本編

ACT.01「プロローグ」

奥様は魔法少女

 秋の夜長に、満月の星空。

 庭に面した縁側えんがわに腰掛け、青年は夜空を見上げていた。

 彼の名は、大黒寺ダイコクジツララ。

 毎日の激務を生きる、サラリーマンだ。

 ――


「秋深し、後ろはなにをする人ぞ……す、するのか? 今夜こそしちゃうのか!?」


 風流ふうりゅうを気取っていても、毎夜毎晩まいよまいばんの興奮と緊張は収まらない。

 そう、ツララが疲れて帰るこの我が家には、最強にして最高のやしが待っている。それは全て、一人の女性からしょうじるものだ。

 背後で障子しょうじが静かに開く。

 そして、しっとりと心地よい声音が耳に入り込んできた。


「あの、ツララ君。着替え、終わったよ?」


 少し緊張した硬さが、相手にも感じられた。

 声の主はツララの伴侶はんりょ、妻だ。

 奥様である。

 お嫁さんなのだ。

 24歳の若造ながらも、ツララは少し年上の花嫁をめとったのだ。つい二週間前、籍を入れたばかりである。


「あ、はい。じゃ、じゃあ……寝ます、かああああっ! アッー!」


 振り返って、ツララは絶叫と共に飛び退いた。

 そのまま縁側を転げ落ちて、庭に尻餅しりもちをついてしまった。

 そこには、色香が匂うようにつやめきたつ、美の結晶が立っていたのだ。

 透き通る桜色ピンク薄布うすぬのは、着こなす女性に生まれたままの姿を浮き上がらせていた。豊満で肉付きのよい曲線は、メリハリのある緩急でくびれと膨らみをいろどっている。

 まるで、黄金比がそのまま人の姿をかたどっているかのようだ。

 驚きに目を丸くするツララに、すぐに彼女は駆け寄ってきた。


「だっ、大丈夫? ツララ君、その……おかしかったかなぁ」

「い、いやっ! そうではないです! おかしくなってないですよ!」

「えっと……どうして敬語なの。ふふ、おかしなツララ君」

「まあ、その、驚いてしまって。普段のパジャマじゃないから、つい」

「……今夜は、ツララ君と同じ布団で……そ、そう思って」


 ネグリジェ姿の女性が、微笑ほほえみながら屈んで手を伸べる。

 すべやかな白い手を握って、ツララは立ち上がった。


「あ、ありがとう、ございます。八十神ヤソガミさん」

「ふふ、わたしはもう大黒寺だもん。ツララ君の奥様だよ? だから……なっ、名前で呼んでっ」

「……コトナ、さん」

「はい」

「こ、今夜は、じゃあ」

「ええ、その……嫌じゃなかったら是非ぜひ、一緒に」


 八十神コトナ改め、大黒寺コトナ。

 縁側に戻って、ツララはそのままコトナを引き寄せた。胸の中に抱き締めると、細くて柔らかくて、一瞬で壊れてしまいそうである。

 自分より少し背が低くて、上目使いに見上げてくる瞳が揺れていた。

 満天の星空よりも眩しい光が、うるんだ双眸そうぼうまたたいている。

 思わずツララは、ゴクリとのどが鳴った。

 今宵こよい、とうとう結ばれる……ついに来たかと思った。

 新婚なんだから、当然だ。


「コッ、コココ、コトナッ! ……さん。そのぉ、じゃあ」

「はい。あ、わたし初めてだかあら、色々不勉強かもだけど」

「大丈夫です! 俺も初めてですから! って、堂々と言うようなことじゃないなあ」

「でも、安心したな。ツララ君、心も身体もちゃんと旦那様してくれてるもん」


 クスリと笑って、コトナが視線を下へと滑らせる。

 ツララは、寝間着代わりのスエットが股間で盛り上がってるのを見てしまった。身体は正直というか、もうすでに秒読み開始のロケットだ。

 なんで二週間も我慢したのか。

 その理由が突然、コトナを小さく「っん!」とあえがせた。

 同時に、ネグリジェのフリルとレースがひるがえる。


「あっ! コ、コトナさん……また、だよね?」

「……ごめーん、まただよー」

「いや! コトナさんは悪くないし! っていうか、大変だなって。おっ、俺にできること、あったら何でも言ってね。その、なにもできないけど」


 ツララの腕の中で、逆巻く風をはらんでコトナがしゅんとしていた。

 その胸に、真っ赤に光る紋様が浮かび上がっている。

 不思議な形で、どこか遠い国の文字にも見える。読めないのに、それが言葉だとわかるのだ。それは今、コトナの柔肌やわはだで燃えている。

 彼女には使命があった。

 世界の命運を賭けた秘密だった。

 そして、ツララはそれを承知で結婚したのだ。


「ちょっと、行ってくるね。うう、残念……先に休んでてー」

「あ、うん。気をつけてね」

「はーい。あと、ツララ君……ツララ君にできること、ツララ君にだけできること、いい? 一つだけ、いいかなぁ?」


 長い長い黒髪をなびかせ、コトナは小さくつぶやいた。


「強く、ぎゅーって、して……わたしのいる場所、帰る場所……忘れないように」

「え……も、勿論もちろん! コトナさんっ、頑張れ! あ、いや、もう頑張ってるから、気楽に! 適度に、適当に頑張れっ!」


 ツララは、コトナを抱き締めた。

 その体温を全身へ溶かし込むように、強く強く抱き寄せた。

 香る甘やかな匂いを吸い込めば、全身が熱くなる。

 でも、永遠にも思える一瞬で抱擁ほうようを終えて、コトナを解き放つ。


「……じゃあ、いってくる、ね」

「う、うんっ。ほんと気をつけて。無理、しないで」

「では……言葉の魔法、言霊法ことだまほうっ!」


 コトナは、脱ぐための着衣を空気へ溶かした。

 全裸のシルエットが、溢れ出す光の中へと圧縮されてゆく。

 それは、だ。

 言霊法と呼ばれる、物理学と条理を無視した力の発現である。

 あっという間に。見目麗みめうるわしい姿が縮んで……再び夜のとばりが戻ると、ツララの前に小さな戦乙女ワルキューレが立っていた。

 ミニスカートからかぼちゃパンツののぞく、ピンク色のコスチューム。

 ツインテールに結った髪は今、黄金に輝いていた。

 そこには、11歳の少女が……がツララを見上げていた。


「よしっ、片付けちゃうぞっ!」


 突風に思わず、ツララは手で目をかばう。

 指の間から見上げた月に、天使の翼が羽撃はばたく姿を見た。

 純白の羽根から燐光りんこうを降らせて、あっという間にコトナは飛び去った。

 そう、奥様は魔法少女……世界を危機から守るため、いつでも11歳の姿に変身して戦うのだ。

 そして、その秘密を知っているのは……この世でただ一人、ツララだけだ。


「……いっちゃった、な。――ックショィ!」


 コトナの匂いとぬくもりが、あっという間に秋の夜風に奪われた。

 己の身を抱けば、肌寒さにぶるりと震える。

 それなのに、下腹部には逆に妙な熱が収まらないツララだった。

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