第2話 筆子はいつも落書きをしている。

 二学期が日一日と過ぎていく。

 みのり先生の授業を受け、体育で跳び箱やドッジホールをし、休み時間には友だちとおしゃべりをする。みんなはそんな学校生活を送っている。僕はわりとおとなしい方だが、それでも少しは友だちがいるし、うるさいほど活発な幼なじみもいて、それなりにクラスに溶け込むことができている。

 でも筆子は誰とも打ち解けようとしなかった。

 最初、転校生が珍しくて、多くのクラスメイトが彼女に話しかけた。

「前はどこに住んでいたの?」

「み、宮城……」

「なんで東京に越してきたの?」

「お、お父さんの仕事の都合……」

 筆子の答えはいつも短く断片的で、少しどもっていた。

 彼女はお手洗いに行くときとか、必要最低限のとき以外、じっと席に座っていた。自分から誰かに話しかけるということはまったくなかった。

 そんな筆子に対し、きつい質問が投げかけられるときがあった。

「ねぇねぇ、冬月さんのお父さんとお母さんは魔法を使えるの?」

 子供は残酷だ。そんなことをずばっと聞いてしまう。

「つ、使える。使えないのはわたしだけ……」

「魔法が使えないって、どんな感じ?」

 それには筆子はうつむいて答えなかった。口をぎゅっと結んで、握り締めた両手を震わせていた。今にも泣き出しそうに見えた。

 僕は隣の席にいたけれど、あまり彼女には話しかけなかった。何を話せばいいかわからなかったからだ。誰が話しかけても、筆子との会話はすぐに途切れてしまう。社交的なりりかとでも話が弾まない。僕が話しても無駄だと思っていた。もちろん魔法の話をして、彼女を困らせるつもりは毛頭なかった。ただし、そういうことを言うやつを止めたりもしなかった。

 僕は完全に筆子と距離を置いていた。すぐ近くにいるけれど、没交渉。

 内気すぎて、何を考えているかわからない。僕は彼女のことをそんなふうに思っていた。魔法使いじゃなくてかわいそうではあるけれど、助けてあげるほど僕は世話好きでもなかった。

 筆子の反応が乏しすぎて、しばらくするとクラスメイトは彼女から離れてしまった。九月半ば頃には、誰も話しかけなくなっていた。

 僕が彼女から目を離せなくなってしまったのは、その後のことだった。

 誰も彼女にかまわなくなると、休み時間に彼女はひとりで絵を描くようになったのだ。

 夢中になって描いていた。鉛筆でノートに落書きを。

 目が大きくて髪が長くてヒラヒラした服を着ている女の子の絵をよく描いていた。かわいい女の子を描こうとしているのだろうが、線はよれよれで、デッサンはできていなくて、人体がわかっていない絵だった。全然かわいく描けてなかった。

 はっきり言って、下手な絵だった。

 でも絵を描いているとき、筆子は楽しそうだった。僕がそっとのぞき見ると、落書きしているときの彼女の目は輝いていた。暗い表情ばかり見ていたせいか、その筆子はものすごくかわいく見えた。もともと顔のつくりは整っているのだ。いきいきとノートに向かっている彼女は魅力的で、僕の彼女に対する印象はがらりと変わってしまった。

 しゃべらない上に自分の世界に閉じこもる根暗な子、とクラスメイトたちは見ているかもしれない。その見方がまちがっていると言うつもりはない。それは一面の真実だ。でも落書きをしているときの筆子はとても愉快そうだった。

 絵が嫌いな僕とは対照的だ。

 筆子の楽しげな表情はほとんど髪の毛に隠されている。彼女の魅力に気づいているのは僕だけだった。

 休み時間ばかりでなく、授業中にもときどき描いていた。教科書にパラパラ漫画を描いたりしていた。くふっと小さく笑うことがあった。

 いったい何を描いているんだろう、と僕は思った。

「冬月さん、何をやっているの?」

 みのり先生に注意されることもあった。そんなとき彼女は焦って絵を隠し、あわてて教科書を手に取り、ことさらに真面目な顔を作って前を向いた。先生は穏やかな人で、それ以上叱責することはなかった。

 九月の終わり頃、とうとう僕は我慢できなくなった。絵に熱中している筆子が気になって、話しかけずにはいられなくなったのだ。

「絵が好きなの?」と僕は聞いた。

「うん。絵は好き!」

 筆子が珍しくはきはきと答えた。よっぽど絵が好きなんだな、とはっきりわかる顔と声だった。前髪の奥で目がきらめいているのが微かに見える。反応がいい。絵の話なら乗ってくるのか、と僕は初めて知った。

「描いているもの、見せてもらってもいい?」

「いいよ!」

 彼女はノートを見せてくれた。変なノートだった。前の方は算数のノートなのだが、後ろの方はまるで落書き帳だ。僕は落書き部分をパラパラとめくった。いつも描いているヒラヒラ服の女の子の絵が多い。格好いい男の子を描こうとして失敗している絵もあった。女の子や男の子の顔のアップがあり、全身を描いている絵もあった。とにかくどれも上手ではなかった。

「僕も描いてみていいかな?」

「か、春日井くんも絵を描くの?」

「うん。ちょっとね」

「描いて、描いて!」

 筆子の声が弾んでいる。

 僕は絵画魔法を使い、リボンやフリルで装飾された服を着た女の子の絵を描いた。筆子はこんな絵を描こうとしているんじゃないか、と想像しながら。

「う、うまい……」

 彼女はびっくりしていた。口をぽかんと開け、僕が描いた絵を凝視していた。

「春日井くん、天才……」

「天才なんかじゃない。ただの魔法だよ」

「魔法なの?」

「そう。僕は絵画魔法が使えるんだ」

「魔法……なんだ……」

 筆子は少し寂しそうだった。彼女は魔法が使えない。

 魔法で描かれた僕の絵は、当然のことながら、筆子の絵より遥かにうまい。僕の絵の完成度はプロ並みと言ってもおかしくはないのだ。

 その日、筆子は僕の絵を手本にして、真似をして描いていた。でも魔法でもない限り、そんなに急に絵はうまくならない。

 彼女は自分の絵と僕の絵を見比べて、ため息をついていた。

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