その敵の名は、ディバイジャー

 基本的に、契約社員の業務というのは、いわゆるホワイトカラー……ようするに「」が中心である。

 しかし、その全てが「」だとは限らない。

 そう、ツララたちも正社員も、一日は誰もが二十四時間しかないのだ。

 あっという間に時間が過ぎて、夕暮れ時。

 まだまだツララは仕事に忙殺されていた。

 秋も深まり、最近は日が落ちるのも早くなってきた気がする。

 上司のナギリに提出するデータがあるため、今日中にまとめてメールしなければいけない。せわしくキーボードを叩いていると、不意に背後で小さく声が響いた。


「あの、大黒寺ダイコクジさん。お先、失礼しま、す……?」


 振り向くと、同じ契約社員の女性が申し訳無さそうな顔をしていた。美人という訳ではないが、さちが薄そうな印象で線の細い人だ。言葉を交わすこともまれだが、彼女がシングルマザーとして幼い娘を養っているのを知っている。

 珍しいなと思いつつ、ツララはへらりと笑った。


「ああ、お疲れ様です。定時、ですよね。上がっちゃってください」

「す、すみません……それで、あの」

「は、はい。えっと、なにかわからない仕様とかありました?」

「いえ、そのぉ」


 戸惑うように言葉を詰まらせつつ、クスリとその女性は笑った。

 首から下げてるネームプレートには、佐藤サトウアイとある。

 その佐藤さんが、そっとツララの机を指差した。


「大黒寺さん、新婚って聞きましたけど……お子さん、いらっしゃるんですか?」

「えっ?」

「うちの娘も、そゆの、ええと……ウサギさん? とか、好きで」

「あ、ああー! これはですね、その!」


 ファイルの束の上に今、妙ちくりんなぬいぐるみが鎮座している。

 今朝、忘れた筈の弁当箱と共に現れたものだ。

 それがなんなのかは、むしろツララが誰かに聞きたいくらいである。


「とりあえず……ウサギじゃないでしょ、これ。イヌ? かなあ」

「そ、そうですか? イヌはないと思いますけど。ふふ」

「じゃあ、中を取ってネコないしネズミあたりにしときますか」

「ええ。ふふふ、大黒寺さんって面白い人ですね。初めて仕事以外の話しましたけど、少し安心しました」

「そですか? まあ、面白おかしくは生きてるつもりですけどね」


 佐藤さんは一礼して、退勤していった。

 これから娘を保育園まで迎えに行って、帰ったら育児と家事が待っている。本当に頭が下がる思いだし、できる範囲でなら助けてやりたいとも思う。

 そういう、人間として当たり前の気持ちも、ここでは行動になかなか繋がらない。

 ツララの作業だっていっぱいいっぱいだし、皆がそうだからだ。

 そういう意味では、定時退社できる程度に佐藤さんは毎日頑張ってくれてる。

 それでツララは、周囲を見渡し隣のクロウにも声をかけた。


「クロウ、お前もそろそろいいぞ。今日はあがっちまえ」

「あ、自分まだちょっと……作業、少し遅れ気味で」

「俺が引き継ぐよ。どうせ俺、主任チーフにメールするまで帰れないから」

「いやでも、それって」

「いいよいいよー、今日はいいから帰って寝ちゃいなさいよ」

「……ウ、ウス。じゃあ、お言葉に甘えて」


 他の面々も皆、キリのいいところで引き上げ始めている。

 契約社員は根無ねなぐさ、ここが最王手の広告代理店でも義理はない。正社員なら忠義の気持ちも湧くだろうが、ツララたちはしがない外人部隊である。

 もそもそとクロウが帰るのを見送って、もう一度周囲を見渡す。

 既にもう、このセクションにはツララ一人きりだ。

 そして、むんずと例のぬいぐるみを鷲掴わしづかみに引き寄せた。


「……なあ、お前さ。何者? ってか、なに? もう喋ってもいいからさ。喋れるだろ、実は」


 手のひらサイズの小さな動物は、手触りがもちもちのもふもふである。

 だが、平坦なジト目でツララがすがめると、ツツツと小さな汗を流し始めた。

 そして、観念したようにまばたきして笑顔を浮かべる。


「や、やあ、良い子のみんな! 俺は妖精さんだよ!」

「ほほう? 良い子って歳じゃないんだが? 察するにあれだろ、お前。魔法少女の関係者だな?」

「その通りさ! ……さっき、バレてた?」

「いんや? それは大丈夫だろうけどな。まずはなあ、お前」


 そっと机の上に解放してやると、ツララもしばし小休止。頬杖ほおづえを突いて自称妖精さんを見下ろす。やはり、なんの動物だかいまいちはっきりとしない。

 だが、ツララが真っ先に口にしたのは、なるほど彼の人格を物語る言葉だった。


「弁当、届けてくれたんだろ? サンキュな、妖精さん」

「お、おう……怒ってない?」

「ああ。助かったよ」

「そ、そりゃよかった。俺の名はロック、リンカを相棒とするロッドのクラスの杖魔じょうまだ」

「うん? えっと……? ロッド? ジョウマ!?」


 いきなり耳慣れない単語が連続したので、ツララはまゆを潜めてしまう。

