言葉の魔法(物理)

 今、都心のド真ん中に地獄が広がっていた。

 ディバイジャーからあふれ出るにごった闇が、どんどん周囲を巻き込んでゆく。混乱の中で逃げ惑う人たちが、次々と数字を刻まれ心を奪われていった。

 亡者もうじゃと化した人間たちが立ち尽くす中で、ツララだけが光を見ていた。

 肩越しに振り返るコトナの、11歳とは思えない無敵の笑顔だけがまぶしかった。


「よしっ、片付けちゃうぞっ! そして、帰って、ツララ君っと! イチャコラするんだ、からっ!」


 ピンクと白のミニドレスを揺らして、コトナが地を蹴った。

 爆発した瞬発力が、あっという間に華奢きゃしゃ矮躯わいくを弾丸に変える。

 コトナは瞬時にディバイジャーとの距離を殺して、肉薄。

 そのまま、たゆたうリンカの歌声に合わせて踊り出した。

 そう、見るも可憐な輪舞ロンドに見えた。

 そのこぶし、蹴りが優雅に叩き込まれる。


「って、ガチ殴りステゴロなの!? ちょ、ちょっと、コトナさん!?」


 魔法少女の魔法、言霊法ことだまほう

 それは文字通り、だ。

 だが、コトナは中国拳法にも似た独特の格闘術でディバイジャーを追い込んでゆく。

 それ自体は、鍛錬で培った武術でしかないだろう。

 しかし、その拳に確かに魔法は宿っていた。


「フッ――ァ! セイッ!」


 ディバイジャーの絶叫と唸り声の、その奥に響く音。

 凛冽りんれつたる覇気を宿した、呼吸と気迫が言葉にこもる。

 空気を静かに震わす、コトナの声がそのまま力を生み出していた。

 見れば、彼女の手足がほのかに輝いている。

 破邪はじゃの念、征伐せいばつの意思が、そのまま物理的な力になっているのだ。


「っと、結構硬い? かな? せーのっ、ァ!」


 ディバイジャーが、丸太のような両腕を振り回す。

 殺意の軌跡を引き連れ、鋭い爪がコトナの前で交差した。

 だが、そこにすでに彼女はいない。

 踏み込み前に進んで避けるや、ドン! とコトナは震脚しんきゃくで地を踏み締めた。

 ゲームかなにかで見たことがある、肩口から背での、面での発勁はっけいだ。

 確か、鉄山靠てつざんこうとかいう技である。

 グラリと地面が揺れたような錯覚さえして、ツララの見詰める先でディバイジャーが吹き飛ばされる。

 背後では、リンカの歌が次第に荘厳な調べで高まっていた。


「コトナ先輩っ、トドメ! いきますっ!」

「オッケー、リンカちゃんっ! じゃあ、オペラなやつで決めよっか」

「はいっ! ――歌劇かげき華開はなひらけ、過激に咲き誇れっ!」

「言葉の魔法、言霊法っ! 竜殺しの伝説をここにっ!」


 小さなコトナが、グンと大きく見えた。

 彼女が両手を広げて、その身体を限界まで張り詰める。

 背にまた羽根が現れ、それはあっという間に十二翼に増えて羽撃はばたく。

 そして、彼女の背に光輪が現れ、それは巨大な魔法陣となった。

 その中から、眩しい人影が現れる。

 マント姿で剣を握った、たくましい体躯の美丈夫びじょうぶだ。


「悲劇の英雄、竜をもほふる剛の者! 人を守りし者、偉大なる叙事詩サーガの勇者! は竜殺し、幻想なる記憶に刻まれし竜殺しジークフリート! その一撃をっ、ここ、にっ!」


