第31話 助言の魔法使い

「ようこそ魔法部へ」

 奥から声がかけられた。心地よいきれいな声で、僕たちははっとして、声の主を見た。

 水晶玉を前に置いて座っている美しい女生徒がいた。昔の筆子のような長い髪。でもボサボサではなく、サラサラの黒髪だった。目に強い力がある。唇が紅く、額に第三の目を描いている。その装飾が似合っていて、神秘的な雰囲気があった。

「魔法部部長、黒山月夜です」と彼女は言った。

 月か、と思った。筆子の名字は冬月だ。月と彼女には縁があるのかもしれない。

 部室の中にいたのは、その人だけだった。

 占い師のような風情の美少女。変わった部だ。僕と筆子はしばしあっけにとられていた。

「入部希望の方ですか? それとも相談の方ですか?」

「あ、相談です」

「私は助言の魔法使い。誰よりも適切な助言ができます。あなたの魔法について語ってください。きっとよい助言ができると思います」黒山さんは惹き込まれるような美しい声音で言った。

 助言の魔法使いか。いろんな魔法があるものだ。

 本当によい助言が得られるのだろうか? だとすれば、訊いてみたいことがある。

 僕は筆子より一歩前に出た。

「僕からでいいですか」

「どうぞ」

「僕は絵画魔法使いです。名前は春日井虹と言います」

「春日井くんですか。絵の魔法使い?」

「はい。正確なデッサンができます。本物そっくりに色を塗ることができます。でもそれだけなんです。僕なんて、カメラみたいなものです。さして役に立たない魔法使いです。小学生のときは絵を描くのが嫌いでした。中学のときには絵を描くおもしろさがわかってきたけど、絵のむずかしさにも気づきました。僕には名画なんて描けない。魔法使いなのに、大した絵描きではないんです」と僕は一気に述べた。

「それがあなたの悩みですか?」

「はい」

 黒山さんは僕を妖艶に見つめて、クスッと笑った。

「あなたはまちがっていますよ」

 穏やかな口調ではあったけれど、まちがっているとはっきり言われて、僕は少しムッとした。真剣に悩みを相談したのに、いきなり否定するなんて。

「どこがまちがっていると言うんですか?」

「絵画というのは、写真ではありません。そうですよね?」

「はい」

「あなたが本当に絵画の魔法使いだというのなら、写真ではなく、本物の絵が描けるはずです。そうではありませんか?」

「だといいのですが、僕は本当に優れた絵を描けたことがありません。上手なアマチュアに過ぎないといつも感じています。オリジナリティのあるものを作れないんです」

「オリジナルってむずかしいですよね。クリエイターなら誰でもそんな悩みを感じるものでしょう」

「創造的な仕事ができないんじゃ、絵画魔法なんて意味がありません!」僕は思わず叫んでしまった。初対面の人を相手に取る態度ではない。

 でも僕は思っていた。

 ありきたりなことばが聞きたいんじゃない。あなたは助言の魔法使いなんでしょう?

 魔法部の部長はすうっと息を吸った。

「春日井くん、あなたは自分自身の魔法を規定しすぎている。あなた自身が自分の可能性を縛っているんです」と黒山さんは断言した。

 僕は息を飲み、彼女のことばの続きを待った。

「あなたは、絵を正確に描こうとしすぎているのではありませんか? 絵とは写真のようなものだと無意識に思っていませんか? そう思っていれば、写真のような絵ができあがるでしょう。あなたは絵とはなんだと思っていますか? あなたが絵とは夢のようなものだと考えれば、夢のような絵が描けます。絵とは光のようなものだと思えば、光のような絵が描けます」

