第13話 野村千里のフィギュア

 野村さんはアニメキャラのフィギュアを造っていた。

 石粉粘土をこねて伸ばして人体を造っていく。何枚かの絵を参考に、二次元のキャラクターを三次元化していく作業だ。数種類のへらを使い、細部まで造り込んでいく。その作業は魔法使いらしくとてもすばやくて迷いがなかったが、さすがに一日や二日では完成しない。石粉粘土を乾かす工程が必要となるため、時間がかかる。ある程度造ったら、その日の作業を終え、乾かさなくてはならない。

 次の日、粘土が固まったら、やすりで削って形を整える。足りない部分には新しく粘土を盛りつける。また乾かして固める。そんな作業を何日か続けていく。石粉粘土を盛っては削り、削っては盛る。そして完成度を高めていく。

 さらに細部の造り込みを行う。彫刻刀を使って固まった粘土を刻み、顔や髪の凹凸や服のしわや細い指などを精巧に造っていく。

 二週間ほどで一体のフィギュアが完成した。魔法使いだけあって、その造形は完璧だった。平面のキャラが立体になった。後ろから見ても横から見ても破綻のない三次元キャラができあがった。

 美しい、と思った。普通は何か月もかけて造るそうだ。造形魔法使いだからこれだけの短期間で完成できるらしい。

「すごい……」と筆子がつぶやいた。僕の魔法の絵を初めて見たときと似たようなつぶやきだった。

 彼女は一瞬悲しげに自分の絵を見つめた。それからきりっと口元を引き締めて、魔法使いと戦う魔法使いじゃない少女の漫画を描き続けた。

「立体化はできたけど、これに色を塗って本当の完成なの。でも実は私、色塗りが苦手なのよね」と野村さんは言った。

「造形魔法が有効なのはここまでで、色を塗る工程には使えないの。ちょっと中途半端な能力なの」

 彼女が造ったフィギュアは真っ白だった。石粉粘土の色のままだ。確かに色を塗らないとキャラクターの完成とは言えない。

「それで、春日井くんにお願いがあるの」

「僕に?」

「塗装をお願いできないかな? アクリル絵具で色を塗ってもらえたら完成なんだけど。あなたなら完璧な塗りができるでしょう?」

「自分で塗った方がいいよ、野村さん。練習にもなるし」

「何度も塗ったことはあるのよ。でもうまくいかないの。ムラになったり、はみ出したりして、うまくいかないの。自己嫌悪に陥るほど塗りが下手なのよ。完璧だった造形も台無しになっちゃう」

 その気持ちは理解できた。せっかくの造形美が駄作と化すのはつらいことだろう。

「お願い、春日井くん!」

 これほど見事な造形に色を着けてみたいという気持ちもなくはなかった。やってみてもいいかな、と思った。

 僕は筆子を見た。

「やってみようかな?」

「春日井くんが塗ったら、きっとすごいものになるよ」と筆子は言った。

「やってみたら?」と会長も言った。

 僕は野村さんのフィギュアの塗装をすることにした。彼女はエアブラシを持っていた。それを使って色を吹きつけていった。乾かしてから、細部を筆で塗り直した。何度か重ね塗りして、ムラのないように仕上げていった。目の塗装は極細の面相筆を使った。

 フィギュアの塗りにも、僕の絵画魔法は有効だった。塗り終わったとき、今度こそ完璧と言える三次元のキャラクターができあがっていた。

「きゃーっ、すごいわ!」一番喜んだのは野村さんだった。「こんなのができたの初めて!」

 僕も満足していた。僕の力を貸して、ひとつの作品がすばらしいものとして完成した。いい仕事をしたなと思った。

「これは売り物になるねぇ」と会長が言った。

「私の専属の塗師になってほしいなぁ」野村さんが熱い視線を僕に向けた。

 そこまでの約束はできなかった。僕には僕自身の絵を描くという目的がある。小学生時代とはちがって、僕はもう絵から逃げたりはしない。僕は絵と取り組むのだ。目標は、個性のない写実的なだけの絵から脱却すること。僕には自分の絵を描く時間が必要だった。

「ごめんね。僕は自分の絵で忙しいんだ。野村さんのフィギュアをずっと塗っているわけにはいかないよ」

 そんなやりとりを筆子が横目で見ていた。そっちを見ると、彼女は同意するようにうなずいた。

 僕は何枚か南極の絵を描いた。努めて、写真と同じにならないようにした。わざと色を変え、構図を変えた。自分にどんなものが描けるのか追及しているつもりだった。きれいな絵は描けていると思った。

「パソコンの絵もいいね」と筆子も誉めてくれた。

 南極を十枚ほど描いて、参考の写真がなくても氷の大地やペンギンを描けるようになってきたので、このモチーフはおしまいにした。

 次は日本百名山の写真集を買って、それを参考にして描いた。昼間の山の写真を見ながら、夕暮れの山を描いてみたりした。南極と同じように、高山にも神秘的な自然の美がある。それを写真以上に表現しようと力を込めた。緻密に描いてみたり、霧がかかったようにぼやかして描いてみたりした。

 デジタルイラストは紙に描くのとはちがい、いくらでも拡大して細かく描き込むことができる。緻密に描こうと思えば、際限なく精緻な絵を描いていける。

 僕はコマクサが咲き乱れる白馬岳の絵を緻密に仕上げた。

「ふわぁ、すごいね」

 筆子は感嘆していた。そして僕の絵を見ると、負けまいとするかのように、いっそう猛烈に自分の漫画に取り組むのだった。

 風景画はそれなりに描けるな、と僕は思った。

 漫研には、冒険同好会のりりかがたまに顔を出して、僕とおしゃべりをした。彼女は明るくてかわいいから、他の会員ともすぐに仲よくなった。

 冒険同好会というのは、彼女が会長となって作った会だった。冒険と言っても、自分の脚で辺境へ挑むというようなものではなく、りりかの瞬間移動で普通ではなかなか行けないところへ行くというものだった。入国手続きもなしにいきなり外国へ行くわけにはいかないので、国内限定だったが、小笠原諸島とか西表島とか大雪山の山頂とか、いろいろなところに行っているそうだ。彼女と手をつなげば一緒に珍しいところへ瞬間移動できるので、相当人気のある会のようだった。

 旅費もなしに旅行ができるのだから、人気があって当然かもしれない。その上、りりかは美人で明るくて多くの生徒に好かれている。入会希望者が多すぎるので、現在は新規入会を断っているそうだ。

「虹だったら入れてあげるよ」とりりかは言った。

「僕は漫研がいいんだよ」

「最近描いてる絵を見せて」

 僕はノートパソコンのモニターに南極や百名山の絵を映し出した。

「おおーっ、がんばってるじゃん、虹。いいんじゃない?」

 彼女に誉めてもらえて、少し嬉しかった。

 りりかは筆子の剣道漫画も見た。

「うまくなったねぇ、冬月さん」とりりかは言った。

 お世辞ではないと思う。筆子は小学生時代と比べて格段に画力が上がっていたし、彼女の漫画のキャラクターには、なんだか魅力があるのだ。筆子自身が漫画に夢中で取り組んでいるように、彼女の描く主人公は無我夢中で剣道に取り組んでいる。何か惹かれるものがあった。

「あ、ありがとう……」と筆子は嬉しそうに言った。

 僕も負けてはいられない。彼女を見るたびに思った。

 いつの間にか、僕は絵を描くのが嫌いではなくなっていた。

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