高貴なる使者

 宴は驚くほどに壮大だった。


 他国の使者、それも降伏のために訪れた使者を歓待するのだから、戦勝国としての格を見せつける必要がある。


 くだらぬ見栄と言ってしまえばそれまでかもしれない。しかし人は形式にこそ価値を見出し、執着するものだ。くだらぬ妄執とでも卑下すべきそれは、特に権威の座につく者ほど顕著に見られる傾向だった。


 アルバートにとっては理解し難く、一人では満足に場を整えることはできなかっただろう。


 だが幸いなことにアルバートの周囲には優れた人材が揃っていた。政治に見識の深いコルネリアと、人間社会に造形の深いオルフェンの采配は過剰なほどに慎重に行われた。


 それは確かな成果を得たと言えよう。


 所詮は化け物のそれと高を括っていた使者達を黙らせるたまに用意されたそれは、海千山千の彼らをして間抜け面を晒さぬのが精一杯だったのだから。


 間違いなく、彼らは呪族という謎大きな存在への意識を変えることになった。少なくとも、知恵すらない蛮族、化け物の類とは到底蔑めない。高い財力を持ち、優れた文化を持つ警戒すべき相手と認識したのである。


 そんな使者達に紛れるようにひっそりと息を殺す病的に瘦せこけた男がいた。


 見る者が見れば驚愕に息を呑むはずだ。三か月前とは似ても似つかない容姿ながら、その人物はベヨネド王国国王、レイニード・ベヨネド・ルクセリアに他ならなかった。


 周囲を注意深く伺いながら何かを探す彼はいささか浮いていたが、変貌した容姿ゆえか、あるいはその卓越した政治家としての欺瞞ゆえか、彼に気づく者は誰もいない。


 そんなレイニードにら給仕係が酒の入った杯を差し出した。


「どうぞ」


「ああ、すまんな」


 すでに別の杯を持っていた彼は断ろうと片手を上げ、その途中であり得ぬことに気づき、絶句した。


 給仕の顔には、嫌というほどレイニードの脳裏に焼き付いた鬼面があったのだ。


「宴はどうかな、使者殿」


 アルバートはにやり、と笑った。


「これは呪術王カース・ロード様。なぜそのような恰好を‥‥‥?」


 慌てて咳き込むレイニードの疑問に、アルバートは楽しそうに目を細める。


 うまく悪戯に引っかかってくれたことが楽しくて仕方ない。これほど上手くいくとは、自分の演出力もこれがどうして、馬鹿にできないのかもしれないと悦に入る。


「なに、大したことではない。わざわざ一国の王がお忍びでお越しになられたのだ。内密の話をしたいのだろうと気を利かせたまでだよ。ああ、安心したまえ。幻影の魔法を行使しているゆえ、吾輩の顔は別人に見えている。君以外には吾輩とわからんよ」


 アルバートがつい、と指先を振ると、しゅるりと鬼面が美しい女性の顔に変わり、ついで凡庸なら男を経て再び禍々しい鬼面へと戻った。


 見せたほうがわかりやすいだろうという配慮だが、予想に反してレイニードはつまらなそうに顔を歪めた。


 実際には明らかに常軌を逸した高度な魔法を容易く操るアルバートに驚愕し、恐怖を覚えたのだ。しかし、その感情はアルバートには伝わらない。


 彼にしてみれば、呪術にも至らぬ魔法など児戯である。

 息をするのと同様の行動に恐怖を抱くなど想像もつかず、しかしレイニードはアルバートの無理解すら正確に理解していた。


 圧倒的な力の差からくる無慈悲。

 余興のつもりで圧する王の異様に、背中がじっとりと濡れていた。


「さすが、というべきでしょうか」


「なんとでも」


 アルバートはレイニードを誘ってバルコニーに出ると、距離を取ってつき従っていたコルネリアに人払いを命じた。広間につながる硝子戸を閉じれば、宴のざわめきが夢幻のごとく掻き消える。


