祈りの乙女の、不戦の誓い

 遅めの朝食を三人で食べて、休日を外出して過ごすことになった。

 ツララは正直、嬉しい。

 とても嬉しい。

 基本的にインドア派だが、それは独り身だった時代の話だ。今は妻がいて、妹分のようなもいる。

 なにより、久々の休日に浮かれているコトナが眩しかった。


「でもコトナさん、どこに? こっち、わりとなにもないですけど」

「ん、いいのいいの! ちょっと野暮用やぼよう、でもないけど……会いたいがいるんだぁ」


 ツララに身を寄せ、その腕に腕を絡めてコトナは歩く。

 道行く誰もが、その幼き美貌びぼうを振り返っていた。そして、皆がとなりのツララを見て「何故なぜだ」「どうしてだ」「犯罪かよ」という顔をする。無理もないと思う程度には、ツララだって分不相応ぶんふそうおうな顔をしている自覚があった。

 あと、背中に刺さる視線が痛い。

 後ろを歩くリンカは、先程から超不機嫌で殺気立っていた。


「ね、ねえ、リンカちゃん。えと、そのぉ」

「お構いなく! あたしが不機嫌なのは、今はツララさんのせいじゃないですから」

「そ、そう。いつもそうだと嬉しいなあ、なんて……アハハハハ」

「鼻の下、伸びてます……やらしい。ほんと、嫌んなる」


 手厳しい上に、身もふたもない。

 けど、リンカの苛立いらだちの理由をコトナがこっそり教えてくれた。

 腕にぶら下がるようにしてしがみつく彼女が、そっと背伸びして耳打ちしてくれる。


「んとね、今から仲間の魔法少女に会うんだけど……リンカちゃんと、少し相性悪くて」

「あ、なるほど。どんな娘なんですか?」

「一言で言うと、癒やし系? 回復魔法が得意で、わたしもてもらおうと思って。元の姿に戻れないと、色々不便だし。……ツララさんとも、なにもできないしぃ」


 悪戯いたずらっぽく笑って、コトナがギューっと強くツララの腕を抱く。

 その間もずっと、人くらい楽勝で殺せそうな視線がツララを貫いていた。

 最近はツララとの日々にも慣れてくれていたのに、今日のリンカは妙だ。初めて会った時以上に、不必要な敵愾心てきがいしんを燃やしている。それが自分に向けられたものじゃなくても、なんだかいたたまれないツララだった。

 リンカが優しくて頑張り屋の女の子だと、もう知ってる。

 好ましいし好意を感じる、とてもいい子だ。


「あ、こっちこっち! ほら、あそこの教会だよっ」

「へえ、こんな場所あったんだ」


 コトナがグイグイとツララを引っ張って歩く。

 小さな11歳の姿なので、少しサイズの合わない服がまた愛らしい。そでを余らせつつも、秋のよそおいでコトナが道を進む。

 その先、坂道の上に小さな教会が見えてきた。

 ツララの自宅から電車で二駅、そこから歩いて10分くらいの距離である。

 おだやかな日曜日は、丁度午後へと折り返そうとしていた。


「あっ、いたいたぁ。ほら、ツララ君っ! あの娘だよ。おーいっ、アウラちゃーん!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、コトナが大きく手を振る。

 その先で、小柄なシスターが振り返った。丁度ちょうど今、花壇かだんの花々に水をやっていたようである。清楚せいそにして貞淑ていしゅく、そんな言葉がぴったりの修道服しゅうどうふく姿だ。

 全く露出のない服装の中で、唯一白い顔が可憐かれんな笑みを浮かべている。


「あらあら、まあまあ……コトナさん。ごきげんよう」

「久しぶり、お疲れ様っ!」

「コトナさんがいらしたということは、その身体の件でですわね?」

「そそ、やっぱわかる?」

うわさになってますわ。コトナさん、魔法少女たちの間では有名人ですもの」


 上品に笑うシスター・アウラは、ツララにも丁寧ていねいに挨拶してくれた。

 そして、同じ言葉をリンカにも向ける。


「リンカさんも、ごきげんよう」

「ん、お疲れ」


 素っ気そっけない言葉と共に、リンカが視線をらす。

 先程言ったように、どうやらアウラのことが苦手なようだ。

 年の頃は同じくらいか、ややアウラの方が年下に見える。もっとも、まとう気品と風格はアウラを大人びて見せてるし、ホットパンツにスカジャンのリンカはずっと幼く見えた。

 不思議な対比の二人には、なにか因縁や思惑が複雑にからんでいるのかもしれない。

 その上で、アウラはさしてリンカの態度を気にしていないようだった。


「ごめんね、アウラちゃん。ちょっとわたしのこと、診てくれる?」

「ええ、ええ。コトナさんの頼みとあらば、喜んで。わたくしにはそれくらいしかできませんもの。せめて、お力になれれば――」


 アウラの笑みに、わずかに陰りがさした。

 それをリンカは見逃さなかったようだ。

 そして、彼女の言葉が急激に尖って光る。それは、ツララに対する普段の切れ味とは別種の、もっと切実で逼迫ひっぱくした輝きに研ぎ澄まされていた。


「……だよね、アウラ。ほんと、そゆことにしか力を使わない」

「お、おいおい! リンカ!」

「ロックは黙ってて!」


 今までぬいぐるみのふりをして、かばんに引っ付いていたロックが声をあげた。だが、その言葉を叫ぶようにリンカが遮る。

 アウラはただ、ほおに手を当てオロオロとしつつ……困ってはいても、動揺は見せていない。ようするに、いつものことらしい。そして、リンカの態度に怒りいきどおる素振りもなかった。


