第22話 新人賞への挑戦

 翌日から、僕は筆子のアシスタントを開始した。彼女がシャープペンシルでキャラの下描きをして一枚仕上げたら、僕がそのページの背景の下描きをする。

 もちろん、どっぷりと筆子の絵を見つめることになる。

 空のキャラクターデザインはどことなく僕に似ていた。もちろんヒロインの相手役の男の子だから美少年で、その点ではちがうのだが、髪型とか背の高さとか着ている服とかがちょっと僕とかぶるのだ。

 冬華って、筆子の分身みたいだよな。そして空は僕に似ている。どうしてもそう思ってしまって、僕の頭は混乱する。

 冬華は空に淡い恋心を抱く……。

 筆子は僕を好きなのか? いや、自惚れてはいけない……っ!

 僕は妄想を振り払い、下描きを進めた。ネットでケーキ作りのことを調べ、さまざまな画像を参考にしながら描いた。

 冬華の祖父のケーキ屋は昭和レトロな感じにデザインした。

 幼い冬華が祖父の作ったイチゴのショートケーキを嬉しそうに食べるシーン。イチゴがひとつ乗り、スポンジとクリームが層になった基本形のケーキを、僕はリアルに描いた。ケーキがちゃんとおいしそうに見えなければ、作品が台無しになる。

 空の家の台所。カスタードクリームを作り、シュー生地を練り、オーブンで焼く空の母。それを見て自分でもやってみる小一の空。同じ材料を使っているのに、信じられないほどおいしいシュークリームができる。驚く母。このシュークリームは気合いを入れて描いた。

 僕の魔法は、漫画の背景を描くには打って付けだった。参考にする資料さえあれば、キャラクターに合わせた自然な背景を苦もなく描くことができた。

 筆子は大人を描き慣れていなくて、冬華のお祖父さんや空のお母さんを描くのに少し苦労していた。

 幼い冬華や空は可愛らしく描けていると思う。でもプロレベルに達しているか? 新人賞を取れるほどか? 僕にはわからない。

 夕方になると、僕は帰宅する。

「夜はちゃんと受験勉強するんだよ」と帰り際、筆子に忠告する。

「うん」と彼女は答える。でもたぶんしないと思う。

 事実、その翌日、下描きが進んでいる。勉強をしていたらこんなに進むはずもないほどに。

 仕方のないやつだなぁと思いながら、僕はそのページに背景を入れる。

 冬華と空が出会った高校の校舎を描き、教室を描く。机や椅子がたくさん並び、生徒たちがわいわいと騒いでいる教室を描くのは普通の人にはむずかしいはずだ。筆子だってそう簡単には描けないだろう。でも僕は魔法を使って一発で描き上げる。

 筆子の方が苦しんでいた。彼女は派手なアクションのあるスポーツ漫画ばかりを描いてきた。「クリーム王子とイチゴ少女」には特に派手なシーンはない。ふたりはキスもしないし、抱き合うこともない。手すら握らない。語り合い、せいぜい見つめ合うくらい。絵的に変化を出すのが筆子にはむずかしいようだ。表情の変化に力を入れているようだが、顔のアップばかり描いているわけにもいかない。

 ケーキ作りのシーンは特に重要だ。筆子は泡立て器を使ってクリームを作る空の手際の良さを絵で表現したいと思っているようだ。冬華はがんばってはいるが、空には及ばない。その差を絵で表したいみたいだが、簡単ではない。

 生地をこねる手つきも大切だ。手はむずかしい。複雑に動く五本の指。手を描くと、絵の巧拙が如実に出てしまう。筆子が描いた空の手のアップを見たとき、プロになるにはまだ画力が足りないかな、と僕は思った。彼女も自分の絵に不満だったのか、何度か描き直していた。

「僕が手を描こうか?」

「だめ。そこまで手伝ってもらったら、わたしの漫画じゃなくなっちゃう……」

 それもそうか、と思った。これは筆子の漫画だ。アシスタントが出しゃばるべきじゃない。

 新人賞が取れるかどうかは、きっと審査員がいろいろな要素を見て決めるのだと思う。ストーリーはおもしろいか。キャラは魅力的か。絵はうまいか。オリジナリティはあるか。

 冬華は有り余る情熱を胸に秘めてひたすらがんばるタイプだ。口数は少ない。空はしだいにケーキ作りに楽しさを見い出すようになるが、初めはどこにでもいるごく平凡な帰宅部の少年だ。どちらも地味な生徒。このキャラクターをどう演技させるか、筆子は懸命に模索していた。ただの地味なだけの漫画にならないように。

 彼女はやはり冬華に自分自身を重ねているのだと思う。

「わたしには努力しか取柄がない……」という冬華のセリフがある。それは筆子自身の感情の吐露のように思えた。冬華の瞳には強い信念が込められている。しかし同時に自分は凡人だという苦しさもほの見える。そのシーンは魅力的に描けていた。ふたつの感情が交錯する複雑な表情が描けていた。

「簡単にできるものには熱中できない」と冷めた目で空は言う。まるでかつての僕のようだ。

「あのお客さんを見てもそう思う?」

 冬華の示す先には、空が作ったケーキを食べて舌鼓を打ち、「おいしい!」と言う人たちがいる。

 空がはっと表情を変える。自分に価値を見い出す瞬間だ。

 冬華は彼のケーキと自分の作ったケーキを食べ比べる。明らかに負けている。悔しいと思う。空のケーキの素晴らしさに憧れ、同時に魔法で簡単に作られたものであることに嫉妬する。努力して追いつきたいと願う。

 筆子も僕をこんなふうに見ているのだろうか。

 この物語がおもしろいのかどうか、僕にはもはや判定できない。あまりにも僕たちに似ていて、客観的に評価するのは無理だ。冬華は筆子自身であり、空は僕自身だ。

 この地味だけどキャラクターの心理を繊細に描こうとしている物語を読者がどう思うのか、僕にはわからなかった。つまらないのか、意外とおもしろいのか。

 とにもかくにも僕たちは持てる力を注いで描き続けた。

 十日ほどかけて、下描きが終わった。  

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