第21話 クリーム王子とイチゴ少女
下級生が帰った後も、僕と筆子は部室に残った。僕は彼女に訊きたいことがあり、彼女は僕に言いたいことがあるみたいだった。
「投稿作、何を描くの?」と僕は訊いた。
「タイトルは『クリーム王子とイチゴ少女』……」
「どういう話?」
「ラブストーリー……」
僕は少し驚いた。筆子はスポーツ根性ものを描くことが多く、恋愛ものを描いたことはなかったからだ。
「プロットはできてるの?」
「だいたい」
「教えてくれる?」
「ケーキ魔法を持つケーキ作りの天才少年と、ケーキ魔法なんて使えないけどパティシエになりたい少女の物語……」
僕はさらに驚いた。なんとなくそれ、僕と筆子っぽくないか?
「少女はケーキ魔法どころか、ひとつも魔法が使えない人……」
それって、まるっきり筆子じゃん、と僕は思った。
「ケーキ魔法の少年は、別にケーキ作りになんて興味のない人……」
それだと小学生時代の僕と同じだよ。
「そういうキャラクターのラブストーリーを描こうと思ってるの……。少年は少女のケーキ作りへの情熱に影響を受けて、ケーキを真剣に作るようになる。少女は少年の魔法に負けないようなおいしいケーキを作ろうとがんばる……」
完全に僕と筆子がモデルになってるよ、それ!
「それで、春日井くんに頼みがあるの」と筆子は言った。
頼みか。僕は二年前、筆子にモデルをやってくれと頼んだことを思い出した。彼女の頼みなら、たいていのことは引き受けなくてはならない。
「わたしのアシスタントをやってほしいの……」
「アシか」
「手伝って、お願い……っ!」
筆子がキャラクターを描き、僕が背景を描けば、けっこう完成度の高い漫画になるかもしれない。
「いいよ、手伝う。背景担当ってことでいいよね?」
「いい! うわーっ、ありがとう! 一度、春日井くんに背景を描いてもらいたかったの」
「それはいいけど、僕らは受験生だからね。勉強は大丈夫?」
僕はわりと成績がよかったが、漫画ばかり描いている筆子の成績は、底辺近くだった。
「う……。それは言わないで」
「勉強も教えてあげようか?」
「いや、いい。春日井くんと一緒にいられる時間は、漫画を描く……」
「ちゃんと勉強もやるんだよ?」
「ふわぁーい……」
心のこもっていない返事だった。
そういうわけで、中三の夏休み、僕らは一緒に漫画を描くことになった。
翌日から、僕は筆子の住むマンションに通った。
彼女はまずネームを描き始めた。ネームが仕上がるまで、僕に出番はない。僕は受験勉強をしたり、ノートパソコンでイラストを描いたりして待っていた。
ネームは難航しているようだった。
「恋愛ものはむずかしい……」
「筆子にとっては新分野だからね」
「それになんか描いてて気恥ずかしい……」
「まぁ、ラブストーリーを描くって、そういうものじゃない?」
「わたしが投稿しようとしている新人賞の規定枚数は、三十二枚なの」
「そっか」
「規定枚数でぴたっとまとめるのも大変……」
「そうだろうね」
「描きたいことを全部詰めると、三十二枚を超えちゃう」
「そこをなんとかまとめるしかないでしょ」
「そうなんだけど……」
ときどき僕と話しながら、筆子はネームを描き続けた。
三日後にネームが完成した。彼女の目には隈ができていた。またろくに寝ないで描いていたにちがいない。
描き上げたネームを見せてもらった。淡いラブストーリーで、キスシーンとかはない。少女と少年の交流が丹念に描かれていて、お互いが少しずつ成長するようすが伝わってくる。
主人公は中学三年生の女の子、秋月冬華。魔法が使えない特異体質の少女。好物はケーキ。祖父の代までケーキ屋を営んできたが、父は跡を継がず、銀行マンになった。五年前、祖父の死とともに店は廃業。冬華は祖父が作ったイチゴのショートケーキの味が忘れられず、いつか店を再建したいと望んでいる。そしてケーキ作りの修行をしている。
相手役の男の子も中学三年生で、春日空という名前。小学一年生のとき、ケーキ魔法の使い手と判明する。母がおやつとして自家製のシュークリームを作っていたとき、見様見真似で作ったシュークリームが絶品だった。しかし特に甘い物が好きなわけではなく、将来パティシエになろうとは思っていない。
中三でふたりはクラスメイトになる。文化祭のクラスの出し物が喫茶店と決まる。冬華はおいしいケーキを作って、お客さんに喜んでもらおうと燃えている。空はどうでもいいと思っているが、接客係をするのが嫌でケーキ係の一員となる。
当然、空の作るケーキはどれも絶品だ。モンブラン、チーズケーキ、イチゴのショートケーキ、いずれも素晴らしい味わい。冬華はその味に感動する。喫茶店は大当たりする。自分の作ったケーキが人を喜ばせるとわかって、空は初めてケーキ作りの喜びを知る。
冬華は空に憧れるとともに、ライバル視するようになる。魔法にだって負けたくないとがんばる。空は冬華の目標になる。一方、彼女のケーキ作りへの情熱に影響されて、空は文化祭の後もケーキを作り続ける。
ふたりの交流は深まり、いつしか冬華は空と一緒に店を持ちたいと願うようになる。ラストシーン、クリスマスイヴにふたりはお互いのために作ったイチゴのショートケーキを交換しあう……。
うーん。これ、やっぱり筆子と僕がモデルっぽいよな、と思う。どこまで現実の彼女の想いがストーリーに投影されているのか、すごく気になった。
でもそんなことはおくびにも出さず、「まぁ、いいんじゃない」と僕は言った。
「じゃあ、下描きを始める」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「筆子のお祖父さんって、漫画家とか画家とかだったりしたの?」
「全然ちがう……」
「きみが絵を描くのって、この物語の冬華みたいに何か理由があったりするの?」
「そういうのは特にない……。ただ好きなだけ。絵とか漫画を描いたりするのが……」
「冬華って、筆子自身がモデルなの?」
「少しは入ってる。魔法が使えないところと、好きなものに熱中するところ」
「それで、その、空は僕がモデル?」
「べ、別に……そんなことはない……」
筆子は少し口ごもった。頬が赤くなっていた。僕の心中は混乱した。その否定の言葉と表情の乖離はなんなんだ。
「し、下描きに入る」彼女は不自然に話題を変えた。
時刻は午後六時になっていた。
「今日はもう帰るよ。明日また来る」
「うん」
僕が帰り支度をしている最中、筆子は最初のページの下描きを始めた。
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