 再びごほりと咳き込むレイニードに、アルバートは心配の声をかた。咳き込む度、落ちくぼんだ眼窩からぎょろりとした目が飛び出るのではないかと見えるのだ。


「体調が優れぬようだが?」


「ええ、いささか呪われておりましてね」


 分かっているだろうに、と呆れた様子のレイニードだったが、アルバートは真実分かっていなかった。


 何せ、呪いなど方便でしかない。


 実際には商人達を操り、王族御用達の嗜好品に遅効性の毒を仕込んでいるだけなのだ。正直なところ、呪いなどという話はいまのいままで頭から抜け落ちていた。


「ふむ。呪いだったか……それほどに辛いのか?」


「そうですね。食べ物は土塊つちくれ、飲み物は泥水の味しかせず、絶え間ない痛みと痒みで眠れぬ夜を過ごし、疲労の限界を迎えた時にだけ死んだように眠るくらいには辛いですね」


「なるほど、それは辛そうだ。しかし、あと少しの辛抱だな。降伏の式典が終われば呪いも解かれるだろう」


 レイニードらかさついた肌を撫で、指先についた剥げた皮膚に眉をしかめて小さくため息をついた。


 彼はもうすでに限界なのだ。

 心は折れ、アルバートに屈している。


 ただただ、痛みも痒みもない、安らかな睡眠を欲していたのだ。


「さて、それでは君の内緒話とやらを聞こうか」


 いよいよ本題かと姿勢を正したレイニードは、それまでの疲弊した雰囲気が消し飛んでいた。


 心が折れ屈していたとしても、王である。

 民を守るために呪術王カース・ロードの覚えを良くする必要があるのだ。なんのためにらこんな敵陣まで危険を犯してやってきたのか。全ては民のために。


 最後の自制心を振り絞ったレイニードに、アルバートは好ましく笑った。


 オルフェン達ほどではないにしろ、これもまた傑物である。


「タロワの降伏に関して、重要なお話が――」


 それはレイニードにとって人間への裏切りであったが、何よりも呪族に――いや、呪術王カース・ロードという存在に賭けると決めたがゆえの告白だった。




◆◇




 それから数日後、アルバートの姿はメギナ・ディートリンデの転移の間にあった。


 その部屋は広大で、最奥が霞んで見えるほどだ。


 それもそのはずで、転移魔法陣はそれほど便利なものではない。楽に十数人並んで立てるほどの鉄板に刻む必要があり。なおかつ必ず対となる場所にしか転移できない。


 いわば入力点と出力点の固定化である。


 アルバートが行使する転移魔法ならば入力点を固定化せずとも、出力点さえ固定されていれば長距離転移が可能だ。しかし、入力点を固定する鉄板――一種の魔道具ローグ・メイデンを触媒として利用したほうが、発動時間や距離、転移物量が増加するとなれば、利用しない手はなかった。


 しかしらそのためには、転移場所の数だけ巨大な魔法陣の刻まれた鉄板を敷き詰める必要がある。広大に過ぎる空間は、必要に迫られた最低限に過ぎなかった。


 アルバートにしてみれば便利な道具でしかなく、あえて小分けにするのも面倒と同じ部屋に詰め込んだに過ぎない。


 だが、それは初めて目にする者にとっては多分に異常な光景に映ったようだった。


「ずいぶんと驚いているようだ」


「それはそうでしょう。こんな規模の魔道具ローグ・メイデンの設備など見せられたら、驚かないほうがおかしいと思いますよ」


 レイニードは呆れたように首を振り、改めて自分の判断が正しかったと確信した。


 呪術王カース・ロードへの恐怖と呪いの苦痛ゆえに人間を裏切って呪族に下ると決めたが、迷いがなかったわけではない。


 呪族に下るということは人間と敵対するということ。

 それはつまり、世界の敵になり下がるということに他ならない。


 万が一にも呪族が敗北することがあれば、レイニードだけではなく、ベヨネド王国の国民までもが裏切者として処刑されるだろう。


 呪族の侵攻が進めば進むほど、その粛正は激烈になるはずだ。


 だが、これだけの物量の魔道具ローグ・メイデンを用意することができる呪術王カース・ロードの魔導的能力は、それらの迷いを払拭させるに十分だった。


「この程度で驚かれては困るがね」


「他の者ならば交渉を優位に進めるはったりを疑うところですが、呪術王カース・ロード様が仰ると恐ろしさしか感じませんね。あなたに逆らうことが恐ろしい」


「逆らってみるかね。それもまたお前の自由だとも」


 至極当然と口にする男が恐ろしい。

 レイニードは一瞬冗談と笑いかけ、アルバートの表情に戦慄した。


 ああ、なんということか。

 この男はまさしく、心の底から反抗の自由を認めているのである。


 しかし、実際に行動に移せば目の前の男は躊躇なくレイニードを殺すだろう。雨粒が地に落ちるより当然のことと理解できた。できてしまった。だからこそ、冗談と笑うことすらできず、沸き上がる寒気にぶるりと震えた。


