俺にはアウラちゃんのことはまだよくわからないけど……君が自分勝手な理由で戦わない訳じゃないの、なんとなく分かるよ。勿論もちろん、リンカちゃんも分かってると思う」


 アウラの胸に今、小さく弱い光が緑色に輝いている。

 それは、ともすれば消え入りそうな程に不安定だ。

 彼女の胸にも、魔法少女のあかしが刻まれている。

 だが、彼女は変身しない。

 魔法少女として、ディバイジャーと戦わないらしいのだ。


「わたくしは常々つねづね、考えておりました。数字によって全てが鮮明になる世界は、残酷である……それは理解できますの。でも、数字だって文字の一種、同じ言葉ですわ」

「ん、まあね。ただ、そうだなあ……例えば、ほら。ちょっとこっちに来てみてくれる?」


 それは以前からツララも考えてたし、自分なりに納得もしていた。

 落ち込むアウラを連れて、ツララは少し先の大通りに出た。

 そこには交通量が多くて、片側二車線の道路を車が行き交っている。

 ちらりと標識を見れば、制限速度は50kmキロだ。


「アウラちゃんは、えっと、ごめん。いくつ? 自動車免許にはまだ、縁がないかな」

「今年で14歳になりましたわ」

「えっ!? ちゅ、中学生!? リアルJC……ちょっと待って、リンカちゃんより年下なのか」


 逆に見えた。

 アウラの方がどこか落ち着いていて、リンカより年上だと思っていた。

 だが、アウラはそのことに少しはにかみ、ようやく笑顔を見せてくれる。

 それでツララも、自分なりに彼女の悩みに光を当ててみることにした。


「自動車免許を持って車を運転する時は、道路交通法っていう法律……まあ、ルールを守らなきゃいけないんだ」

「はい。ええと、スピード違反や駐車違反は駄目、というお話ですわね」

「そう。で、この道路は50km制限だけど……大半の車は、守ってないんだよね、実は」

「まあ! それはいけませんわ」

「そう思うよなあ。でも、うん……そこが、数字の持つ数字以上の意味なんだと思う」


 不思議そうにアウラは、小首を傾げる。

 シスター姿も手伝って、ツララには彼女が遵法精神じゅんぽうせいしんに富んだ少女に思えた。そしてそれは、決して間違っていることではない。

 だが、人間は法を守るために生きているのではない。

 生きていくために法を守るのだ。


「警察は、スピード違反を全部は捕まえない。捕まえられない。けど、速度制限を数字で可視化して、その枠を超えないように法で訴えてる」

「は、はい。でも、それでは」

「法というのは、だんだん時代が変わると……なかなか現実にそぐわないものも出てくるんだ。でも、みんな目安として制限速度がわかるから、そこまで無茶な暴走はしない」

「はあ……そういうものですのね」

「それだけじゃないし、無謀な運転をする人もいて困るけどね。でも、アウラちゃんが言うように、数字は人類にとって有用で、確定した線引きである以上の意味があるんだよね」


 そう思いたい。

 ツララは心底、そう信じたいのだった。

 現実には、仕事の納期や経費の計算等、きっちり数字を合わせる必要があるのが大人の社会である。それでも、数字が明確にする意味や、その根拠に人は助けられているのだ。

 一方で、無限に散らばる未来の可能性を、一つに絞られたら絶望してしまう。

 結果だけを突然押し付けられたら、努力する意味さえ見失ってしまうだろう。


「なんだか、少しわかりましたの。でも」

「アウラちゃんは無理に戦わなくても、君なりに数字と向き合ってみて。ディバイジャーってのは悪い数値化なんだろうけど、数値化された全てが害悪な訳じゃない」

「そう、ですのね……なんだか少し、気持ちが軽くなりましたわ」


 それはよかったと、ツララも笑顔になる。

 そして、二人で仲間たちの無事を祈った。ツララはこれといった宗教を持たず、祈るべき神を持たない。それでも、妻とその後輩の勝利を願って、アウラといつまでも空を見上げてたたずむのだった。

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