「あ……」

 その助言はすとんと僕の心のどこかに落ちた。

 僕の心は軽くなり、何かが解き放たれたような気がした。

「アドバイスになったでしょうか?」

 黒山さんは僕の心の底をのぞき込むような瞳をしていた。

 僕はうなずいた。

「なっていると思います。ありがとうございます」と礼を言って、ふらっと一歩下がった。

「では次、あなた」

 神秘的な雰囲気を纏う黒山月夜が、筆子を招いた。

「あなたの魔法について教えてください」

「わ、わたしは……」

 筆子は話しにくそうだった。ことばは途切れ、なかなか次の声が出てこなかった。

 黒山さんは筆子を見つめてじっと待っていた。

「わたしは、魔法が使えないんです……」震える声で、やっと彼女は言った。

「魔法が使えない……?」

 黒山さんですら怪訝な顔をした。魔法使いじゃない人は、それぐらい珍しい存在なのだ。魔法部の部長も初めて出会ったのだろう。

「わたしは生まれつき魔法使いではないんです。先祖返りだなんて言われたりします……」と筆子は苦しそうに言った。

「そうですか。ではあなた自身について語ってください」と黒山さんは言った。

「あなたには好きなことがありますか?」

 好きなこと、と言われて、うつむいていた筆子が前を向いた。

「わたしは絵を描くのが好きです」

「絵ですか。ふたりとも絵をお描きになるのですね」

「はい。わたしは幼い頃からずっと絵を描いています。いつも紙と鉛筆を持っていました。最近はずっと漫画を描いています。寝食を忘れるって表現がありますけど、わたしは本当に寝食を忘れて漫画を描くことができます。でも下手なんです。なかなかうまくなれません。絵を描いている時間は、たぶん虹くんよりだいぶ多いと思うんですけど、絵のうまさでは彼の足元にも及びません」

 僕は驚いた。珍しく、筆子がたくさんしゃべっている。それも初対面の人を相手に。これも黒山月夜の魔力なのだろうか。

「春日井くんも自分の絵を卑下していましたね。謙遜しているのですか?」

「ちがいます。本当に下手なんです。わたしはプロの漫画家になりたいと思っています。わたしなんかにはお門違いの夢かもしれません。でもその夢は捨てられません。もっと上手になりたいんです」

「彼の魔法で描かれた絵を見て、どう思いましたか?」

「わたしもこんなふうに描けたらって思いました。そう思って、必死に努力しました。でもまだ努力が足りないみたいです。もっと描かないとだめです。もっともっと描きたいです。描きます!」

「そうですか。凄い意気込みですね」

「やる気だけは誰にも負けません。好きなことはいつまででもやっていられるんです」

 筆子が雄弁になっている。かなりレアなことだ。

「あなたは魔法が使えないとさっき言いましたね?」

「はい。わたしは魔法使いじゃありません……」途端に声量が落ちた。絵の話をしていたときは高揚していたのに、魔法の話になるとすぐに元気がなくなる。

「あなたもまちがっています」

「えっ?」

 筆子はビクッと肩を震わせた。

「な、何がまちがっているんですか?」

「あなたは立派な魔法使いです」

「だ、だって、わたしはなんの魔法も使えないんですよ……」

「使っていますよ、魔法を。毎日たっぷりと使っているじゃないですか」

「そんな! どんな魔法を使っていると言うんですか? わたしには特別なものは何もないんです」

「使っています。努力の魔法を」

「え?」

「あなたは努力の魔法使いです」

「努力の……魔法?」

「努力というのは、誰にでもできるものではないのですよ。私はそう考えています。努力できるというのは一種の才能です。少しの努力なら、多くの人ができるでしょうが、たくさんの努力ができる人はそんなに多くはいません。そうではありませんか?」

「そうかも……しれません」

「あなたは人並みはずれた努力をする能力を持っています。誰もあなたのようには努力できません。それは魔法に他なりません。もう一度言います。あなたは努力の魔法使いです」

 凄い、と僕は思った。筆子の魔法を見抜いた。真実を解き明かしたのだ。

 努力の魔法使いと言われれば、確かにそうだと腑に落ちた。

「あなたが努力してできないことは何もないでしょう。このまま努力を続けてください。必ずなりたいあなたになることができます」

「本当……ですか……?」

「はい。私は助言の魔法使いですよ。私の助言は魔法です。はずれることはありません」

 凄い魔法だな、と思った。助言の魔法も、努力の魔法も。

「あ、ありがとうございます!」

 筆子は檻から解き放たれたような表情になっていた。

「これでアドバイスになったでしょうか?」

「はい!」

「あなたのお名前を聞いていなかったわ。教えてもらえますか?」

「冬月筆子です。ペンネームはウインターペンシルです」

「ウインターペンシルさん。覚えておくわ」

 助言が終わった。黒山さんは闇のように黙り込んだ。僕らは魔法部室を出た。

 本当に魔法のような空間だった。

「わたし、漫画が描きたい。家に帰って、漫画描く」

「僕も絵が描きたい。すぐに描きたいよ」

 僕と筆子は連れ立って校門を出た。

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