勇気と愛を物語れ!

 つらぬくような、千切ちぎくような痛みにしびれる。

 一瞬、ツララは心臓が止まったかのような錯覚を覚えた。そして、それを思考で判断して感じる余裕も持てなかった。

 ただただ、痛い。

 ひたすらに痛い。

 激痛である。


「グッ、アガガ……これはなんというか凄い痛いんですがなんです? 俺は死ぬんですかそうですか……コトナさん、ご、め――」

「死なない! 死なせないから、もぉ! バカバカ、バカッ! コトナ先輩を一人にしたら、あたしが許さないんだからねっ!」

「……ツンデレ、かよ……ガクッ!」

「だから死なないっての!」


 ツララはもう、リンカにしがみついていることさえできそうもなかった。

 そのままずるりと落ちそうになって、慌ててリンカが支えてくれる。支えてというか、襟首えりくびを掴んで引っ張り上げてくれた。

 意識が朦朧もうろうとする中で、改めてツララは思った。

 ディバイジャーと呼ばれる邪悪との戦い、これは死闘だ。

 大の大人も泣きそうな痛みが行き交う、これが魔法少女たちの戦場なのだ。


「それ、より……リンカちゃん。奴が……逃げ、る……」

「わかってます! ほら、しっかりつかまって! って、どこ触ってる、の、よっ!」

「グエッ!」


 平坦な胸を触ってしまい、重い肘鉄ひじてつを顔面に叩き込まれた。

 あまりにも平ら、ムニュっとはするが無乳むにゅう……無いものを触って殴られるとは、これは納得がいかない。

 だが、おかげで少し意識がはっきりしとした気がする。

 そして、リンカが握るマイクスタンドのロックが笑っていた。


「ハッハッハ、ようようツララ! なかなかにロックじゃねえか。けどな、リンカなら避けたと思うぜ? なにせ魔法少女だからな」

「ま、まあ、無駄だったかも? でも、つい」

「けど、魔法少女が無意識に展開するシールドを、何枚もブチ抜いてきた攻撃だ。威力が軽減されたとはいえ、よく生身の人間が直撃で生きてるもんだ」

「はは、まあ……それなりに、鍛えてた、時期も、あるしさ」

「けどな、ツララ。基本的に魔法少女は死なねえんだけどな!」

「……なにそれ、早く言ってよ」


 今やディバイジャーは、雲海の下へともぐって逃げたあとだった。

 急いで追うべく、リンカがぐっと身を伸ばして自身を投げ出す。あっという間に重力が、ツララごとリンカを大地へ引っ張り出した。

 自由落下状態でも、リンカはディバイジャーが振りまく悪足掻わるあがきの攻撃を丁寧にさばいてゆく。

 片手で構えたロックで、直撃コースの火球だけをはじき返していた。

 その間もずっと、もう片方の手がツララの首を抱いててくれる。


「凄い……とても、力が弱まってるなんて」

「うるさいっての! 気が散る! ……そうよ、あたしはまだやれる。やれるんだから!」


 やがて、再び夜の大東京が眼下に広がった。

 並び立つビルの間を、右に左にとディバイジャーが逃げる。

 その何倍もの速さで、リンカは放たれた矢のようにんだ。

 振り返るディバイジャーの、その必死な形相が高度を落とす。ツララは頭上に舌打したうちを聴いた瞬間、さらなる加速に息を詰まらせる。


「あいつ、地上に降りる気だ……まずいわ。ロック!」

「おっしゃ、歌えリンカァ! 熱いソウルで撃ち貫けッ!」

「わかってる! もう絶対……誰も、絶望させな――!?」


 不意に、リンカが言葉を飲み込んだ。

 同時に、スピードが落ちてコントロールが不安定になる。先程まで感じなかったビル風が、あらゆる方向からツララたちを襲った。

 それでもリンカは、ふらふらしながらディバイジャーを追う。

 激突しかけたビルを蹴って踏ん張り、窓の向こうの人間を驚かせながら飛ぶ。

 その先にもう、ディバイジャーは悲鳴を持って迎えられていた。


「しまった! 力が……あたしの言霊法ことだまほうが」

「リンカちゃん!? っとっとっと、ちょっとごめんね!」

「ちょっと、なにを」


 もうすでに、失速からの墜落は始まっていたのかもしれない。

 それでも、リンカが絞り出す魔法の力が、ゆっくりと二人を地面へいざなう。だから、ツララは逆にリンカを抱き上げるようにして両足を踏ん張った。

 ザザザと革靴がアスファルトをつかんで、かかとる音が響く。

 安物とはいえ、通勤用の足が命を削られてゆくのが切なかった。


「よ、よし。大丈夫? リンカちゃん」

「……えっと、うん、ありがと。……ツララさん、人間? だよね?」

「昔、鍛えてたから。それより」

「あっ、そうだ! ロック、行こう!」


 ツララの手を振り払って、リンカが走り出す。

 とても11歳の肉体とは思えぬ速さだ。あっという間に、ツララは引き離されてしまった。

 それでも必死に走れば、すぐに息が上がった。

 加えて、先程の痛みが思い出されてくる。

 なんだか、シャツが焼け焦げてて、その下で肌が沸騰ふっとうしてるような感触である。

 そうして、どうにか追いついたリンカの背中は……怒りに震えていた。

 周囲の人々を見渡し、ツララは絶句する。


