侍女の『ソロデビュー』試験

ちかえ

侍女の『ソロデビュー』試験

 衣装部屋にある朝食用のドレスの前で侍女のイルマが固まっている。ちらりと見えた横顔には困惑の色が見えた。


 何があったんだろう?


「イルマ?」


 そっと声をかける。イルマにプレッシャーにならないように穏やかな声を心がけた。


 口調によっては威圧になってしまうのだ。『何をもたもたやっているの! この愚か者が』という意味に取られる可能性もある。

 これは誇張じゃない。私の今の身分ならそういう風な態度をとっても『当たり前』の事として受け止められてしまうのだ。それは困る。意図しない事を思ったと勘違いされたくはない。


「あ、はい。すみません、王妃殿下。急ぎますから」


 でも、やっぱり多少は威圧になっちゃったみたいだ。ため息を吐きたいけど、吐いたらびくっとされてしまうかもしれない。とりあえず『急がなくていいから』と言っておく。


「わたくしのドレスに何かあったの?」


 でもやっぱりさっきの態度は気になるので聞いてみる。イルマは困った顔をした。


「いいえ。何も。ただ、天からの声がのでございます」


 イルマが何を言っているのかさっぱり分からない。声が見えるってどういう事?


 少し戸惑いながらも彼女が選んだドレス——グリーンの落ち着いたデザインのもので、私の密かなお気に入り——を着せてもらう。


 私にドレスを着せる手つきは悪くない。私がこのドレスを好きなのを気づいてくれていたのも嬉しい。


 今はイルマの侍女としての『ソロデビュー』試験の真っ最中だ。本当はもっと長ったらしい名前がついているのだが、私の心の中では『ソロデビュー』で通している。それで十分意味は通じる。これは彼女が一流の侍女としてデビューするための試練なのだ。


 基本的に私の身支度は二人がかりでやってもらっている。それを朝と就寝の支度限定で一人で出来るのかを確かめるのがこの試験だ。これで合格点をもらうと一人前の侍女として認められるのだそうだ。


 旅行の時は侍女は最低限の人数しか連れて行けないからそのせいだろう。一流の侍女というのは『旅行にも安心して同行させられる侍女』の事なのだ。


 私がそんな事を考えている間に、イルマは慣れた手つきで私のドレスのリボンを結んでくれている。


 次はメイクだ。とは言っても朝食前なのでそんなに濃いものにはしない。同じ食事でも宮廷晩餐会がある時はしっかりメイクしてもらうけど、今回は家族だけのプライベートな食事なのでそこまで気を使う必要はない。


 鏡台の椅子になるべく優雅に見えるように腰掛ける。シンプルとはいえ、せっかくの綺麗なドレスにしわを作るわけにはいかない。それに、誰の目があるか分からないので気を抜くわけにはいかない。こういう時に王族というのは大変だと思う。


 イルマが引き出しを開く。今日の私の好みや顔色を見て化粧品の色を選ぶのだ。


 いつもだと二人で支度するから、一人がドレスの形を整えている間にもう一人が化粧品を選ぶのだけど、今回はそれが出来ないから大変だ。


 そんな事を考えながらイルマを見る。また固まっていた。今回は『どうしたの?』と聞かずに彼女の視線の先を目だけで辿った。


 引き出しの中に文字が浮いている。これは魔法で作られたメモだ。それは分かる。でも、問題は内容だった。


 メモによると、私はどうやら濃いメイクが大好きで、特に目元をくっきりして欲しいようだ。


 私、昔からナチュラルメイク派なんだけど。誰よ、これ入れたの。


 これが天からの声なのだろうか。だったら『天』はとってもいい加減だ。きっとドレスの時も子どもっぽいデザインとか、朝にはふさわしくない色っぽいドレスとかを勧めてたんだろう。


 イルマも呆れたようにな顔をして、メイク道具を取り出し始めた。いつもの私の好む色で安心する。『天からの声』には惑わされていないようで何よりだ。


 その瞬間、文字が消えはじめた。慌てて物質化の魔術をかける。でも、引き出しの中に残しておくと何かされそうなので、石化させて私専用の金庫に転移させた。

 証拠隠滅など許さない。


「これはわたくしが預かっておくから」


 不安そうに私を見つめるイルマを安心させるように笑顔を見せる。


 それにしてもこれは何だろう。イルマが一流の侍女になるのを阻止したい者がいるって事だろうか。それとも軽いいじめのつもりなのだろうか。

 それとも私への嫌がらせだろうか。場にふさわしくない格好をさせて笑い者にするつもりなのだろうか。

 何にせよそんな事を許してはおけない。


「それより、そろそろ急がないと朝食に遅れてしまうわ」


 とりあえず、今、考えなければいけないのはそこだ。きちんと時間通りに支度しなければこの国の王を待たせてしまう事になる。それは良くない事だ。


 イルマはそれを聞いてすぐに私の身支度に戻ってくれた。


***


「妃殿下、あれは罠です」


 イルマの今日の働きぶりを話し合うために集まった部屋に入った途端にそう言われる。言ったのはベテラン侍女のドリスだ。


「何の罠なの、ドリス? わたくしはまだ何も言っていないわ」


 笑顔ですごむ。


 あれからもとんちんかんな『天からの指示』は時々現れた。そのたびにせっせとメモを回収し、問題提起の為にここに持って来た。


 なのに、私が何か言う前に犯人が白状した。まさか信頼していた侍女がこんな事をするとは思わなかった。


 私が怒っているのが分かったのだろう。ドリスの顔が引きつる。


「いや、あの……その……」

「ドリス、きちんと説明をなさい」


 冷たい声で命じる。


「妃殿下、落ち着いてください。ドリス、罠じゃないでしょう。試練でしょう。言葉は選びなさい」


 私専属侍女長のマーギットが落ち着いた調子で訂正して来る。


 その言葉でやっと分かった。つまり、イルマが間違った指示に引っかからないか調べていたのだ。私に接してる者ならすぐに分かる嘘を見抜けるか否かというのも侍女として必要な事なのだ。


「せめてわたくしには先に言っておいて頂戴!」


 『敵を欺くにはまず味方から』とは言うけど、主人を欺いちゃダメでしょー!


 私は行儀の悪いのを気にする余裕もなく机につっぷしたのだった。

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