ACT.03「夫婦から親子へ、そして真の夫婦へ」

目覚めた朝に誓いを立てろ

 ツララは夢を見ていた。

 それは、ちょうど一年くらい前だったと思う。

 セピア色の夢の中で、彼女だけが色彩をまとって記憶されている。

 そう、それは当時まだ八十神ヤソガミ姓だったコトナとの出会い。

 失意の中でツララは、涙に濡れたコトナにめぐった。


「コトナ、さん……? はえ? お、おおう……ここは」


 不意に夢から覚めて、小鳥のさえずりを聴く。

 ぼんやりとかすんだ視界が鮮明になると、自宅の寝室にいることにツララは気付いた。毛布を跳ね除け身を起こすと、すでに隣の布団ふとんはきれいに畳まれている。

 いつもの古い借家で、いつもの寝室だ。

 どうやら朝のようで、台所からいい匂いがする。

 そして、コトナとリンカらしい声が漏れ聴こえていた。

 それは言葉の輪郭が不鮮明だったが、声自体がツララに安堵をもたらす。


「……そっか。あそこで気絶して……コトナさんたちが運んでくれたのかな」


 ふと、昨夜の傷に触れてみるが、そこにはなにもない。ただ、ほんのりと腫れたような跡があって、それも数日で消えそうだ。

 枕元のスマートフォンを手に取れば、LINEラインにメッセージが届いている。

 相手は上司の、ナギリ女史じょしだ。

 それでツララは、仕事を半端なままで会社に残してきたことを思い出す。そもそも、社の正規のセキュリティを通して出入りしてないので、システム的にはまだツララはあの本社ビルの中にいることになっているのだった。