「なっ、なんだ? なにが……みんな、様子が」


 そこには、大勢の人間がいた。

 老若男女を問わぬ、様々な人種があった。

 そう、まるで物体、物質でしかないようにただ存在していたのだ。

 皆、見開いた目に光を失っている。

 そして、ひたいにはそれぞれ様々な数字が暗い炎となって浮かび上がっている。

 まるで、大昔の強制収容所で刻印された囚人番号のようだ。


「そうだ……僕の偏差値じゃ、合格率は……どう頑張っても、28%」

「あの子、あと何年世話をすれば……いいえ、まだ1年よ。もっと長く……ああ、神様」

「ええ、そうよ……ええ、ええ、わかってたわ。もう私、38だって。そういう歳だって」

「は、はは……はははは! そうだよ、数えればわかったさ! 我が社の負債は!」

「そうだったね、忘れてた。忘れようとしてたんだ。でも、今ははっきりとわかる」


 周囲の人々の口から、漏れ出る言葉に絶望がにじんでいた。

 そして、そんな人間たちの中央で悪魔が振り返る。

 先程リンカが発した魔法のダメージも、既に修復されたようだ。まるで、周囲の絶望を吸い込んで活性化しているかのようだった。

 そんなディバイジャーに対して、なおもリンカは杖を身構える。


「もう一度よ! 言葉の魔法、言霊法……お願い、今度こそ……まだ歌わせて!」

「待てリンカァ! 力がまだ! お前、やっぱりもう」


 ロックの言う通りだった。

 踏ん張るようにして立つリンカの両膝りょうひざが笑っている。ガクガクと震える脚が、ツララにもはっきり見えた。

 だから、無駄とわかっても前に出る。

 背にリンカをかばって、肩越しに振り返る。


「リンカちゃん、少し休んでよ。いい仕事するにはさ、結構パワーいるからさ」

「ツララさんっ、危ないから下がってて! 生身の人間じゃ」

「俺がたてになってる一瞬でさ、リンカちゃんの力が復活するかもしれないしさ。それに、なんつーか俺……見てられない。見てるだけじゃ、気がすまないんだ。ゴメンね」


 ディバイジャーは、先程の何倍もの大きな火球を両手で生み出す。それを振りかぶって、高速でこちらへと投げつけてきた。

 だが、落ちてきた太陽のような炎は……ツララたちには届かなかった。

 突然目の前に、羽毛を振りまく天使の翼が舞い降りたからだ。


「もぉ、ツララ君? 無茶してくれちゃって……怒るよ? でも、格好良かったぞっ」


 そこには、愛する妻の姿があった。

 幼い頃の姿に戻った、コトナが立っている。

 彼女は、呆気あっけにとられるツララにニシシと悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて、そして見もせず火球へ手を伸べる。

 迫る敵意のかたまりへと、彼女は静かにささやいた。


「言葉の魔法、言霊法……騎士の勇気をここに」


 刹那せつな、突如として鎧姿の騎士がズシャリと現れた。

 真っ赤な十字が描かれた、巨大な盾を騎士が構える。その鉄壁の防御が、苛烈な熱量を遮断し押し返した。

 そして、コトナの声はどこまでも朗々ろうろうと響き渡った。


「円卓の騎士、呪われし13番目の席を得る者。呪いを超越する者、聖なる守り手……は騎士、聖杯探索の騎士ギャラハッド! その勇気を、ここにっ!」


 ディバイジャーの攻撃を、騎士は簡単に掻き消してしまった。

 そして、一度だけコトナを振り返って消えてゆく。

 まるで夢のような話で、夢物語に語られた英雄の顕現けんげんだった。

 それは全て、コトナの魔法が生み出した力だった。


「さあ、リンカちゃん! やっつけちゃうよ! まだ、いけるよね?」

「は、はいっ!」

「うん、いいお返事っ! 大丈夫、力が少し弱まっても、使い方が上手くなればね……魔法の力は、きっとみんなを守れる! 誰かを救える、からっ!」


 小さな声で、ロックが教えてくれた。

 現代最強の魔法少女、八十神家やそがみけのコトナ。彼女の使う言霊法は『物語語りものがたがたり』と呼ばれる。その名の通り、古今東西の物語が生み出した神秘を現実に呼び出せるのだ。

 実在したかどうかもわからぬ、円卓の騎士さえ彼女は召喚してしまう。

 それは、持って生まれた強い魔力と、それを鍛錬してきた彼女の努力の賜物だった。


「すみません、コトナ先輩っ! あたし、今ちょっと……でも、バックアップならできます。――いきますっ! 祝福の歌、重なり響けっ!」

「おっ、サポート魔法。うんうん、それでいいんだよ。できることを精一杯、でいいんだ。そしてぇ、わたしはーっ! ツララ君の見てる前ならっ! 無敵っ、なんだからっ!」


 ツララは思わず、ほおが熱くなった。

 いつもいつでも、コトナは奔放ほんぽうで素直で正直、やや天然で感情が言葉に直結している。だからこそ、その飾らない言葉が魔法足り得るのかもしれない。

 そして、思った。

 やはり、コトナは妖精さん……杖魔じょうまを連れていない。

 そのことだけがツララだけには、妙に不安に思えるのだった。

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