搾命の罠

 ギラット・タロワ・ロウガルトという男を一言で言い表すならば、傲慢である。


 独善的なまでの自己愛を背景とした傲慢さは、彼が中央五国の文化の華、ベロワ公国の王位継承者であったことを差し引いても目に余るほどだ。


 父王ですらその傲慢さには辟易し、成人する頃にはともに食事を取ることすら疎んじていたという。


 実際のところは王位継承第一位の兄との競争意識ゆえに自ら食事を別としていたのだが、その性格ゆえに父王から疎んじられていたことは紛れもない事実だった。


 とはいえ、彼自身はそんなことはどうでもよかったのだ。


 彼の傲慢さとは即ち己への自信である。

 それは王の資質としてある意味正道の一つと言えるものであり、ギラットは己が王となるべき人間であるという確信を辺境の大陸に追いやられてなお揺るがすことがなかった。


 いまはこんな海を隔てた辺境の傀儡国家の王の座に封じられているが、いつかは誰が本当の王であるのか、軍をもってベロワの宮殿に乗り込み、愚鈍なる兄どもに示してやるつもりだった。


 だからこそギラットにとって今日起こるであろう出来事など、大願の前の些事に過ぎなかった。


 そう、そのはずだったのである。


「ギラット様、遅うございますな」


「それがどうした。黙って待てぬのか」


 横合いに控えていた男、ベロワ公国でギラットの教師役を勤め、現在はタロワ公国の宰相を勤める男は、不服そうな表情を浮かべても反論することはせず黙って口を閉じた。


 逆らえばどうなるか、散々に目にしてきたことだ。

 宰相は理解していた。有能であることよりも王を立てることこそが、この王宮で生き残る唯一の術なのだ。


「反論もでき愚鈍めが」


 ギラットは宰相を鼻で笑い、中庭に視線を戻した。


 タロワ公国の宮殿の中庭には、馬車が数台は乗せられそうな鉄板が設置されていた。


 その鉄板は数日前に呪術王カース・ロードの使者が運び込んだもので、なんでも転移の魔道具ローグ・メイデンなのだという。


 にわかには信じがたいことだが、タロワ公国の従属を受け入れる調印式に出席するために、その魔道具ローグ・メイデンを使って呪術王カース・ロードが転移してくるのだという。


 かつて失われた転移の魔技。

 伝説の王達だけが行使しえた代物。


 本物であるならば喉から手が出るほど欲しい。


「あれは奪いたいな」


「そうですな。あれがあれば、密かにベロワの喉元は軍勢を送ることも可能でしょう。戦争の概念が書きかわります」


「そんなわかり切ったことを賢しげに囀るな。だが、まあ確かにそうだ。とはいえ、欲を掻いて怪我をするのもつまらん。奪えるならばよし、不可能ならば殺すことを優先するまでよ」


 刻限はすでに過ぎていたが、ギラットは慌てなかった。


 なにせ、相手は呪族であり人ならぬ化け物である。ましてや愚かにも宗主国になるつもりやって来るわけで、多少の遅刻など屁とも思っていないだろう。


 普段のギラットならば激高しているところだが、この後の展開を考えればむしろ清々しい気分で待つことができた。


 なにせ、準備は万端である。


 中庭を囲う塀の上には、12人の英雄級の冒険者達が伏せている。全員が熟練の魔法使い。さらに、ギラットがこの日の為に用意した伝説級の魔道具ローグ・メイデンを持たせている。


 いかな神代の時代の化け物といえど、同じ神代の時代に作られた封印の魔道具ローグ・メイデンに抗える道理はない。


 何をどうしようとも、だ。

 すでに愚かなる化け物どもは死地の中というわけだ。


 ああ、これが笑わずに居られようか。

 口元が緩むのを抑えるほうが、奴らめを殺し尽くすよりもよほどの難事ではなかろうか。


「伝説に謳われた化け物を殺した英雄か……ふっ、ベロワの王に相応しい栄誉よな」


 それからしばらく待ち、ようやくその時は来た。


 鉄板に刻まれた魔法陣が一瞬強く輝いたかと思うと、拍子抜けするほどあっさりと鉄板の上に十数人の人影が現われたのである。


 はったりでなければ、転移してきたのだろう。

 存外に派手さにかけるなとつまらなく思いながら視線を走らせる。美しい女達の中で異彩を放つ鬼面の男を認め、ギラットは酷薄な笑みを浮かべた。


「ようこそおいでくださった、アルバート殿」


「それは偽名でしかない。吾輩は呪術王カース・ロードだとも、タロワの王」


 下手をすればギラット以上に傲然とした態度に苛立ちを覚えたが、すぐに余裕を取り戻してアルバートの横に立つ男に目を止めた。


「これはまたずいぶんと珍しい顔があるものだ。久しぶりだな、兄上。ベロワを追い出されて以来か?」


「そうですね。相変わらず弟だというのに傲慢極まりない言葉遣いと態度ですね。その様子だと女癖の悪さも治っていないのでしょうね」


「女を喰らうは我が人生よ。美しい花を手折る喜びを楽しまずして王など名乗れまい。兄上こそ無類の酒狂いは健在なのだろう。人のことをとやかく言うものではないさ」


 確かにと頷き、そこでふとレイニードは冷たい視線を感じた気がして身震いした。


 誓って言うがアルバートは久しぶりの再会らしい兄弟の会話を許す寛容さでもって、ゆったりと待ちの姿勢だった。むしろ、この世界の兄弟はどのような会話をするのかと、興味深く眺めていたにほどだ。