「うおおっ、やべえ! ……やっちまった、終わった。契約終了のお知らせ……あれ? え? なんで……?」


 驚くべきことに、おめのお言葉が届いていた。

 提出されてたデータは完璧なものだったこと、そして自分を待たずに退勤したのは気にしなくていいとのことだった。

 どうやら、ナギリの帰社は随分と遅くなった様子である。

 きつねつままれたような気分だが、頭上でその原因が笑う声が響いた。


「ハッハッハ! 驚いたか、ツララ! ケツは拭いてやったぜ? 感謝しな」

「あっ、ロック。え? お前が?」

「おうよ! 大変だったんだからな? まあ、妖精さんに不可能はないぜ!」

「あ、ありがと」


 なんだかんだ言って、ロックが手を貸してくれたようである。

 魔法少女のためにしか働けないとか言っていたが、なかなかどうして融通ゆうずうを利かせてくれる。ツララは小さな恩人を見上げて、再度礼を口にするのだった。

 そして、布団を這い出て立ち上がる。

 いつものスエット姿で、多分コトナが着替えさせてくれたのだろう。


「とりあえず、首の皮一枚で繋がった気分だ……クビにならずに、済む」

「大変だよなあ、人間は。杖魔じょうまの契約と違って、いつでも雇用主に切り捨てられちゃうんだもんな」

「それが新自由主義の世の中なんだよ。……あ! そ、そうだ、昨日のあの事件!」


 思い出したように、ツララはスマートフォンを両手で握り締める。そのままニュースサイトやSNSを、片っ端から閲覧していった。

 だが、昨日の騒ぎはどこにも記されていない。

 ようやく見付けたのが、都心での小さなガス漏れの異臭騒ぎだ。

 多数の中毒患者が出て、集団幻覚の症状も見られたらしい。

 ツツツと思わず、視線を横にスライドさせる。

 そこには、ドヤ顔のロックが浮かんでいた。


「ベタだなー、これも魔法?」

「もちよ! 魔法少女は、その存在を一般人に知られてはいけないんだぜ? 勿論もちろん、ディバイジャーのこともだ」

「いわゆる、おきて? 的な?」

「だな」

「それを破ると、どうなる?」

「……さあな。俺たち杖魔には知らされてねえし、記録もねえ。何人かいるらしいけどな」


 ふと、ツララは思った。

 彼には、魔法少女の掟を破った人間に心当たりがある。

 それは、妻のコトナだ。

 彼女の秘密を知った一般人とは自分のことなのだ。

 そして、脳裏にある仮説が浮かぶ。


「そうか、それでコトナさんには杖魔が……そういうこと、なのか?」

「ん? どした、ツララ」

「いや、ロック。俺は」

「そういや、そうだったなあ。お前は……例外? なのか? よく、あの八十神の家が結婚を許したよな」

「まあ……多分、許してもらってない」


 実はツララは、コトナと籍こそ入れたが……まだ結婚式を挙げていない。そればかりか、コトナ側の実家から結婚の許しを得ていないのだ。

 何度もコトナを通じてコンタクトを試みたし、一緒に実家の御屋敷おやしきにも出向いた。

 だが、門前払いで駄目とも許すとも言われたことがない。

 そもそも、ツララはコトナの家族に一度も会ったことがなかった。

 お目通りがかなわなかった、というのが現状である。


「ま、いいさ。いつか認めてもらえるように、俺は」

「おっ? どうしたツララ、気合が入ってるな!」

「ああ。俺は、コトナさんを幸せにする。そして、その幸せをコトナさんの家族に祝ってほしいんだ。だから!」

「おうっ!」

「だから! !」

「……な、なあ。いや、うん……まあ、いいや」


 ロックは少し肩透かしを食ったような顔をしているが、ツララは本気だ。

 まずは、安定した仕事が欲しい。

 年金や保険がしっかりした、正社員としての雇用条件を勝ち取りたいのだ。

 ひょっとしたら、コトナの実家も正社員なら会ってくれるかもしれない。経済力の弱い男には、かわいい娘を嫁にやりたいなどとは思わないだろうから。

 それが今、ツララにとっての小さな夢だった。


「さて……ん? ありゃ、なんか焦げ臭いな。おいおい、リンカ……まさか」


 頭の上にロックが乗っかってきた。

 そのままツララは、彼と二人で居間に顔を出す。そして、その奥の台所へと進んだ。

 そこには、意外な人物が四苦八苦しくはっくしていた。

 エプロン姿で朝食を準備しているのは、リンカだった。


「えっと、リンカちゃん? お、おはよ」

「あっ、ツララさん! おはようございます! って、ヤバッ! 黒焦げ!」

「……コトナさんは?」

「今、玄関に牛乳を取りに」

「なるほど。……ちょっと、手伝おうか?」

「だっ、大丈夫です! 卵焼きくらい、あたしだって」


 だし巻き卵用の四角いフライパンで、リンカが悪戦苦闘あくせんくとうしていた。

 焦げ臭い匂いはこれだったのだ。

 料理はおろか、家事全般が得意なコトナならこうはならない。

 すると、すぐ後ろでコトナの声がした。


「リンカちゃん? 焦がしちゃったかな。でも、大丈夫っ! 女は度胸どきょう、もう一度やってみよ? また教えるし、今度はわたしも見てるから」


 いつもの元気な声だが、少し違和感があった。

 そして、振り向いたツララはその違和感の正体に気付く。

 そこには確かに、コトナがいた。

 だが、最初は姿が見えず、慌てて声のする足元を見下ろした。


「あ、あれ……コトナさん?」

「おはよっ、ツララ君。よく眠れた? 会社の仕事はわたしたちがやっといたから、心配しないでね」

「う、うん。ありがと……てか、コトナさん」

「ああ、この格好? うーん、どこから説明すればいいかなあ」


 いつもの愛くるしい笑顔が、とてもあどけない。

 そう、ツララを見上げる11歳のコトナがそこにはいた。

 だが、魔法少女の華美なコスチュームではない。

 ぶかぶかのシャツを羽織はおって、余ったそでをブンブンと振っている。


「んとね、ツララ君。わたし、

「え……つ、つまり? えっと」

「身体が大人に戻らなくなっちゃったの。多分、昨日のディバイジャーとの戦いで、なにかしらのダメージを負ったんだと思う」

「かっ、身体は大丈夫なの? 痛いとことかは」

「ふふ、それは平気だけど……ちょっとわたし、困ったなあ、って」


 そっとコトナは、自分の胸を両手で撫で下ろした。

 いつもの豊満な、包容力を具現化したようなプロポーションはそこにはなかった。ただ、ほんのりとささやかな膨らみが感じられて、思わずツララは妙な気持ちになる。

 11歳に興奮を覚えるような趣味は、ツララにはない。

 ないはずなのだが、なんだか頭の奥が熱くなった。


「多分、数日で自己再生して元に戻ると思うけど……って、ツララ君?」

「いっ、いえっ! なんでもないです! で、でも、うん。それはさておき」


 ツララは心を落ち着かせて、ヒョイとコトナを抱き上げた。

 妙に軽くて、まるで羽毛のようだ。

 そのまま高々と抱えて、両手で掲げるコトナを見上げる。


「コトナさん、昨日はありがとう。俺、知らなかったよ……コトナさん、あんな危険な敵と戦ってたなんて」

「ふふ、びっくりさせちゃった? でも、一人じゃないから。リンカちゃんもいてくれるし、他にも仲間がいるんだよ? それに、ツララ君が支えてくれてる」

「コッ、コトナさん」

「なんかでも、こうだと夫婦じゃなくて親子みたい。わたしの方が歳上なのに、おかしいの」


 昨日、最後の最後でコトナがツララをかばってくれた。

 恐らく、その時に負った傷が原因だろう。

 少し残念だが、コトナの魅力は子供になっても変わらない。そして、すぐに料理の腕も変わっていないことが証明されるのだ。

 ふと振り向けば、焦げたフライパンを手に……リンカ砂を噛むような顔で「ゴチソウサマデス」と呆れているのだった。

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