ACT.02「戦いの中の、世界」

最悪な出会いは突然に

 結局、朝になってもコトナは戻ってこなかった。

 魔法少女は忙しい。

 ブラック労働のツララなんかより、何倍も忙しいのだ。

 一人の朝食も慣れたし、いつでもレンジでチンして食べられる料理をコトナは沢山冷凍保存してくれている。こういう小さな気遣いだけでも、新婚の温かみは確かだ。

 そして出勤、目が回るような激務の中を突き抜けて……帰宅。


「ただいまー、って、コトナさん? ……帰ってきてるのかな?」


 築80年、トトロの家から洋風部分を引っこ抜いたような平屋建ての借家だ。

 水回りとバス&トイレだけをリフォームしてもらって、家賃は月に7万円。都心部へ電車で30分の立地は、この東京ではかなりの目玉物件だった。

 ガラガラと引き戸を開ければ、奥からかすかにテレビの音が漏れ出て聴こえる。

 時刻は六時を回っており、夕闇の中に蛍光灯の明かりが温かく灯っていた。


「あれ? お風呂、かな……鍵もかけないで不用心ですよ、っと」


 居間に顔を出すと、丁度ちょうど夕方の報道番組がニュースを読み上げていた。

 正直、仕事で疲れてる今は聞きたくない話題ばかりである。

 スーツのネクタイを緩めつつ、自然とツララはテレビから目をそらした。

 そして、奥のバスルームから軽やかに流れ出るハミングを拾う。どうやらコトナは入浴中で、それも酷く上機嫌のようだ。

 彼女が無事だと知ると、ツララも妙な安心感が込み上げてくる。

 コトナがなにと戦っているかは、知らされていない。

 だが、魔法少女によって人知れず世界は今日も守られていた。

 ちゃぶ台の上のリモコンを拾って、ツララはチャンネルを切り替えようとする。


『――よって、日本の成長率は過去最低を五ヶ月連続で更新しました』

『専門家の予測によれば、このまま進めばインフレ率が――』

『引き続き、数字の動向から目が離せない日々が続くようで……』


 キャスターの無機質な表情が、暗い数字を並べている。

 低過ぎて引く数字、高過ぎて辟易へきえきする数字。

 数字、数値、グラフ、パーセンテージ……

 ツララは溜め息をこぼして、チャンネルを変えた。

 すると、一足先にバラエティ枠に突入した局が、今まさにタイムリーな話題を扱っていた。インタビューを受けているのは、渋谷か原宿の女子高生である。


『それって、知ってるー!』

『っていうか、都市伝説? 学校じゃ普通にみんな信じてるし?』

『そうそう。いるとかいないじゃなくてね、いるから毎日平和っしょ、みたいな』


 向けられたマイクに、黄色い声を弾ませて少女たちは笑う。

 一瞬、彼女たちの言葉にツララはドキリとした。


『魔女っ? というよりは……魔法少女!』

『そうそう、魔法少女! アタシの先輩の友達も、見たって言ってたし』

『ちっちゃい女の子がね、なんかオバケみたいなのと戦ってるって』

『マジ興奮するっしょ。幼稚園の頃、そういうアニメあったよね!』


 魔法少女は世界の秘密。

 その正体はツララとコトナ、二人だけの秘密だ。

 そう思っていた。

 テレビは具体的なことをなにも伝えてこないが、画面の向こうで確かに魔法少女の存在は認知されているようだった。それが例え怪しげなうわさレベルでも、ちょっと心臓に悪い。

