第38話 ウインターペンシル
十二月一日、筆子が新人賞を獲得した。「魔球対剛球」は漫画雑誌に掲載された。
「文句なしに面白いスポーツ王道漫画」と編集部は作品を絶賛していた。「絵に躍動感があり、魅力的なキャラクターを創造する大型新人」とウインターペンシルのことを持ち上げていた。筆子はプロ漫画家としてデビューしたのだ。
僕は特に驚かなかった。黒山月夜さんに会った日から、筆子はいずれデビューすると確信していた。それが今日だったということだ。彼女はすでにプロ級の力を付けている。「魔球対剛球」が評価されたのは当然だと思った。
プロデビューは先を越されてしまったが、僕は焦ってはいなかった。自分の絵に自信を持ちつつあったし、昔のように絵を描くのが嫌いではなくなっている。僕も絵で生きていけると信じていた。
僕は筆子の受賞祝いのために、上品そうなイタリアンのレストランを予約した。柄でもないと思ったが、彼女のお祝いはちゃんとやりたかった。
十二月上旬の土曜日、僕たちはお店に行き、向かい合って座った。
僕たちはまだ高校生だ。ジュースで乾杯した。
「おめでとう、筆子。よかったね」
「ありがとう……。漫画を仕事にするきっかけがつかめた。嬉しい……」
筆子の口調はいつもどおり静かだったが、表情には喜びがあふれていた。
「連載できるといいね」
「うん。そしたらずっと漫画描いていられる……」
「お金ももらえる」
「漫画描いてお金もらえるなんて、夢のような暮らし……」彼女はうっとりとつぶやいた。
「夢の漫画家生活だね」
「虹くんも、イラストレーターになるんでしょう……?」
「いずれはなりたいと思ってるよ。でもいつかはわからない。絵画修復の会社に就職するかもしれないし」
「絵画修復……? 就職……?」
筆子が首を傾げたので、僕は文化祭の日に出会った伊藤さんのことを説明した。
「へえぇ、そんな誘いが……。すごいね」
「どうするか迷ってるんだ。将来のこととか、僕にはまだ決められない。筆子はすごいよ」
「わたしだってまだ何も決まってないよ。短編がひとつ本に載っただけ……。連載できるようにストーリーを練らなくちゃ……」
彼女はいつも漫画のことを考えている。付き合い始めても、ふたりで交わす話題は絵とか漫画のことが多い。それは小学生時代以来変わることがない。
食事を終え、僕は筆子をマンションまで送っていった。ふたりは自然に手をつないでいる。変わったのはそれぐらいだ。
一月になって、「魔球対剛球」の連載が決定した。
長編化のストーリーが編集部に認められた、と筆子は言った。
主人公の夏月玉樹の高校入学から物語は始まる。野球部に入部し、同じ一年の魔走の君塚と友人になり、ともに一年生レギュラーの座を目指す。
玉樹には魔投法も魔打法もなく、それどころか何の魔法も使えないが、持ち前の人並みはずれた根性と剛速球を投げる才能を武器に、二、三年生の投手とレギュラー争いをするというのが導入部だ。
玉樹は無口でコミュニケーション能力が低い。一年は引っ込んでろと理不尽なことばの暴力を投げつけられても、言い返したりはしない。押し黙っている。だけど怯えているわけではなく、心の中では実力で勝負だと思っている。いっそう練習に力を入れる。まさに筆子の分身のようなキャラクターだ。
四月号から連載が始まるという。
月刊誌だが、相当忙しくなる。筆子はすっぱりと高校を中退した。
連載となると、すべてを自分ひとりで描くのは困難だ。僕はときどきアシスタントを頼まれるようになった。筆子の気合はますます上がっているように見えた。彼女の命は漫画を描くためにあるようだった。たいへんな子を恋人にしてしまったと思ったが、そんな彼女が好きなのだから仕方がない。のんびりデートするような暇はほとんどなかった。一本描き上げた後の打ち上げが貴重なデートになった。
文化祭が終わった後も、僕は油絵を描き続けていた。勉強はまったくと言っていいほどしなくなり、成績は急降下している。伊藤さんに会社に誘われて以来、僕は大学進学という選択肢をほぼ捨てていた。
将来のことは決めていないと筆子には言ったが、高校を出たら絵に関わる仕事に就こうということだけは決意していた。
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