グッドモーニング、日曜日
結局あれから、コトナが元に戻らないまま週末を迎えてしまった。
それでも
子供だから、物理的に難しいし、倫理的にいけないとわかっている。
それ以上に、魔法少女のコトナが『世界を守って戦う姿』であることが気になり始めていた。なんだか、世界の秘密を自分が
「いい天気だなあ。まさに秋晴れってとこだね、こりゃ」
日曜日の朝、ツララは雨戸を静かにしまって庭に出る。
まだ早い時間帯で、子供向けの早朝アニメだって始まっていない。
ちらりと振り返れば、ふすまの向こうに小さな妻が寝ている気配があった。昨夜も出動があって、最近毎晩である。疲れているだろうから、起こさぬよう気を
そして、太陽に向かって「ん、んーっ!」と大きく伸びをする。
そんなツララの手に、一振りの木刀。
「……よしっ!
長く吸って吐き出し、次の呼吸を
そして、振り上げた木刀を、力を込めて振り下ろす。
重力に任せて落とすのではなく、型の通りに筋力で振り抜き、止める。
久々の素振りは、学生時代を思い出させた。
同時に、長いブランクで身体が技を忘れている。
「はは、
かつて青春の全てが、振るう切っ先の向こうにあった。
今は、その時に培った根性とか礼儀作法とかが、まあボチボチ役に立っている。
剣道少年だった昔を思い出しつつ、何度も何度もツララは素振りを繰り返した。
自然と汗が吹き出て、運動不足な日々を思い知らされる。
それでも、身に
「あれ、ツララさん……意外っていうか、元ヤンとかですか?」
手を止め振り返ると、
高校のジャージを着ており、頭の上にはロックが乗っている。
彼女はコトナの使ってるサンダルを拝借して、庭に降りてきた。
「やあ、おはよう。リンカちゃん、眠れた?」
「あ、はい……おはようございます。なにしてるんですか?」
「はは、見ての通りさ!」
「や、見てて意味不明だから……体育会系には見えないし、ツララさん」
リンカが驚くのも無理はない。
ツララが剣道一直線だったのは、大学生活の前半までだ。
剣道を辞めてからは、こうして木刀を握るのは初めてかもしれない。その証拠に、もう息が上がっている。現役時代を思えば、なんだか情けなくもあった。
それでも、どんどん重くなる木刀を再び構える。
「昔、ちょっとかじっててね。いや、かじるなんてもんじゃないか。凄い真剣にやってた時期がある」
「そ、そうなんですか。ふーん……でも、いいじゃないですか」
「だろ? こうして身体を動かして、
玉と散る汗が、朝日に輝く。
たった数十回でもう、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。
それでも、熱い痛みが不思議と心地よい。
そして、そんなツララを見詰めるリンカもまた、静かに笑っていた。
「あたし、そういうの好きですよ。あたしも、歌えば凄く、すっごく、気持ちが澄み渡るから」
「リンカちゃんは歌、本当に上手いよね」
「高校では
「なるほど、でも大した声量だよ。そういうの、やっぱ魔法少女としての力に影響するんだね」
「はい。言葉の魔法、
小鳥がさえずり舞う中で、リンカは珍しく上機嫌だ。
前からツララは、この
ツララも当初はリンカをそう思っていたが、今は違う。
彼女が向き合っている困難に、コトナが救いの手を差し伸べている……ならば、そんな妻ごとリンカを助けてやりたいと思うのがツララだった。
そうこうしていると、リンカの頭からロックがふわりと浮き上がる。
「
「サンキュ、ロック。俺、割と平凡だからJ-POPとかしか聴かないけどね。あとは、アニソン? とか?」
「ロックってのはなあ、ツララ。音楽のジャンルじゃねえんだよ。生き方、生き様だぜ!」
「はいはい」
リンカの
そんなロックが、ふわふわと空中で寝転がった。
「もしツララが魔法少女なら、杖魔はその木刀ってことになるのかもな」
「へ? いや、そういうもんなの?」
「おうよっ! な、リンカ?」
