グッドモーニング、日曜日

 結局あれから、コトナが元に戻らないまま週末を迎えてしまった。

 勿論もちろん、なにもしてない……いたしていないツララだった。

 それでも悶々もんもんとはするし、もよおしてくる劣情れつじょうは確かにある。それでも、11歳になったままのコトナを抱く訳にはいかなかった。

 子供だから、物理的に難しいし、倫理的にいけないとわかっている。

 それ以上に、魔法少女のコトナが『世界を守って戦う姿』であることが気になり始めていた。なんだか、世界の秘密を自分がけがしてしまう気がしたのだ。


「いい天気だなあ。まさに秋晴れってとこだね、こりゃ」


 日曜日の朝、ツララは雨戸を静かにしまって庭に出る。

 まだ早い時間帯で、子供向けの早朝アニメだって始まっていない。

 ちらりと振り返れば、ふすまの向こうに小さな妻が寝ている気配があった。昨夜も出動があって、最近毎晩である。疲れているだろうから、起こさぬよう気をつかった。

 そして、太陽に向かって「ん、んーっ!」と大きく伸びをする。

 そんなツララの手に、一振りの木刀。


「……よしっ! 煩悩退散ぼんのうたいさん! 煩悩退散っ!」


 正眼せいがんに構えて、息を吸って、吐き出す。

 長く吸って吐き出し、次の呼吸を肺腑はいふとどめた。

 そして、振り上げた木刀を、力を込めて振り下ろす。

 重力に任せて落とすのではなく、型の通りに筋力で振り抜き、止める。

 久々の素振りは、学生時代を思い出させた。

 同時に、長いブランクで身体が技を忘れている。


「はは、にぶってるなあ。どれ、まずは素振り100回!」


 かつて青春の全てが、振るう切っ先の向こうにあった。

 今は、その時に培った根性とか礼儀作法とかが、まあボチボチ役に立っている。

 剣道少年だった昔を思い出しつつ、何度も何度もツララは素振りを繰り返した。

 自然と汗が吹き出て、運動不足な日々を思い知らされる。

 それでも、身にもってよどんだものが排出されてると思えば、悪くない。

 一心不乱いっしんふらんに木刀を振るうツララに、意外そうな声が投げかけられた。


「あれ、ツララさん……意外っていうか、元ヤンとかですか?」


 手を止め振り返ると、縁側えんがわにリンカが立っていた。

 高校のジャージを着ており、頭の上にはロックが乗っている。

 彼女はコトナの使ってるサンダルを拝借して、庭に降りてきた。


「やあ、おはよう。リンカちゃん、眠れた?」

「あ、はい……おはようございます。なにしてるんですか?」

「はは、見ての通りさ!」

「や、見てて意味不明だから……体育会系には見えないし、ツララさん」


 リンカが驚くのも無理はない。

 ツララが剣道一直線だったのは、大学生活の前半までだ。

 剣道を辞めてからは、こうして木刀を握るのは初めてかもしれない。その証拠に、もう息が上がっている。現役時代を思えば、なんだか情けなくもあった。

 それでも、どんどん重くなる木刀を再び構える。


「昔、ちょっとかじっててね。いや、かじるなんてもんじゃないか。凄い真剣にやってた時期がある」

「そ、そうなんですか。ふーん……でも、いいじゃないですか」

「だろ? こうして身体を動かして、よこしまな気持ちを、追い出す! つもり! なんだっ!」


 玉と散る汗が、朝日に輝く。

 たった数十回でもう、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。

 それでも、熱い痛みが不思議と心地よい。

 そして、そんなツララを見詰めるリンカもまた、静かに笑っていた。


「あたし、そういうの好きですよ。あたしも、歌えば凄く、すっごく、気持ちが澄み渡るから」

「リンカちゃんは歌、本当に上手いよね」

「高校では軽音楽部けいおんぶですから。本当は楽器もできればよかったんですけど」

「なるほど、でも大した声量だよ。そういうの、やっぱ魔法少女としての力に影響するんだね」

「はい。言葉の魔法、言霊法ことだまほう……その言葉の表現方法は千差万別せんさばんべつ、その魔法少女の生き方や人格、趣味に大きく左右されるみたいで」


 小鳥がさえずり舞う中で、リンカは珍しく上機嫌だ。

 前からツララは、この居候いそうろうの娘に邪険に扱われてきた気がする。彼女から見れば、偉大な大先輩に突然湧いたお邪魔虫だからだ。

 ツララも当初はリンカをそう思っていたが、今は違う。

 えんあって一つ屋根の下で暮らす、家族みたいなものだ。

 彼女が向き合っている困難に、コトナが救いの手を差し伸べている……ならば、そんな妻ごとリンカを助けてやりたいと思うのがツララだった。

 そうこうしていると、リンカの頭からロックがふわりと浮き上がる。


さまになってるじゃねえか、ツララ! ロックだぜ!」

「サンキュ、ロック。俺、割と平凡だからJ-POPとかしか聴かないけどね。あとは、アニソン? とか?」

「ロックってのはなあ、ツララ。音楽のジャンルじゃねえんだよ。!」

「はいはい」


