戦う歌姫

 妻であるコトナが直面する、現実。

 成人して二十代もなかばを過ぎて、彼女はまだ魔法少女をやっている。

 魔法少女になった11歳の頃に戻って、世界の敵と戦っているのだ。

 その現状を正しく認識して共有するため、ツララは彼女たちの戦場へ向かっている。

 だが、そこはファンシーでリリカルなイメージとは無縁の場所だった。


「っ、ンンン! い、息が……ロック、ちょ、ちょっと――」


 ロックが風斬かぜきり空を飛ぶ。

 突き抜けるようにせる。

 その身体を両手で握るツララは、呼吸も出来ぬままに言葉を噛み締める。

 今、ロックの姿は文字通り『魔法の杖』になっていた。長さはツララの身長より少し短くて、なるほど小柄で華奢きゃしゃなリンカが持てば長杖ロッドである。

 華美な装飾で輝く、あおいロッド。

 ひらひらと長く棚引たなびく、呪文めいた刺繍の布が先端で揺れていた。


「おっと、そうだった! 俺としたことが……大丈夫か、ツララ。人間はあれだな、呼吸しないといけないんだったな」

「ハァ、ハァ……あ、息が。ど、ども」

「今、魔法で周囲の気圧を遮断した。寒さもないだろ?」

「あっ、そういえば」

「んじゃま、飛ばすぜっ! しっかり掴まってな! Rock and Roll!ロッケンロール!」

「うおおおっ、ロック! ちょっと待った、待ったーっ!」


 不意に周囲で逆巻く空気が、落ち着いた。

 そう思った瞬間、ロックがさらなる加速で雲を引く。

 見下ろす下は摩天楼まてんろう……眠らない街、東京に夜が訪れていた。その街明かりは、今も働いてる人たちの光だ。夕食を楽しむ者も、酒を楽しむ者も、同じ場所で働く人間によって安らぎを得ている。

 そして当然、残業で会社に残っている者もいるだろう。

 それらの光が、どんどん遠ざかる。

 上昇するロックは、すぐに高度を上げた。


「嘘だろ、おい……ロック、いつもこんな感じ?」

「そりゃそうさ。奴らは、ディバイジャーは世界中どこにでも現れるからな」

「に、日本だけじゃないんだ」

「海外にも魔法少女はいる。でも、日本はトップレベルの逸材が揃ってっからよ!」


 ロックは得意気で、リンカを想う気持ちが伝わってきた。

 そのリンカは、もうすぐ引退を逢えるらしい。

 よくは知らないが、魔法の力を失い一般人に戻るというのだ。それが彼女にとって、ようやく訪れた平穏なのか、それとも生き甲斐の喪失なのか……それはツララにはわからない。