 コトナは以前、魔法少女の秘密は絶対だと言っていた。

 ただ、それが何故秘密にしなければいけないかは、誰もしらないらしい。

 そのことを思い出していると、背後に気配と歌声を感じた。


「ああ、コトナさん。ただい、ま……は? え、あ、お、おおう……」


 振り向いて、硬直。

 呼吸も鼓動も止まった。

 時さえも停止したかに思われる静寂は、驚きの極地だ。

 そこには、妻のコトナはいなかった。

 ブラウンのくせっ毛をタオルで拭く、全裸の少女が立っていた。

 頭隠して裸隠さず……紅潮こうちょうした肌の瑞々みずみずしさが、ほのかに湯気を飾っていた。

 コトナじゃない、スレンダーな十代の女の子に見えた。


「えっと……ありがとう、ごちそうさま?」


 思わず口走った言葉が、自分でも謎だった。

 混乱の中で、自然と礼を言ってしまった。

 眼福がんぷくだと思ったからだろう。

 そして、遅れてきた理性が犯罪を警告してくる。

 その時にはもう……少女はタオルの奥から視線の矢を放っていた。ギロリとにらまれれ、動けなくなる。ツカツカと女の子は歩み寄るや、その場でくるりとターンを決めた。

 瞬間、世界が一瞬だけ暗転する。

 気がついたら、焼けるような痛みと共にツララはたたみに突っ伏していた。


「ぐぬ、お見事……ナイスキック」

「このっ、変態! ちょっとなによ、変質者? 警察呼ぶわよっ!」

「いや、ここ、俺の家……っていうか、君は?」

「ここはコトナ先輩の家でしょ! ほらっ、さっさと出ていって!」

「と、とりあえず、君も……隠すとこ、隠して」


 大の字に倒れて、視界に星がまたたいている。

 後頭部に巻き付くような、しなるむちごとき後ろ回し蹴りだった。

 むっとした少女は、そんなツララの顔面を裸足で踏んだ。

 なにも見えなくなったが、違う、そういうことじゃない。

 ラッキースケベも暴力が伴うと、まったく嬉しくないんだとツララは知ったのだった。

 そしてようやく、いつもの優しげな声が戻ってくる。


「ただいまー、あら? リンカちゃん、お風呂もうあがっちゃったかな?」


 のほほんと、コトナが現れた。

 ジーンズにタートルネックのセーター、そしてエプロン姿である。

 手にはお徳用サイズの醤油しょうゆを持っていた。

 リンカと呼ばれた少女の足をどけるや、ツララはなんとか上体を起こした。


「おかえり、コトナさん。えっと……この子、どちら様?」

「あらあら、まあまあ。とりあえずリンカちゃん、服着てらっしゃい。えっと、まだ言ってなかったっけ。魔法少女って、わたしだけじゃないんだよ?」

「へえ、つまり……同業者、同僚さん?」

「そゆ感じ。ごめんなさい、昨日話しそびれちゃって」


 リンカはすでに廊下に出て、顔だけのぞかせている。

 瞳に強い光があって、眼力めぢからが鋭い。痛みを伴う理解で、かなりキツい性格なのが自然と知れた。出会いは最悪だが、かなりの美少女だということは認めねばならない。


「コトナ先輩っ、そいつ不審者です! 通報しましょう!」

「ううん、心配ないよ? この人、わたしの旦那様だもん」

「……は? ダンナサマ?」

「そうよ、夫なの。結婚したんだ、わたし」

「じゃ、じゃあ、この家って」

「二人で暮らしてるよ?」


 リンカはその時、ちょっと人には見せられない顔をしていた。

 それも一瞬で、すぐにツララをすがめてくる。

 結構、怖い。

 なんだろう、猛獣注意って感じだ。

 だが、頭をさすりつつツララは改めて挨拶を試みる。


「とりあえず、その、ごめん。俺も悪かったよ。けど、いきなりキックは酷いな」

「ご、ごめんなさいっ! てっきり強盗とかだと思って。だ、だって、コトナ先輩に……そ、そゆ人がいるなんて、思わなくて。ありえなくて!」

「いやそれ、コトナさんにも失礼だから」

「でも、本当にごめんなさい……あたし、どうしてこうヘマばっかりしちゃうんだろう」


 ようやくリンカは、ふすまの奥から出てきた。

 先程のタオルを身体に巻いて、どうにか最低限の露出度に落ち着いている。

 そして、コトナが簡単に状況を説明してくれた。


「実はね、ツララ君。リンカちゃんはわたしの後輩で、今や押しも押されぬ魔法少女の中核メンバー、エースなの」

「は、はあ」

「でも、最近ちょっとね……事情があって、しばらくうちに来てもらおうと思って。その、相談もなくてごめんなさい。昨日の夜にね、わたしが現場で決めたの」

「別に、いいけど……いいんだけど」


 新婚ホヤホヤの愛の巣に、突然現れた美しきけもの。酷く獰猛どうもうだが、コトナにだけは異様に懐いているようだ。

 そんなリンカも、深々と頭を下げる。


「四条リンカです! よろしくお願いしますっ、えっと」

「ツララ。大黒寺ダイコクジツララだよ」

「えっと、ツララさん! しばらくあたしをここに置いてください! 決してお二人の邪魔はしません、コトナ先輩には迷惑かけませんから!」

「いいよ」

「そう言わずに、どうか……ほへ?」

「別にいいよ、うん」


 ツララは深く考えなかったし、熟考が必要なこととも思わなかった。頭はとっくに疲れて思考停止気味だし、なによりコトナの言い出したことだ。絶対になにか、大事な理由がある。それはあとで説明してもらうとして、断る理由はない。

 強いて言えば、初夜の営みがまだなのだが、しばらくお預けになりそうだ。

 でも、それはそれで少しホッとしている。

 正直、自分に分不相応ぶんふそうおうなコトナの美しさ、その優しさと温かさに妙な不安があったのだ。しかも、彼女は魔法少女として世界を守って戦っているのである。


「とりあえず、コトナさん」

「は、はいっ。……ごめんね、ツララ君」

「いいよ、謝らないで。賑やかでいいかなって。それに、訳ありなら俺も協力するよ」

「ん、んんっ……ありがと、ツララ君っ!」

「わわっ! ちょ、ちょっと、コトナさん!?」


 コトナが、身を投げ出すように抱きついてきた。その手を離れた醤油のペットボトルを、慌ててツララはキャッチする。

 ぎゅっと密着してくるコトナの全てが、後頭部の痛みを塗り潰していった。

 でも、おずおずとコトナを抱き返すツララを……リンカはけわしい視線で八つ裂きにしてくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る