 だが、得意げにロックは語り出した。


「魔法少女には、固有のクラスがそれぞれ存在するのさ。リンカはロッド、コトナはステッキ。他にもケイン、スタッフ、バトン、ワンドといったクラスがあるぜっ!」

「あるぜっ、て言われてもなあ」

「そして、それぞれのクラスをつかさどり、魔法少女の必殺アイテムである杖の化身けしんが杖魔。ようするに妖精さんだ!」

「あー、はいはい。そういう設定なのね」

「お、おいっ! ちょっとちょっと、なんだその生暖かい眼差まなざしは」

「いやー、別に?」


 ロックの相棒、リンカのことを思い出していた。

 突然押しかけてきた、妻の後輩で女子高生、とってもツンケンと当たりがキツい美少女だ。ロッドのクラスという話だが、ロッドとはファンタジーなRPGでよく出てくる長めの杖のことだろう。

 確かに、創作物では魔法少女には魔法の杖が付きものである。

 そして、パートナーである妖精さんもお約束だ。

 その両者が一つになったのが、ロックたち杖魔という訳だ。


「とりあえず、弁当持ってこれたってことは、空を飛んだりできるんだろ?」

「おうっ! 妖精さんに不可能はないぜ!」

「あ、じゃあこのエクセルデータを全部チェックしてくれる?」

「……そういうのは、無理なんだぜ。で、できるけど? めっちゃできるけどね? 俺たちは魔法少女以外に手を貸しちゃいけないからな」

「それっぽい話だなー。ま、冗談だから。俺は遅くなるし、先に帰っててもいいぞ、っと」


 ツララは再び、データ整理の仕事を再開する。

 外はもう、ビルの谷間へ消えた太陽がほのかに赤い。その熱量を追い払うように、すで宵闇よいやみが降りかけていた。

 この分だと、帰宅は九時を回るかもしれない。

 早く帰って、コトナに甘えたかった。

 リンカが一つ屋根の下だが、寝室で二人きりになったら――


「そう、二人きりになったら……デヘヘ」

「おーい、ツララ? だらしない顔になってんぞ。やっぱお前、リンカが言う通りやばい奴なのか?」

「それは誤解だ、ロック。俺はさあ、あんな綺麗なお嫁さんをもらって、さ。まだなにもしてない訳よ。お互い忙しいしさ、この、なんつうか……ん? ああ、そういえば」


 コトナも現役の魔法少女だが、彼女の杖魔を見たことがない。

 ステッキのクラスというからには、それに応じた杖魔がいるはずだ。

 そのことをロックに聞こうとした、その時だった。

 不意にロックが、ビクン! と全身を震わせた。タヌキに見えなくもない尻尾が、ピンと立って毛並みを尖らせている。


「お? どした、ロック。お前、尻尾が」

「……来やがったぜ、敵だ! の反応を感知したっ!」

「ディバイジャー? ってのが、なるほど。魔法少女の敵ってやつ?」

「ああ、そして……世界の敵だ。奴らの跳梁ちょうりょうを許せば、人類は滅びる」


 いきなりスケールのでかい話が来た。

 だが、ツララは知っている。

 交際を始めた頃からずっと、コトナは全てにおいて魔法少女の仕事を優先していた。そして、それを承知でツララは付き合い、結婚したのである。

 出会いは偶然だったが、ツララはコトナにかれて人生が変わった。

 世界を守るコトナを、自分が守ってあげたいと思ったのだ。


「なあ、ロック。お前さ」

「止めるな、止めないでくれ……ツララ。俺は行かねばならねえ!」

「いや? 全然止める気ないけど?」

「……危険な戦いだ、でも俺にはリンカが待っている」

「うん、だからほら、止めはしないから」

「これが最期さいごになるかもしれないぜ……あばよ、ツララ! 世話になったな!」


 もう既に、この部署にはツララしかいない。

 本来、契約社員の人間だけになることは、これは社内規定で禁止されている。だが、利益優先が至上命題のオフィスにおいて、それは半ば形骸化けいがいかしていた。

 それもあるが、ツララは何故なぜか妙にナギリに信用されている節がある。

 そのナギリ自身も、このフロアでは契約社員に比較的自由を許してくれている。

 基本、契約社員は即戦力を求められ、必要な時に必要以上の酷使を強いられるものなのだ。


「なあ、ロック。それ、ここから遠いか?」

「ん? いや、都心部だな。近い、近いぞ……俺なら飛んで三分ってとこだ」

「よし、じゃあ行くか」

「……は?」

「俺に見せてくれ。その、魔法少女の戦いってやつを」


 ツララはまだ、見たことがなかった。

 魔法少女が、コトナが戦ってるその現場を。戻ってくるコトナはいつも無傷に見えたが、消耗していた。無理に笑って変身を解く彼女は、11歳の小さな肉体に大きなダメージを負っているようにも感じる。

 夫として、妻が背負った使命を知りたい。

 パートナーとして正しく理解し、その上で彼女を支えたいのだ。

 その申し出に、数秒の沈黙の後……ロックは黙ってうなずくのだった。

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