 ただ、コトナにとってなら、どっちの結果であってもその日が来たら受け止めたい。

 それまでツララは、魔法少女コトナを影で支えると決めたのだ。


「お、見えたぜっ! ツララ、あそこだ!」

「なにかが、光ってる……って、なんだありゃああああああ!?」


 いよいよロックは、トップスピードへとギアを叩き込む。

 ツララは必死になって、金属でも木材でもない杖を強く握った。振り落とされたら、多分死ぬ。

 ロックはあっというまに、異形の怪物を追い越してひるがえった。

 そう、異形だ。

 まさしく怪物としか思えない姿がそこには浮いていた。

 巨大な翼を広げ、強靭な四肢には鋭い爪が光っている。角の生えた頭部には鬼の形相が浮かび、先の尖った太い尾がある。

 かろうじて人間の姿をしているようにも見えるが、怪物だった。


「ひええ、なんだあれ」

「情けない声を出すなよ、ツララ! あれがディバイジャーだ。デーモン・タイプ、伝説や神話に出てくる悪魔は、全部あれさ」

「えっ、じゃあ……その、ディバイジャーって昔からいるの?」

勿論もちろんだぜ! 大きな事件や革命、歴史的な出来事の多くは、影にディバイジャーがいるのさ」


 人類の文明は、たかだか数千年だ。

 その黎明期れいめいきからずっと、ディバイジャーは暗躍してきたという。ディバイジャーが暴れまわると、人間は心を乱され絶望してしまう……そうロックは教えてくれた。

 そして、同じだけの時間を戦い続けて、人類を守ってきた存在がある。

 それが、魔法少女。

 今も、蒼いミニドレスの少女が戦っている。

 小さくなっているが、跳ねたくせっ毛の長髪は間違いなくリンカだ。その髪は今、普段よりさらに長く伸びて逆巻いている。色も、月の光に青く輝いていた。

 背の翼を羽撃はばたかせる彼女は、ディバイジャーが放つ火弾を避けつつ叫ぶ。


「来たわね、ロック! さあ、反撃を……えっ? ツララ、さん!?」

「や、やあ。ども、お疲れ様でっす」

「ちょっと、なんであんたがここにいるのよ!」

「んー、社会見学?」


 相変わらずリンカの言葉は、鋭く尖って突き刺さる。

 だが、彼女が必死で戦っていることだけはツララにもわかった。

 幼くあどけない11歳になっても、その表情は真剣そのものである。


「とにかくっ、ツララさん! こっちに来てください!」

「えっ、ど、どうやって」

「あーもぉ! ロック、ツララさんをこっちに! 放り投げていいから!」


 瞬間、ロックがその場でピンと突き立った。そのままブン! と振るわれると、ツララは夜空の真っ只中に放り出されてしまう。

 一瞬の無重力を感じた時には、小さな身体が抱き留めてくれた。


「ツララさん、放すからしがみついてて! あと、邪魔だけはしないで!」

「う、うん……あ、あの、リンカちゃん」

「黙ってて! ――よしっ、やるわよっ!」


 そっとリンカが、手を伸べる。

 小さく白い、細い腕を真っ直ぐに伸ばす。

 位置を合わせて減速したロックが、しっかりと握られた。

 瞬間、リンカの身体がまばゆく輝き出した。

 まるで、彼女の中から力が込み上げるかのようだ。あふれ出る光が、リンカを光そのものへと変えてゆく。

 そして、空中に立つ彼女の足元に、巨大な魔法陣が広がった。


「なっ、なにが」

「黙っててって言ってるでしょ! ――スゥ、ハァ……ッ! 言葉の魔法っ、言霊法ことだまほうっ!」


 ヒュン、とロックが翻る。

 彼を両手で握って、リンカは頭上にかざしながらクルクルと回した。

 細くてすべやかなお腹に抱きついてるツララは、見上げれば自然と見入ってしまう。

 神々しいまでの美貌が、小さな少女に決意と覚悟を感じさせた。

 そして、リンカは魔法の杖であるロックを魔法陣の中心へと突き立てる。瞬間、さらなる光が魔法陣を拡張、拡大させていった。

 夜空に広がる雲海へと、光の結界が広がってゆく。

 それは、あっという間にディバイジャーの下まで到達し、その自由を奪った。


「響け、旋律! 歌えうたっ! ――これがあたしの『千詩一歌せんしいちか』ッ!」


 ロックが少し縮みながら、まるで花咲くつぼみのように変形する。

 そして、あっという間にその姿は……可憐な装飾で輝くマイクスタンドになった。そして、リンカはマイクに向かって歌を解放する。

 魔法少女というから、ビームとかレーザーとか、誘導弾マジックミサイルなんかが出るのかと思った。剣やハンマーで殴り合うというのも見たことがあるが、それはアニメの中だけみたいである。

 リンカの魔法は、歌。

 その透き通るハイトーンボイスが、硬直するディバイジャーへと希望を歌う。

 まるで、リンカ自身が歌う楽器のような響きだ。


「う、歌……あっ、でも効いてるっぽいぞ! あの悪魔、ちょっとずつボロボロになってく」


 ツララの目にも、はっきりと見えた。

 ディバイジャーは、リンカの歌にまるで溶け出すように小さくなり始めた。

 なんとかその場から逃げ出そうと藻掻もがきつつも、その巨体が風化するように崩れ落ちてゆく。

 そして、ツララは見た。

 ディバイジャーを構成する、とても見慣れたものを。

 そう、人間である限りは毎日目にするものだ。

 それに縛られ生きていると言ってもいい。


、だ……えっ、なに? あいつ、数字をこぼしてる! アラビア数字だ!」


 十進法で使われる十種の数字、0から9までが無数に散らばり消えてゆく。

 粉々になってゆくディバイジャーは、流血にも似たおびただしい数を空気中に拡散していった。

 驚きにほうけていると、ロックが詳しく説明してくれる。


「ディバイジャーは、未来や可能性を否定する数字の権化ごんげなんだ。その名の通り、絶望の数値で全てを割り切り、人間に諦めを迫ってくる」

「絶望……諦めの、数字?」

「不可視の未来は可能性のかたまりだ。でも、その不鮮明さが不安や疑心を生む……そんな人間の心理に漬け込み、連中は数字で可視化した過ちの未来を押し付けてくるんだ」


 よくわからないが、絶望から来る諦めは人間を殺す。

 ツララは知っている……

 まして、数字ではっきりと突きつけられたら、容易たやすいだろう。

 それくらい、人間の心は繊細で弱く、数字の力はこの時代では絶対なのだ。


「っと、リンカ! あいつ、まだ動くぞ! 避けろっ!」

「しぶといわねっ! いいわ、ロック! 新曲で消し飛ばして――ッ、え? ちょ、ちょっと!」


 すでに半分くらいの大きさになってしまったが、ディバイジャーがこちらをにらんで腕を振り上げる。その腕自体が、もろく粉々に崩れ始めていた。

 だが、そこに黒い光が凝縮され、それを握った手は消えながら攻撃を放ってきた。

 まるで、極小のブラックホールみたいな闇が迫る。

 咄嗟とっさにツララは、リンカの身体を這い上がるようにして覆いかぶさり、かばった。

 瞬間、冷たく焼けるような衝撃が突き抜け、激痛が彼の意識を真っ白に染めるのだった。

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