 リンカの杖魔じょうまであるロックは、相変わらずなんの動物だか得体が知れない。だが、妖精さんだとうそぶくように、実在する動物ではないのかもしれない。

 そんなロックが、ふわふわと空中で寝転がった。


「もしツララが魔法少女なら、杖魔はその木刀ってことになるのかもな」

「へ? いや、そういうもんなの?」

「おうよっ! な、リンカ?」


 リンカも腕組みウンウンと頷いている。

 杖魔、それは魔法少女をサポートする存在だ。リンカにとってのロックがそうであり、全ての魔法少女と共にある存在だ。

 いわゆるお約束の妖精さんである。

 だが、ツララは以前から知って気になっていた。

 妻のコトナには、杖魔がいないのである。


「ツララさん、杖魔って……ようするに、あたしたち魔法少女の『』の具現化なんです」

「心の、杖」

「はい。だから、ロッドのクラスであるあたしは、マイクスタンド……ロックと強い魔法を使う時には、歌をより遠くへ広く飛ばすための形が生まれるんですね」

「なるほど」


 魔法少女には、複数のクラスがあると聞いている。

 リンカはロッド、コトナはステッキだ。他にも、ケインとかワンドとか、ようするに多種多様な杖の属性があるらしい。

 少し気になり迷ったが、ツララは思い切って聞いてみた。


「ねね、リンカちゃん。コトナさんは……どうして杖魔がいないのかな?」


 疑問を言葉にした瞬間、ツララは察した。

 これは失敗した、と。

 瞬時に表情を強張こわばらせ、目を見開いたリンカの顔が全てを物語っていた。

 どうやら、触れてはいけない話題だったらしい。

 ツララにも、本来ペアであるはずの杖魔がいないというのは、イレギュラーな状態だとはわかっていた。だが、それが何故かを知ろうとするのは、まずかったかもしれない。

 だが、リンカはリンカで意外なことを言う。


「それ、あたしも気になってました。なんででしょう」

「あ、知らないんだ」

「だ、だって! コトナ先輩、いつも自分のことは言ってくれないし。いつも、仲間や後輩のことばっか……あ、あたしも、気になってました」


 いかにもコトナらしいと、ツララは内心妙な納得をしてしまった。

 いつでもコトナは、自分よりも他者へと気持ちを向けている。

 そして、いつまでもそうな気がして、少し切ない。

 自分を大事にすることもまた、他者のため……そういう考えが、コトナには微塵みじんもないのだ。献身的な自己犠牲の精神とはまた、ちょっと違う気がしている。

 常に笑顔を絶やさぬ強さが、悲壮感すら寄せ付けないのだ。

 リンカと謎が共有されたその時、ロックが待ってましたとばかりに話し出す。


「フッ、ついに語る時が来たか……あ、いや、俺も詳しくはしらないけどな。けど」


 ロックは一度だけ、振り返った。

 そして、縁側の向こうでふすまが閉まっているのを確認すると、静かに言葉を切ってくる。


「コトナの杖魔は、かつていた、らしい。そして、ある戦いで死んで消えた、らしいんだぜ?」

「らしい、らしい、って」

「俺たちにも知らされてねえんだよ。けど、杖魔のいない魔法少女は、それこそ戦う武器を持たない戦士……言霊法の力をフルに使うことができねえんだよ」


 ツララが目にしたコトナの魔法、言霊法……その力は圧倒的だった。彼女は無手の体術でこぶしりを駆使し、我が身そのものが盾にして剣と言わんばかりの大活躍だった。

 そして、物語を語って力を具現化する魔法も、凄まじい。

 リンカとのコンビネーションも強力だったし、現役最強魔法少女の貫禄があった。

 だが、そのコトナには杖魔がいない。

 フルパワーを出すことができないという。


「杖魔って、新しく作ることはできないのかな」

「わからねえ。俺はリンカが魔法少女として覚醒した瞬間、リンカの相棒として生まれた。他の魔法少女も同じだと思うが……あとから追加したりって話は、さっぱり聞かねえな」

「なら、コトナさんはこれから」

「……俺も気になってるし、リンカも心配してるんだぜ? でもなあ」


 三者が三様に沈黙を広げる。

 その重苦しい空気は、突然ほがらかに突き破られた。


「みんなっ、おはよ……って、あれれ? どしたの?」


 眠そうに目を擦りながら、コトナが現れた。

 彼女はまだ夢見心地ゆめみごこちなのか、大きすぎるパジャマのすそを踏んでその場で転ぶ。それでも、エヘヘと笑って顔をあげると、ツララの初恋がすぐに思い出された。

 今もまだ、初恋のままで愛してる。

 愛し合えなくても、想ってる。

 だから、ツララも疑念を胸にしまって笑った。


「おはようございます、コトナさん。昨晩もお疲れ様、だったよね」

「う、うんっ。昨日はリンカちゃんも頑張ってくれたし、楽勝だった、かな?」

「ん、朝飯は俺が作るからさ。少しリンカちゃんと休んでてよ。先にお茶いれるし」


 日曜日の朝が、静かに始まる。

 今という一瞬の平和が、途切れ途切れれになりながらも続いているのだ。それをつくろって戦う魔法少女たちに、ツララは心の中で感謝を呟くのだった。

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