第32話 モテる筆子

 筆子はどこの部にも入らなかった。

 以前と同じように周りの目などまったく気にせず、休み時間には漫画を描いていた。クラスメイトに話しかけられてもカタコトの返事を返すだけで、話はまったく弾まない。そのあたりの彼女の性格は、小学生のときとほとんど変わっていない。

 それでも一部の男子は筆子にかまい続けた。モテている彼女を見て、僕はちょっと焦りを感じた。彼女が誰かと付き合い始めたらどうしよう。

 そんな状況を想像すると、胸がもやもやして息苦しくなった。

 僕はときどき筆子のマンションへ遊びに行った。家に帰ってもやはり彼女は漫画を描いていた。

「背景手伝おうか?」 

「いい。ひとりで描く。背景もうまくなりたいから……」

 そう断られれば、僕に出番はなかった。

「筆子、モテてるね」と僕は言った。

「そう?」

 彼女はびっくりしたように、目を丸くしていた。

 筆子自身には、モテているという自覚はないみたいだ。

 でも高校生になってから、彼女を見る男子たちの視線は明らかに変わっていた。

 髪を整え、つぶらな瞳をさらし、セーラー服を着た筆子は、クラスで一番かわいい女の子に見える。

 ある日、廊下で彼女に声をかけているクラスメイトの男子生徒を見かけた。デートに誘っているようだった。僕は気になってようすをそっとうかがった。

 彼女は困っているようだった。断ろうとしているけれど、コミュ力がなくてうまく断れないという感じだ。やがて筆子はうつむいて黙り込んでしまった。こんなときに、割って入って代わりに断ってあげればかっこいいのかもしれないが、あいにくと僕はそういうことができる性格ではない。男子はやがて、あきらめて去っていった。

 その日も僕は筆子の部屋に行った。

「ねぇ筆子、男の子から何か言われてなかった?」と話しかけた。

「ああ、見てたの……?」

「偶然見えたんだよ」

「美術館へ行かないかと言われた……」

 美術館か。ちゃんと筆子の興味を調べて誘っていたんだな、と僕は思った。

「それで、どうしたの?」

「断った……」

「なんで?」

「美術館に行くより、漫画を描いていたい。それに……」

 筆子は僕をじっと見た。

「それに?」

「いや、別になんでもない……」

 彼女は視線を紙に戻し、Gペンを動かした。

 今のところ、彼女は漫画一筋みたいだ。僕はちょっとほっとした。すぐに彼氏ができる雰囲気じゃない。

 僕が筆子を美術館に誘ったら、どうなるのだろう?

「行かない。漫画描くから」と答える彼女が頭に浮かんだ。だめだ。誘えない。

 僕は筆子の部屋で自分のノートパソコンを起動させ、イラストを描き始めた。

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