第35話 告白
◇高二、夏~冬◇
高校二年の八月中旬。夏休みの真っ最中。
筆子から「うちに遊びに来ない?」とメールが届いた。
「すぐに行くよ」と返信した。
歩いて彼女のマンションへ行った。太陽が照り付け、気温は三十五度を超えていた。
筆子は相変わらずひとりで漫画を描き続けていた。クーラーの効いた涼しい部屋で原稿用紙に向かっている。
トン、トン、と用紙の束を整え、僕に渡した。
「短編漫画を描いた。さっき描き終わったの。読んでみて……」
「うん」
それは高校野球の漫画だった。タイトルは「魔球対剛球」。
現実の高校野球連盟は公式試合での魔法の使用を禁止しているが、筆子の漫画の世界では魔法の使用が認められていて、魔投法や魔打法がありふれているという設定だった。
主人公は魔法が使えないけれど、野球が大好きでがんばっているという高校球児。名前は夏月玉樹。男の子だけど、筆子の分身のようなキャラクターだ。ピッチャーで、剛速球を投げる。
舞台は甲子園への出場をかけた地区予選の決勝戦。
ライバルは魔法で魔球を投げる投手。変幻自在の魔球を投げる。春野二時という名前。
僕に似た名前だなぁと思ったけど、黙って読み続けた。
舞台は甲子園への出場をかけた地区予選の決勝戦。
夏月玉樹の剛速球は魔法打者をもってしても簡単には打てない。一方、春野二時の魔球はバットに掠るのさえむずかしい。曲がるだけでなく、球速すら変化する。ホームベースの手前で急に遅くなったり、速くなったりする。
投手戦が続く。スコアボードに表示されているのは、九回まですべてゼロ。
延長戦。十回表、ついに玉樹が打たれる。敵の四番打者、魔打球の原と呼ばれるスラッガーにフライを打たれた。平凡なセンターフライと思われた打球はぐんぐんと伸び、バックスクリーンに届いた。ホームランだ。敵チームに一点を献上してしまった。
十回裏。今度は玉樹のチームの反撃だ。魔走の君塚と呼ばれる一番打者がバントで出塁する。彼は盗塁の名手だ。魔法の短距離ランナーだ。二盗、三盗を簡単に決める。そしてホームスチールに成功する。同点。
玉樹は投げ続ける。過去の練習が彼を支えている。玉樹は人の数倍投げ、数倍走り込んできた。
十三回表、魔打球の原との対決。またフライを打たれる。だが剛球が魔打球を上回り、フェンスぎりぎりでセンターが捕球する。アウト。
その裏、春野二時対魔走の君塚の対決。二時は体力がないのが弱点だ。魔球に頼り過ぎているため、走り込みが足りない。十三回裏。彼は疲れ切っている。
君塚の走りまくる姿が描かれている。またホームスチールに成功。そして玉樹のチームは優勝する。甲子園への出場を決める。
ストレートでおもしろい漫画だった。キャラはかっこいいし、絵も前よりかなりうまくなっている。春野二時という名前とひ弱で体力がないという設定が気になるが、まぁいい。筆子に僕が負けたみたいなストーリーだが、それにも目をつぶろう。
「おもしろいよ」と僕は筆子に伝えた。
「本当?」彼女は嬉しそうだった。
「嘘は言わない。これ、投稿するの?」
「うん。前に送ったのと同じ新人賞に応募する」
「編集部がどう思うかはわからないけれど、いいところまで行くんじゃないかな。絵は相当上達したね。もうプロ並みかも」
「あ、ありがとう。すごい誉めことばだね。嬉しい……」
よほどの気持ちを込めて描いたのだろう。筆子の目には涙がにじんでいた。
「野球漫画、小学生のときも描いてたよね」
「うん。『完全試合!』だよね。あれもいずれ描き直してみたいと思ってるの。中学のときに描いた『剣道少女』も……」
「『クリーム王子とイチゴ少女』は?」
「あれはもういいや。思い出すとなんだか恥ずかしい……」
「なんで?」
「な、なんでって言われても……」
筆子は僕を見て頬を紅潮させていた。
つられて僕も顔が熱くなった。
あれはラブストーリーだった。あのときアシスタントをしながら、彼女は僕のことをどう思っているのだろうと懊悩したことを思い出した。
僕は筆子が好きだ。
小三のときからずっと、冬月筆子を好きだった気がする。彼女の絵に打ち込む姿に惹かれていた。彼女に影響を受けて、僕は嫌いだった絵を再び描くようになった。
この気持ちを伝えたい、と僕はふいに思った。
もう胸の内にしまっておくはやめだ。
「筆子、僕と付き合ってくれないかな?」
「えっ?」
「きみが好きなんだ」と僕は告白した。
唐突だっただろうか。でも言わずにはいられなかった。
筆子がびっくりして僕を見つめていた。
彼女の顔は真っ赤になっている。絶句して、なかなか返事をくれなかった。
僕はどきどきして筆子のことばを待った。
やがて、彼女は口を開いた。
「わ、わたしも……」
それからさらに間があって、
「虹くんが……好き……」
僕はほっとした。ふられて筆子との関係が終わってしまったら、僕は立ち直れなかったかもしれない。
僕は照れくさくてそれ以上多くを語ることはできなかった。
ただふたり並んで郵便局へ行き、「魔球対剛球」を投稿した。
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