イチャラブ夫婦じゃいられない

 珍しく、仕事が早く片付いた。

 何故なぜか、今日の作業効率はみんなが良かった気がする。他ならぬツララ自身が、普段より手早く仕事をやっつけられた気がするのだ。

 他にも、少し嬉しいことがあった。

 仕事に支障をきたさぬレベルで、契約社員同士に交流がはぐくまれつつあった。

 冷蔵庫に飲み物を取りに立てば、自然と他者と話す導線が生まれたのだった。


「だからって、調子に乗っちゃうのもなあ……そういうとこだぞ、大黒寺ダイコクジツララ」


 ひとりごちて、ツララは自然と笑みを浮かべてしまう。

 今、時刻は九時を回っている。寝室で一人、ツララは私物のノートパソコンに向かっていた。今日は作業の進捗しんちょくが調子よくて、ついつい仕事を持ち帰ってしまったのである。

 納期に追われてプライベートを侵食されてる、そんな焦りはない。

 ただ、明日も楽をしたいから自宅で残業しているのだ。

 それも、布団の上でゴロゴロしながらである。


「なんか、雰囲気がいいと仕事もはかどるんだよね。なんつーか、部活感あるし」


 職場の空気が変わって、改めてわかったことが色々とある。

 例えば、同僚の徳田トクダさん。

 いつもニコニコの好々爺こうこうやだが、少し話してみたら思ったよりも年上だった。なんでも、定年退職してからも仕事が恋しくて、派遣会社を通じてやってきたらしい。年寄りはIT技術に疎いというツララの思い込みを、木っ端微塵こっぱみじんに打ち砕くバリバリの商社マンだった。

 他にも、いろいろな仲間が同じフロアで一緒に働いている。

 以前からそうだったのだが、それを実感したのは今日が初めてだ。


「これでよし、っと。明日は佐藤サトウさんたちのデータと結合して……うんうん、いい調子」


 キリのいいところで切り上げ、ツララはノートパソコンをたたむ。

 それは、障子しょうじが静かに開けられたのと同時だった。


「ツララ君、お仕事……終わった?」


 そこには、だぼだぼのパジャマを引きずるコトナの姿があった。

 すで縁側えんがわは雨戸を閉めてある。

 だが、まるで月明かりに照らされたようにコトナの姿がほんのり輝いて見えた。11歳の姿になっても、その魅力が損なわれてないように思える。

 何故か自然と、ツララはその場に正座して身を正した。


「おっ、おお、終わりましたっ」

「よかったあ。ふふ、そばに行っても……いいかなあ?」

「う、うん」


 ぽてぽてとコトナが、駆けてくる。

 そうして、ちょこんとツララの横に座った。


「ツララ君、あのね……なんか、ごめん。わたし、子供のままになっちゃって」

「い、いえっ! コトナさんは悪くないですよ。っていうか、俺こそ、今まで魔法少女のこと全然知らなくて」

「うん。魔法少女は世界の秘密だから。その秘密、ツララ君も守ってくれてるし」

「誰にも言ってないです、コトナさんの正体」


 コトナはそっと、ツララに寄りかかってきた。

 まったく重さを感じないが、じんわりと着衣を通して体温が浸透してくる。その柔らかさは、以前と全く変わりがなかった。

 だが、見下ろす隣は小さな子供である。

 それでも、うるんだ瞳で見上げてくるコトナに、自然と喉がゴクリと鳴った。

 そして、突然の言葉に驚き後ずさってしまう。


「ねね、ツララ君……し、しよっか?」

「どっ、どどど、どうやって!」


 布団の上に尻もちをついた形で、わたわたとツララはコトナから離れる。

 だが、コトナは躊躇ちゅうちょなくその距離を埋めてきた。

 ゆっくりと四つん這いに、小さな魔女が身を寄せてくる。


「んとね、ツララ君。わたし、ずっと気になってて……まだ、してないなって」

「そ、それは。でも、ほら! なんていうか、こう! もう夫婦だし!」

「夫婦だから、だよ? ……この身体でも、そのぉ……口で? とか?」

「コッ、コトナさんっ!」


 思わず想像してしまって、ツララは慌てた。

 残念なことに、身体は正直だった。

 でも、目の前にいるのは子供の姿のコトナである。そこに、普段の豊満な美女の面影おもかげは微塵も感じられない。

 ただ、真っ直ぐ見詰めてくる純真な眼差まなざしは、確かにツララの愛した女性だ。

 今はその言動のアンバランスさが、強烈なギャップとなってツララを揺さぶる。

 これがギャップ萌えというものかと、予想外のことに思わず胸の奥が熱くなる。

 そして残念なことに、股間もそれなりに熱くなっている。


「駄目ですよ、コトナさんっ! その、今はちょっと」

「そ、そぉ? でも、ほら……手で、とか?」

「いけませんって! いや、イケない訳じゃないし、イケてなくは……でも、駄目です!」

「じゃあ、えっ、まさか……あ、足、で?」

「どこでそういうこと覚えてくるんですかっ! も、もうね……本当にね!」


 屈強な理性が試されているのか?