 だが、呪族に――いや、呪術王カース・ロードという存在に対して強い恐怖を抱いていたレイニードは神経を尖らせていた。


 常時気を張り続けて疲弊した感覚は過敏となり、アルバートの視線にありもしない鬼気を感じていたのである。


「こ、これは呪術王カース・ロード様、大変失礼を! おい、ギラット。大人しく頭を下げて服従しなさい。逆らうなど考えるのは愚かな行為ですよ!」


 それは兄としての最後の忠告だった。

 だが、ことここに至ってこれほど空虚な言葉もありはしないだろう。


 案の定ギラットは鼻で笑い、レイニードを嘲笑した。


「残念だ。そんなおめでたいことを言うほどとはな。愚かという言葉をそのままお返しするよ、兄上。誘いに乗ってのこのことやってくる頭の悪い化け物とお似合いだ。大人しく

ここで死ぬがいい」


 準備は万端、獲物は罠の中に飛び込んだ。

 あとは仕掛けを御覧じろと嘲笑する。


 ギラットが片手を上げると控えていた兵士が高らかに角笛を鳴らし、それを合図に冒険者達が一斉に姿を現した。


「女達には傷をつけるんじゃないぞ! 特にその白髪の女は無傷で捕獲しろ! 他の女達は下げ渡してやるが、あれは俺の奴隷として死ぬまで弄んでやるのだからな!!」


 欲望に塗れた薄汚い言葉に、傭兵達の目も血走る。


 リーゼロッテはギラットの物だが、揃いの鎧を着こんだ剣乙女ソディア・メイデン達も絶世の美少女揃いなのである。果たして身をを突き上げる興奮の源泉が戦いゆえか、いきり立つ下半身がゆえかは判然としなかった。


「構えよ!!」


 彼らの手には色合いが異なるが、同じ意匠の短剣が握られていた。


「ふむ、魔道具ローグ・メイデンだな。全て集めるのは骨が折れただろう。ああ、驚かずとも良いとも。なに、お前達のために一つ忠告しておこう。使えば死ぬぞ?」


 周囲を取り囲まれてなお余裕の態度、そして何より痛烈な死の予言に冒険者達の間に困惑が広がるのがわかった。


 だが、それもほんの一瞬。

 

「虚言に惑わされるな! 攻撃開始だ、解放リアクト!!」


 最年長の初老の冒険者が叱咤して魔道具ローグ・メイデンの力を解放する鍵を叫び、慌てて他の冒険者達も追従した。


 力を解放した魔道具ローグ・メイデンが強い輝きを放ち、冒険者達は感嘆の息を吐いた。


 ギラットからあらゆる存在を封印する伝説級の魔道具ローグ・メイデンと聞いてはいたが、実際に発動するのは今回が初めてだったのだ。


 その神々しいまでに色とりどりの光を放つ短剣は、確かに力強い魔力を感じさせた。


 だからこそ、アルバートの言葉が理解できなかった。


「ふむ。残念だな」


「あやつ何を……いや待て、これは――!?」


 この期に及んで強がりを言うとも思えず眉を顰めた初老の冒険者は、しかしすぐに異変に気が付き声を荒げた。


 短剣から放たれた光が、まるでそれ自体が固形物であるかのようにぬるりと纏まると、あろうことか対象である呪術王カース・ロードにではなく、発動した自分に向かって来たのである。


 咄嗟に逃れようとして、体が動かぬことに再び驚愕する。

 まるで空間に縫い付けられたかのように体が動かず、初老の冒険者は短剣から放たれた異質な光の塊を受け入れるしかなかった。


 それは他の冒険者達も同様で、光の塊は砂に水がしみ込むように一瞬にして冒険者達の体に吸い込まれて消えていく。そして、破滅が訪れた。


 さらば、なんということだろうか!

 冒険者達の目が落ち窪み、体中の水分という水分が蒸発したかのようにからからに乾いていくではないか。


 英雄級の力ある者達が無抵抗に干からび、乾いた喉から漏れる呼気は掠れて、徐々に音を無くしていく。


 彼らの命が失われていっているということは誰の目にも明らかだったが、アルバートの目はそれに比例して彼らの内部で増大していく魔力の塊に気づいていた。


「さあ、化け物! 大団円といこうか!!」


 ギラットは高らかに笑う。


「封殺の魔道具ローグ・メイデン十二の神剣アングラーシアだ。永遠の闇にとらわれるが良い、化け物めが!!」


 ギラットの得意気な叫びと、冒険者達の体から十二色の光の槍が飛び出したのは同時だった。

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