第3話 絵画魔法使い春日井虹の悩み
筆子は上手に絵が描ける僕がうらやましかったのかもしれない。でも僕は逆に、夢中になって絵を描く彼女がうらやましかった。絵を描くのが嫌いだったから。
僕が絵画魔法の使い手だとわかったのは、四歳のときだ。
初めて描いた絵は、三歳年上の姉の横顔だった。両親が与えてくれたクレヨンで、僕は子犬を抱いている姉、春日井珊瑚の横顔を描いた。犬の気持ちがわかる魔法、犬友魔法の持ち主で、ウェルシュ・コーギーを上手にあやしている珊瑚。その絵は今でも残っている。
最初から、僕は絵がうまかった。デッサンは正確で、姉の髪の毛はさらりと流れ、額から鼻筋、唇、あごに至るラインは写実的に描けていた。瞳は優しげに子犬に注がれ、肌の色は血色よく塗られていた。ちゃんと陰影があり、立体感があった。それは普通の子供の絵ではなかった。
これは魔法だ、と両親はすぐにわかったらしい。母がピアノ魔法の使い手だったからだ。母も幼少時からいきなり上手にピアノを弾き、大人たちを驚かせたそうだ。
母の名は春日井蝶。スタジオミュージシャンだ。どんな譜面でも初見で弾きこなし、器用で、注文に応じていろんな弾き方をすることができる。クラシックでもジャズでもポップスでもなんでもこなせる。各方面から重宝がられているそうだ。
魔法のピアニスト。
僕の場合は絵画魔法だったというわけだ。
父も母も教育熱心で、盛んに僕に絵を描かせようとした。
父は語学魔法の使い手で、三十か国語をしゃべることができる。その気になれば、世界中の言語を習得することだってできるだろう。名は春日井史郎。通訳として働いていて、ときには翻訳をすることもある。
両親に勧められて、僕はいろいろな絵を描いた。クレヨンだけでなく、さまざまな画材を与えられた。色鉛筆や水彩、油絵具、岩絵具、その他諸々。
どんな画材でもすぐに使いこなすことができた。デッサンは完璧だった。写真のように実物そっくりに色を塗ることができた。人物画でも風景画でもなんだって描けた。練習なんて必要なかった。それが魔法というものだ。両親の知り合いや近所に住む人たちが僕の絵を見て、「うまいわねぇ」などと誉めてくれた。
けれど、僕はすぐに絵を描くのに飽きてしまった。ピアノを弾く方が、よほどおもしろかった。おもしろいのは、上達する過程なのだ。自分がうまくなっているという実感が得られるとき、人は夢中になれるものだと思う。僕は絵を描いていても、おもしろくもなんともなかった。ただの作業としか感じられなかった。
絵画魔法なんてつまらないな、と僕は思うようになった。
小学二年生のとき、「ピアノ弾くのおもしろい?」と母に聞いたことがある。微笑みながらも困ったように首を傾げたのを覚えている。
「どうかしら。仕事だし、よくわからないわ」と母は曖昧に答えた。「おもしろい」とは言わなかった。
僕はショックを受けた。やっぱりつまらないんだ、と思った。
お母さんはつまらないことをやり続けている。かわいそうだ。僕も好きでもない絵を描き続けて生きていくのだろうか。
嫌だ!
小学三年生の頃、僕はもうほとんど絵を描かなくなっていた。両親はそんな僕に困惑していたが、嫌がる僕に無理やり絵筆を持たせるようなことはしなかった。
そんなとき、冬月筆子に出会ったのだ。
絵が下手なくせに、描くのが大好きな女の子。
ど下手と言ったっていい。それでも夢中になって、いつも絵を描いている。
彼女の存在は、僕の心を揺さぶった。
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