 それとも、このあらがいがたい誘惑は御褒美なのか?

 ツララの中で、気持ちが揺らぐ。

 それでも、期間限定の幼妻おさなづまを踏みとどまらせるために、彼はコトナの華奢きゃしゃな両肩に手を置いた。


「コトナさん、そのぉ、ですね」

「あっ……ひ、引いた? 引いちゃった? はしたない、かなぁ」

「いや! そういう訳では。た、ただ」

「わたし、もうツララ君の奥様なんだからね? だから、色々してあげたいし、もっと二人だけの時間を過ごしたいなって」

「それは凄い嬉しいです! ……けど、今はちょっと」

「そう、だよねぇ」


 シュンとしてしまったコトナだが、致し方ない。

 都条例的にもアウトだし、そもそも人としてスリーアウト、ゲームセットである。そしてなにより、自分にその手の趣味がないと思っていたから、ショックも大きかった。

 だが、小さな子供にムラムラきているのではないとツララは心に結んだ。

 これは、例え小さくなっても愛する妻だから、気持ちが揺らぐのだ。


「えっと……じゃあ、コトナさん。ちょっと、いいですか」

「う、うん。――ひゃうっ! ツ、ツララ君!? いいけど、うん……いい、よ?」

「なにがですか、なにが。ちょっと、ここに座ってください」


 ツララはヒョイとコトナを持ち上げると、あぐらをかいた自分のひざに座らせる。

 きょとんとしてしまったコトナを見下ろし、そのままそっと抱き締めた。腕の中でビクン! と震えて、柔らかなぬくもりが身を委ねてくる。

 いつもと同じいい匂いがして、この人が最愛の妻だと実感できた。

 姿がどんなに変わってしまっても、コトナはツララの奥様なのだ。


「ごめん、コトナさん。これくらいしか今は、してあげられない」

「……ううん。謝るのはわたしの方だよぉ。ちょっと、ツララ君のこと困らせちゃった」

「はやく治るといいよね。な、治るんだよね?」

「うん、それは大丈夫。魔法少女って、基本的に魔力で自己再生するから。ただ、こんなのわたしも初めて……魔法少女やってて長いけど、かなり特殊なダメージが残ったのかも」


 コトナは26歳、今やベテランの魔法少女だ。

 今の見た目がそのまま自然な彼女だった時代、15年前からずっと戦ってきたのだ。

 そのことを思えば、ツララは自然と胸が熱くなる。

 ツララが何も知らずに平和に暮らしてた、青春を謳歌おうかしていた頃もずっと、コトナは世界の敵と……ディバイジャーと戦っていたのである。

 そんな彼女を守り、支えたい。

 彼女との結婚を、沢山の人に祝福してもらえるようになりたい。

 今やツララも、世界の秘密と共に生きる人間の一人だった。


「……ねね、ツララ君。――んっ!」

「コ、コトナさん?」

「んー! ……キ、キスくらい、いいよねっ? だから、んっ!」

「は、はい! ではでは……って、あれ?」


 そっと目を閉じ、コトナが上を向く。

 その下で、パジャマの中に赤い光が輝いていた。

 彼女の胸の紋様もんようが、敵の襲来を告げていた。

 同時に、ふわりと風が彼女を包んでツララを引き剥がす。それでもツララは、小さな嵐になった妻を再び抱き抱き寄せた。

 強く抱いて、戦いに赴くコトナの体温を身にきざむ。


「コトナさん、行くよね?」

「う、うん」

「じゃあ、えと、その前に……おまじないというか、その」

「ツララ君! それ、んっ!」

「はいはい」


 だが、くちびるを重ねようとしたその時だった。

 不意にふすまがダン! と開かれる。

 現れた少女もまた、胸に光を抱いていた。


「コトナ先輩っ! ディバイジャーです! って……な、なにを……」


 リンカだ。

 彼女は二人を見て硬直し、そのままポケットからスマートフォンを取り出した。完全に表情を失っているが、その手は機械的に番号をプッシュしている。


「……もしもし、警察ですか?」

「ちょーっと待った! ってか、そういう場合じゃないでしょ! 魔法少女のお仕事でしょ、先に!」

「だってツララさんっ! 不潔です! そういう場合じゃないの、そっちじゃないですか!」

「これは、その、違うんだ! 誤解だ!」


 慌てて通報を阻止しつつ、ツララはコトナと離れた。

 少し残念そうにねてみせたが、次の瞬間にはコトナは変身、戦うための姿になる。

 二人の魔法少女が夜空に消えると、残されたツララは深い溜め息を零すのだった。

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