第34話 琴平海の透明水彩
五月。ゴールデンウィークが明けた日のことだった。
美術室でペンタブレットを握って筆子を描いているとき、「いい絵ですね」と声をかけられた。
知らない女の子だった。縁なし眼鏡をかけて栗色の髪をお下げにした、なんとなく文学少女みたいな雰囲気の人だった。
「春日井くんですか?」
「はい」
「一年B組に行ったら、放課後はたいてい美術室にいると聞いてここに来ました。私は二年A組の琴平海といいます。美術同好会に入れてください」
僕は思わず感激した。ついに他の会員ができる。
「本当に入ってくれるんですか?」
「ええ。実は去年、美術部がないと知って、がっかりしていたの。でも自分で部を作るなんて勇気も発想もなくて。あのポスターを見て、二年からでも始めてみようかと思ったの。あの絵、あなたが描いたの?」
「はい」
「すごく上手なのね」
「僕、絵画魔法が使えるんです」
「魔法だとしても綺麗な絵だわ」
「そうですか。魔法って言うとたいていの人が、それならあたりまえだなって感じの反応をするから、そう言ってもらえると嬉しいです」
「完成した絵に、魔法で描いたかそうでないかなんて関係ないと思う」
おっ、いいことを言ってくれる先輩だ、と思った。
「じゃあ、琴平先輩が会長をやってくれますか? 二年生だから」
「会長は春日井くんでしょう。あなたが発起人なんだから」
それもそうか。僕は柴先生と美術部を再建すると約束した。責任を持って美術部設立までしっかりやろう。
「では僕が会長をやります。僕は特別な都合がない限り、毎日ここで二時間ほど絵を描いています。先輩はどうしますか? 毎日はきついですか?」
「私も毎日描くわ。絵は趣味なの。家で描くかここで描くかのちがいだけだから。同好会をやるとなったら、美術室で活動するわ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、春日井会長」
翌日、琴平先輩は画材を持って美術室にやってきた。
彼女は透明水彩絵具で絵を描く人だった。
初日は露草の写真を見ながら描いていた。丁寧な絵で、絵具の特徴を活かした透き通るような色合い。特別な才能までは感じないが、高校生としては上手な方だと思った。
「植物の絵が好きなんですか?」
「うん。草花は好き。でも自然の絵はだいたい好きよ」
「そうですか。僕も自然はよく描きます」
僕はパソコンのモニターに今まで描いた風景画を表示させた。南極や日本百名山、密林などの絵だ。
「う、うまーい」
琴平先輩は素直に感嘆してくれた。
「僕は魔法で描いてるんです。そのわりにはうまくないです」
「ううん。私、きみの絵が好き」
「そうですか。ありがとうございます。この絵はどうですか?」
僕は深海魚シリーズを見せた。
「ちょっとグロいね」と彼女は言った。筆子と似た反応だった。
「でもすごいよ。グロテスクだけど格好いい!」
おや。筆子以上の感想が返ってきた。
「やっぱり会長は春日井くんだね。あなた以上の絵師がうちの学校にいるとは思えない」
「ひとりいますよ」僕は筆子のことを思い浮かべて言った。
「えっ、本当に? だったらその人にも美術同好会に入ってもらおうよ」
「一度誘ったけど、断られました」
「残念ねぇ。春日井くんが自分以上と言うんなら、とてもうまい人なんでしょうね」
「デッサンは僕の方がうまいですよ。でも絵の魅力というのは、デッサンだけで決まるものじゃないし」僕は筆子の描く魅力あるキャラクターを思い浮かべながら言った。
「いない人のことはいいじゃないですか。僕たちふたりでがんばりましょう」
筆子がいてくれたらいいんだけど、と今でも僕は思っている。でも仕方がないことだってある。彼女は今も漫画家目指してひたすら描いていることだろう。
「そうね」
僕と琴平先輩はふたりで同好会活動をし、デジタルイラストと透明水彩を描き続けた。
僕はキャラクターを描く練習を続け、琴平先輩は植物の絵を描いていることが多かった。お互い静かに絵を描いているときがほとんどだったが、たまに雑談をしたり、絵画談義をしたりした。一か月もすると僕と先輩は打ち解けて、「海先輩」「虹くん」と呼び合うようになった。
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