「リンカさんのお怒りも、ごもっともですわ。でも、わたくしは」

「わたくしは、なに? なにか言い訳でもあるの? ねえ、アウラ……みんな戦ってるんだよ? 傷付きながら、それでも戦ってる」

「だから、わたくしの癒やしが少しでも役立てばと」

「アウラの魔法は癒やしの言霊法ことだまほう……なら、それをもっと戦いで使ってよ! ……そりゃ、魔法少女は死なないけどさ」


 その時、そっとコトナがツララから離れた。彼女は両者の間に入って、静かに二人と一つの空気を共有する。

 とがめもしないし、責めるような声音ではなかった。

 コトナは静かに、笑顔をもって二人のみぞに自分を当てはめてゆく。


「はーい、そこまでっ! リンカちゃん、アウラちゃんも想うところがあるんだよ? だから、わたしがアウラちゃんの分まで戦う。戦ってる。ねっ?」

「でも、コトナ先輩」

「アウラちゃんも、リンカちゃんの気持ちはわかってあげてね? ただ、戦わないことに責任を感じないでほしいな。アウラちゃんは今のままでも、すっごくお役立ちだからっ」

「ありがとうございます、コトナさん。でも」


 結局、リンカは「ちょ、ちょっとそこらへんを歩いてきます!」と席を外した。

 その背を見送るアウラが、長い睫毛まつげを湿らせうつむく。

 よくはわからないが、深い事情があるようだ。

 そして、ツララは部外者なので深入りするべきじゃない。

 そう思っても、気持ちがついついおせっかいな自分を押し出してしまう。無関係ではいられない気がして、愛妻であるコトナに関わる全てが気になってしかたがない。


「えっと、コトナさん。俺、なんかできる? 話を聞くとかくらいなら」

「あ、うんっ。その前に……アウラちゃん、この人はツララ君。わたしの旦那様だよっ」


 再びコトナが、腕にしがみついてきた。よじ登るようにして密着してくる。

 ツララは二の腕に、あるかないかがわからない程度の膨らみを感じた。それはシャツの上から、もどかしいまでに絶妙な柔らかさとぬくもりを伝えてくる。

 改めてツララは、アウラに向かって自己紹介をした。


「ども、大黒寺ダイコクジツララでっす。えと、コトナさんと結婚させてもらってます」

「まあ……素敵ですわ。お二人にしゅ御加護ごかごがあらんことを」


 アウラは十字を切って、ツララたちのために祈ってくれた。

 そして、懺悔ざんげをするように心境を吐露とろする。


「もうお気付きかもしれませんが……わたくしも魔法少女ですわ。そして、その力を戦いに使ったことがありませんの。ただの一度も」

「えっ? そ、それって」

「変身したことがありませんの。わたくしにできるのは、仲間や人々の心身を癒すこと。でも、変身せずに魔法、言霊法を使っても……その恩恵はたかが知れてるものですわ」


 リンカが過度に神経を尖らせていた理由がわかった。

 アウラは魔法少女、リンカにとっても同志だ。そのアウラが、変身してディバイジャーと戦っていないと言っている。それは、消えゆく力を必死に振り絞るリンカには、どうしても許容できないありかたなのかもしれない。

 でも、アウラにだって理由があるはずだ。

 それを恐らく、コトナだけが理解しているのだろう。

 だから、コトナの言葉はいつになく優しい。


「アウラちゃんには、アウラちゃんの戦いがあるよ? 大丈夫、ちゃんと一緒に戦ってる。ディバイジャーをやっつけるだけが、戦いじゃないもの」

「コトナさん……」

「そのこと、きっとリンカちゃんもいつかわかってくれる。だって、リンカちゃんは真っ直ぐで素直で、とてもいい子。いい子なだけじゃない、本当の強さをもってるから」

「本当の、強さ……」

「そそ、本当の強さ! それはアウラちゃんにも、ずっと前から根付いているよ?」


 今更いまさらながら、ツララは自分の妻が人たらしだと思った。

 ずるいくらいに温かくて、卑怯な程に柔らかい。決して仲間を否定しないし、進むべき道を示したりしない。ただ、今いる相手の立場を肯定し、そこからの道も自由意志に委ねてくる。

 行くか進むか、YESかNOか、それもまた数字……ようするに0か1かだ。

 でも、そういう割り切った未来も明日も、コトナは誰にも押し付けようとしないのだ。


「とりあえず、コトナさん。礼拝堂の方へ……少し、身体を診てみますね」

「うんっ。助かるよぉ、アウラちゃんっ!」

「いいえ、これくらい……あら? まあ、これは――ッ!」


 不意に、アウラの胸が緑色に光り出した。

 同時に、コトナも真っ赤な閃光に包まれる。

 それは、世界の敵が顕現けんげんした警告の光。魔法少女たちの身体に刻み込まれた、紋様が伝える世界の危機だった。

 そして、背後で声が走る。


「コトナ先輩っ! あたしが行きます! コトナ先輩は無理しないで……アウラッ、先輩をお願いね!」


 それだけ言って、リンカは青い光を風と広げる。

 あっという間に幼い姿になった魔法少女は、ロックと共に飛び立った。その背は、都心部の方へと光の尾を引き消えてゆくのだった。

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