 マントの男が、巨大な剣を両手で振りかぶる。

 同時に、リンカの声が高らかに響き渡った。

 周囲に黄金の光が広がり、あたかも劇場にいるかのような空気が満ちてゆく。

 絶望にうなだれていた誰もが、その中心に女神を見ていた。

 ツララも、自分の奥さんが戦う姿に見入ってしまった。

 だが、同時に見付けてしまう。


「あ、あれは……えっと、リンカちゃん!」

「無理だぜ、ツララ! この魔法は今、止められない。リンカが歌を止めたら、コトナの物語る魔法も一緒に消えちまう」

「でも、ロック! ま、まあ、それなら」


 ツララはよたよたと走り出した。

 もつれるように脚が上手く動かない。

 それでも、その泣き声へと走った。

 絶望の爆心地と化した大都会の一角で、小さな女の子が泣いているのだ。それを偶然、ツララは見つけてしまった。

 まだ小さい、3歳か4歳くらいの女児である。


「なんでディバイジャーの攻撃が……あっ、数字が読めない年、数字がわからないから? なんにせよ、危ないっ!」


 傷の痛みから、変な汗が止まらない。

 その冷たさに凍えているのに、身体の奥底が燃えるように熱かった。

 そのまま滑り込むようにしてい、ツララは女の子を抱き止める。

 瞬間、コトナの声が凛々りりしく叫ばれた。


「確定されし未来を今、不可視の希望、可能性へ! ――祈りの言霊、それは『大丈夫』っ! 大丈夫、きっと必ず、多分絶対に……大丈夫なんだからっ!」


 竜殺しの宝剣が振るわれた。

 大上段から真っ直ぐに落ちてゆく刃が、その切っ先から発する剣閃けんせんでディバイジャーを断ち割る。一刀両断、左右に割れたその断面から、無数の数字が吹き出した。

 今度こそ、ディバイジャーは倒された。

 そして、周囲の人たちからもひたいの数字が消えてゆく。

 ホッと胸をなでおろして、ツララも腕の中の子供に語りかけた。


「もう大丈夫だよ。怪我はないかな?」

「う、うんっ。でも、ママが」

「それも大丈夫。あのお姉ちゃんが……俺の奥さんが、治してくれるからね」

「おくさん? おじさん、ロリコンなの?」

「どこでそういう言葉を覚えるかなあ。あと、おじさん……そ、そうだよな、おじさんかあ」


 軽くヘコむが、どうやら女の子に怪我はないようである。

 そして、妙な実感がツララに芽生えた。

 それは小さな、ほんの僅かな気持ちかもしれない。

 でも、守れた。

 なにもかもが流動的に流し込まれる日常の中、自分の意思が意味を持った気がした。世界を守るコトナを守りたい……そう願っていた想いが、コトナが守りきれなかったかもしれない命を救ったのである。

 こんな達成感は久しぶりで、だから気付けなかった。

 ホッとして緊張感を失ったツララは、背後の気配に振り返れない。


「あっ、おじさんっ! うしろに!」

「んー? って、あ……」


 はい死んだ!

 そう思った。

 右半身だけになった先程のディバイジャーが、倒れ込みつつこちらへ向かってくる。

 身の毛もよだつ悪魔の形相ぎょうそうは今、半分になっても死神の殺意をみなぎらせていた。

 同時に、ツララの中で忘れていたことが一斉に湧き上がった。

 半端にしてきてしまった、仕事。

 データの整理、上司への提出物。

 そして、次の契約更新までの日数と、心細さがともなう生活費や貯金。

 それらの不安は今、頭の中に渦巻いて額から飛び出しそうだった。

 これがディバイジャーの恐怖なんだと、身を持って知った。

 普段目を背けているもの、不確実な未来の中にひそむバッドエンド……それらを確定させる数字が、今にも頭から飛び出してきそうだった。


「あっ、ツララ君っ! このぉ、ディバイジャーってそういう意味じゃ、ないでしょっ!」


 二つに割れた片方が今、ツララへと爪を向けてくる。

 女の子を必死に抱き締め、己を盾にしてツララは全身を強張らせた。

 コトナの声が走ってくる、それだけはしっかり耳に届いていた。

 そして、断末魔の絶叫が響き渡る。

 そっと目を開ければ、全てが終わっていた。


「ねっ、大丈夫だったでしょう?」

「コトナ、さん」

「もぉ、ツララ君ってば無茶し過ぎ。でも、そゆとこ! そゆとこ、なんだからね?」

「う、うん」


 ディバイジャーの身体が、そのまま数字の渦になって空気に溶けてゆく。

 その中心で、コトナが拳を収めた。

 間一髪で、彼女のトドメの一撃が届いたようである。

 だが、不意に彼女は胸を抑えて「ック!」と顔をゆがめた。

 思わずツララは、女の子を抱えたままで駆け寄る。


「コトナさんっ!?」

「だ、大丈夫。魔法の言葉、大丈夫……うん、平気。ちょっと、わたしも割り切られかけちゃった」

「さっきの攻撃、もしかして」

「ああでもしなきゃ、その子ごとツララ君がやられてたもん。これはわたしのミスだし……そんなの絶対、許せないし」


 不安そうに震える女の子に、無理にコトナは笑ってみせた。

 ポジティブの塊みたいなコトナの中にも、絶望の数字が眠っているのだろうか。それを見えない未来、無限の可能性にしておくことは、本当に正しいことなのか……ふと、そんな疑問がツララの脳裏を過ぎった。

 絶望の数字は、人の中にあった。

 ディバイジャーはそれを可視化しただけでは?

 だが、そんな猜疑心さいぎしんもすぐに忘れてしまう。

 周囲が徐々に正気を取り戻す中で、リンカの歌が優しいラブソングになった。

 そして、手を差し伸べてくれるコトナの笑顔に、安堵が込み上げてくる。


「ツララ君っ、ありがとっ! また、わたしのこと守ってくれた」

「いや、俺は……この子しか」

「ううん、守ってくれたよ? また、守られた。わたしね、嬉しいの」


 街が静かな夜を取り戻してゆく。

 その中でツララは、薄れゆく意識の中に笑顔を刻んだ。この笑顔を守りたい……その思いだけは、気絶する中でもはっきりと感じ取れるのだった。

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