第5話 筆子がうらやましい。
翌日の放課後、筆子はまた屋上に行った。僕はつきあわず、ひとりで家に帰った。彼女は休み時間に黙々と落書きをしているように、今は風景画に取り組んでいるのだろう。その光景を僕は容易に想像することができた。僕がいようといまいと、彼女は集中してずっと絵を描き続けていられるのだ。
翌々日も、筆子は学校に残った。僕は帰りがけ、校門から屋上を見た。彼女がノートを広げている姿が小さく見えた。風の強い日だった。こんな日にひとりで屋上にいて、寂しくないのだろうかと思ったが、筆子が自主的にしていることだ。僕がやめろという理由はない。
毎日、彼女は屋上に通った。昼休みも給食を食べ終えてから、屋上へ行くようになった。
僕は筆子の絵が気になっていた。
「ノート、見せてもらってもいい?」と教室で頼んでみた。
「やだ。下手だから……」
「あ、そう」
「で、でも、また一緒にスケッチしてくれたら、見せてもいいよ……」
「わかった。じゃあ今日は僕も行くよ」
初めてふたりでスケッチをしてから二週間後のことだった。十月中旬。秋は確実に深まっていたが、まだ寒いというほどではない。その日は風も穏やかで、スケッチ日和だった。
屋上へ行き、僕は今度は北を向いて絵を描いた。眼下に広がる街を緻密に描いていった。無数の建物をちまちまと描き入れる。遠くに見える東京スカイツリーがアクセント。普通ならかなり時間のかかる絵だと思う。でも僕はさくさくと描き進め、一時間半ほどでスケッチは完成した。
僕が描き終えても、筆子はまだ途中だった。
夢中になって描いているのを、後ろからのぞき込んだ。
彼女は前と同じ場所を描いていた。隅田川と都心のビル群。毎日描いているせいか、うまくなっている。もちろんデッサンは完璧とはほど遠いし、描線にも乱れがある。下手は下手だ。でもなんだか味のある絵になっていた。前より消しゴムを使わなくなり、迷い線が多く残っているが、最初に描いたスケッチよりずっと描き込みが深い。
「へぇ~っ、いいんじゃない」と僕は言った。
「み、見ないで。まだ完成してない」
筆子は絵を隠した。
「わかったよ」
僕は彼女の絵から目をそむけた。筆子がまた描き始める。横目でようすをうかがう。彼女は街を観察しながら夢中になって鉛筆を走らせている。
彼女は僕のことなんてすっかり忘れたみたいになって、絵に集中している。
うらやましい、と思った。僕にはあんなに夢中になって絵を描くことはできない。絵以外にも、あそこまで熱中してやれるものなんてない。
冬月筆子。魔法を使えない先祖返りの少女のことが、僕はすごく気になっていた。
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