第18話 会誌の完成と文化祭での頒布
締め切り三日前、筆子は短編漫画「剣道少女」二十四枚を描き上げた。そして三十九度の熱を出して倒れた。表紙はまだ少しも手を付けていなかった。お見舞いに行ったとき、彼女は病床で「これから描く……」とうめいていたが、それが不可能なことは明らかだった。
「表紙、どうしますか?」と僕は会長に聞いた。
彼の決断は速かった。
「今ある絵でいいやつを使おう」
「いいやつって?」
「春日井くんが描いた冬月くんのイラストを表紙にしよう」
「ええーっ、あれを?」
「漫画を描いている漫研会員の絵だ。しかもよく描けている。漫研の会誌の表紙としてふさわしいと僕は思う」
会長は決然としていた。僕は反対できなかった。
そういうわけで、発表するかどうか悩んでいた「冬月筆子像」が会誌の表紙を飾ることになった。筆子が回復したのはすべての原稿が印刷所に入稿された後だった。あの絵が表紙になると聞いた彼女は「春日井くんの絵が表紙。きっといい会誌になるね。でもわたしの肖像画、恥ずかしいよ……」と言った。
原稿が完成しても、文化祭の準備が終わったわけではない。野村さんは残り二体のフィギュアを制作し、僕はその塗装をしなければならなかった。
慌ただしく日々が過ぎていった。
文化祭の二日前、漫研の会場として割り当てられた教室を飾り付け、野村さんのフィギュア八体を展示した。バンドの美少女たち五人が揃ったフィギュアは圧巻で、五体でひとつの作品だった。息の合った演奏中の風景が見事に三次元で表現されていた。
「魔法で造ったとしても、これはすごいね」と僕は言った。
「ありがとう。虹くんの塗装のおかげだよ。あなたが塗ってくれるから、私は気合いを入れて造れた」赤縁眼鏡の向こうから野村さんが僕をじっと見つめて言った。
文化祭前日、印刷所から会誌二百部が届いた。表紙は僕が描いた筆子の肖像。巻頭は「遠距離恋愛」というタイトルの後藤先輩の漫画で、十六ページある。続く二十四ページは筆子の漫画「剣道少女」。はっきり言って、後藤先輩より筆子の方が数段うまい。
会長は「麻雀漫画の歴史 すすけた男たちの戦いから萌え麻雀漫画まで」という漫画評論を六ページに渡って載せていた。漆原先輩はイラスト一枚だけ。いちおう美少女イラストだが、あまり上手ではない。そして僕はカラーイラストを十ページ載せてもらえた。
会誌を手に取ったとき、僕は感動した。その感動は自分で予想していたより遥かに大きかった。苦労してみんなで本を作ることの喜びを実感した瞬間だった。
筆子の感動はさらに大きいようだった。彼女は自分の漫画が印刷された会誌を飽きもせずいつまでも見つめていた。
野村さんはじっと表紙を見て、なぜか苦しげな顔をしていた。
「明日は晴だぞ」と気象予報魔法使いの会長が言った。
文化祭当日、会誌はぽろぽろと売れ続けた。漫研会員の友人や親戚が買ってくれたり、先生が来て購入してくれたりした。全然知らない人が表紙や中身を見て、気に入って買ってくれることもあった。これはかなり嬉しいことだった。
りりかも来てくれた。筆子の横顔が描いてある表紙を見てちょっと驚いたように目を丸くし、「すごい表紙ね」と言って買ってくれた。
午後三時には残り二十部になっていた。会長は「これで完売としよう。残りは僕たち自身の分と未来の後輩たちへのプレゼントにしようじゃないか」と言った。
文化祭の最中、漫研会場はけっこうにぎわっていた。会誌も展示も中学校の文化祭としては、なかなかのハイレベルだったと思う。野村さんのフィギュアに見入っている人はかなり多かったし、僕のイラストを見て「いいね」と言ってくれる人もいた。
文化祭は午後四時に終了することになっていた。終了間際に、野村さんが僕の袖を引いた。
「ちょっと来て」
彼女はそそくさと会場を抜けた。僕は「えっ?」とつぶやいて追いかけた。野村さんはひとけのない体育館裏へと僕をいざなった。
「私、文化祭が終わったら、退会するつもりなの」と彼女は言った。
僕は呆然とした。なんでいきなりやめるんだろう? あんなにがんばってフィギュアを造っていたのに。
「漫研、つまらなかったの?」
「そんなことないよ。思いっ切りフィギュアを造れて、いい色に塗ってもらえて、楽しかった」
「じゃあなんでやめるの?」
「わからない?」
「うん」僕はうなずいた。
「私、虹くんが好きなの」
野村さんの目は真剣だった。
僕は本当に意表を突かれて、驚いた。告白されたのは初めてだった。
「私と付き合ってくれる?」
僕は即答できなかった。しかし心の中ではすでに断ることは決まっていた。
「冬月さんより、私を好きってことはないよね?」
僕は黙っていた。野村さんの言うとおりだった。
「虹くんが好きだし、フィギュア造りのパートナーとしてもあなた以上の人は考えられない。でも絶対に手に入らない。あなたは冬月さんばかり見てる。それってけっこうきついの」
そう言って野村さんは背中を見せ、去っていった。小さくなっていく後ろ姿をぼんやりと見ていた。彼女は振り返らなかった。僕は引き止めなかった。
しばらく経ってから、僕は漫研会場に戻った。もちろんそこに野村さんの姿はなかった。
「野村さん、どうしたんだ? 帰ってこないけど」と会長が言った。
僕は何も言えなかった。
文化祭は終わった。
野村千里が漫研に姿を見せることは、以後一度もなかった。
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