「やめておきます。ですから、殺さないで頂きたい」


「妙なことを言う。まだお前は逆らっていないではないか。ましてや、すでにベヨネド王国は呪族に下る書類に調印している。罪を犯さぬ限り民は吾輩の庇護下に置かれるだろう。無暗に殺すことなどありはしない」


 レイニードはさきほど終わらせたばかりの式典を思い出し、少しだけ安堵したようだ。


 王であるレイニードがいるのであれば、式典は開ける。

 一刻も早く呪いから、そして重圧から逃れたいという彼の希望に答えて急遽用意された式典は大々的なものではなかったが、それでも間違いなく国家の首脳同士が書類を交わし、契約したのである。


「安心しました。しかし、よろしかったのですか。民に国外脱出の機会を与えるなど……」


 アルバートから降伏の勧告を受けた際、合わせて呪族の一員となりたくない国民に関しては国外に逃亡する自由を与えるという宣言があったのだ。


 本来、侵略者というものは怨讐の芽を嫌う。

 潰せる危険因子は潰しておくに限るもので、反抗的な敵国の民などその筆頭のはずなのだ。


 それを平然と好きに出ていけと言える度量は、感動よりも不可解さを感じさせていた。


「構わん。調印式でも話したと思うがね、吾輩は自由を重んじるのだ。吾輩が定めた法を守るのであれば、そこでいかなる行動を行おうと自由だ。むしろ、自由な行動なくして幸せなどありえはせぬのだよ。吾輩の手から逃れたいというのならば、好きに逃げさせればよい」


「それは結果的に、敵の勢力を増大させることになりませんか?」


「増大すればよい。然る後に、再び選択を突きつければよいのだ。下るか、逃亡するか。最後には逃げ場がなくなる。その時に反抗を選ぶ気概があるならば、賞賛とともに絶命させてやろう」


「やはり、あなたは怖いお方ですね」


 アルバートはくつ、と笑い、転移魔法陣へと足を踏み出した。


「さて、タロワ公国との調印式だ。精々笑顔で向かうとしよう」


「それはまた、痛烈な皮肉ですね」


 苦笑しながら、レイニードもまた転移魔法陣へと移動した。


 王自ら訪れたレイニードとは異なり、タロワ公国の王であるギラット・タロワ・ロウガルトは、呪いによる体調不良を理由に調印式の開催場所を自国に指定してきたのだ。


 属国となる分際で、宗主国の王たる呪術王カース・ロードに出向いて来いとはいい度胸だが、ギラットにはそうせねばならぬ理由があるのだろう。


 実に仰々しく使者団達が持ち込んだ金銀財宝の数々と、地に頭をこすりつけんばかりの平身低頭でもって、タロワへ足を運んでもらえるようにと懇願してきたのである。


 その願いを聞き届けたアルバートは、一度に転移ができるわずかな手勢とともにタロワへ向かうことにした。


 同伴者はリーゼロッテ、剣乙女ソディア・メイデンの小隊、そしてレイニードだ。


 レイニードにはタロワの情報を流した張本人としてその行く末を見届けるよう命じていた。


 だが、実際にはタロワの最後を目に焼き付けることで、決して逆らわぬようにと心をへし折るためである。すでにへし折れたそれを踏みにじり、二度と形を成さぬほどにすりつぶすのだ。


 それでも立ち上がり反抗するのならやってみればいい。

 アルバートの意志は、正しくレイニードに伝わっていた。


「では、向かうとしよう。留守を頼むぞ、コルネリア」


「お任せを」


 一礼するコルネリアに満足げに頷き、アルバートは転移魔法を発動させた。

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