リンカも腕組みウンウンと頷いている。
杖魔、それは魔法少女をサポートする存在だ。リンカにとってのロックがそうであり、全ての魔法少女と共にある存在だ。
いわゆるお約束の妖精さんである。
だが、ツララは以前から知って気になっていた。
妻のコトナには、杖魔がいないのである。
「ツララさん、杖魔って……ようするに、あたしたち魔法少女の『心の杖』の具現化なんです」
「心の、杖」
「はい。だから、ロッドのクラスであるあたしは、マイクスタンド……ロックと強い魔法を使う時には、歌をより遠くへ広く飛ばすための形が生まれるんですね」
「なるほど」
魔法少女には、複数のクラスがあると聞いている。
リンカはロッド、コトナはステッキだ。他にも、ケインとかワンドとか、ようするに多種多様な杖の属性があるらしい。
少し気になり迷ったが、ツララは思い切って聞いてみた。
「ねね、リンカちゃん。コトナさんは……どうして杖魔がいないのかな?」
疑問を言葉にした瞬間、ツララは察した。
これは失敗した、と。
瞬時に表情を
どうやら、触れてはいけない話題だったらしい。
ツララにも、本来ペアである
だが、リンカはリンカで意外なことを言う。
「それ、あたしも気になってました。なんででしょう」
「あ、知らないんだ」
「だ、だって! コトナ先輩、いつも自分のことは言ってくれないし。いつも、仲間や後輩のことばっか……あ、あたしも、気になってました」
いかにもコトナらしいと、ツララは内心妙な納得をしてしまった。
いつでもコトナは、自分よりも他者へと気持ちを向けている。
そして、いつまでもそうな気がして、少し切ない。
自分を大事にすることもまた、他者のため……そういう考えが、コトナには
常に笑顔を絶やさぬ強さが、悲壮感すら寄せ付けないのだ。
リンカと謎が共有されたその時、ロックが待ってましたとばかりに話し出す。
「フッ、
ロックは一度だけ、振り返った。
そして、縁側の向こうでふすまが閉まっているのを確認すると、静かに言葉を切ってくる。
「コトナの杖魔は、かつていた、らしい。そして、ある戦いで死んで消えた、らしいんだぜ?」
「らしい、らしい、って」
「俺たちにも知らされてねえんだよ。けど、杖魔のいない魔法少女は、それこそ戦う武器を持たない戦士……言霊法の力をフルに使うことができねえんだよ」
ツララが目にしたコトナの魔法、言霊法……その力は圧倒的だった。彼女は無手の体術で
そして、物語を語って力を具現化する魔法も、凄まじい。
リンカとのコンビネーションも強力だったし、現役最強魔法少女の貫禄があった。
だが、そのコトナには杖魔がいない。
フルパワーを出すことができないという。
「杖魔って、新しく作ることはできないのかな」
「わからねえ。俺はリンカが魔法少女として覚醒した瞬間、リンカの相棒として生まれた。他の魔法少女も同じだと思うが……あとから追加したりって話は、さっぱり聞かねえな」
「なら、コトナさんはこれから」
「……俺も気になってるし、リンカも心配してるんだぜ? でもなあ」
三者が三様に沈黙を広げる。
その重苦しい空気は、突然ほがらかに突き破られた。
「みんなっ、おはよ……って、あれれ? どしたの?」
眠そうに目を擦りながら、コトナが現れた。
彼女はまだ
今もまだ、初恋のままで愛してる。
愛し合えなくても、想ってる。
だから、ツララも疑念を胸にしまって笑った。
「おはようございます、コトナさん。昨晩もお疲れ様、だったよね」
「う、うんっ。昨日はリンカちゃんも頑張ってくれたし、楽勝だった、かな?」
「ん、朝飯は俺が作るからさ。少しリンカちゃんと休んでてよ。先にお茶いれるし」
日曜日の朝が、静かに始まる。
今という一瞬の平和が、途切れ途切れれになりながらも続いているのだ。それを
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