真の恐怖は天然の一言

 魔法の検証に没頭しているアルバートに放置された美貌の女……廃都を治める女王、コルネリア・ヘルミーナには時間が必要だった。


 あまりにも自分の理解を越える物事が起きた時、人の脳は受け入れることを拒否してしまう。己を守るための自己防衛機能の発露であるわけだが、それは呪族の一員であるコルネリアにしても同様だった。


 戦況を打破するために賭けた召喚の儀式は失敗し、喚び出した化け物は廃都の生命の半数を殺戮した化け物と同等か、それ以上の存在だった。


 護衛騎士は一瞬で命を絶たれ、コルネリアもその後を追うしかない、そのはずだったのだ。


 それがどうだ、突如現れた謎の青年は見たこともないような魔法であっさりと化け物を蹂躙してのけ、化け物の死体をいじくりながら思案に耽っている。それも、ひどく楽しそうに、だ。


 そしてなにより、青年が口にした言葉だった。


「吾輩は呪術王カース・ロードだ」


 その一言のなんと強烈なことか。


 それは呪族にとって神と敬うべき存在の二つ名だった。


 その名の前には誰もがこうべを垂れて敬服すべき、いと尊き異能の王。その名をかたれば、全ての呪族の敵とみなされてもおかしくない、我が身を汚されるよりも許しがたい侮辱だ。


 それほどの名前だというのに、その名を口にする青年のしっくりとくる様といったら!


 暴虐の化身とも言うべき化け物の前に堂々と立ち塞がり、恐ろしくも気品に溢れる魔法で相手を屠る様よ!


 青年を見つめるうちに、コルネリアの中には神話に謡われる呪術王カース・ロードその人だという確信が生まれていた。


 愚かだろうか?

 いいや、そうとも言い切れまい。


 彼女の名誉のために言えば、そもそも魔法陣は呪術王カース・ロードの眷属が現れるものと言い伝えられているが、呪術王カース・ロード本人がそう告げたわけではないのだ。


 古の眷属達が召喚の魔法陣であることを突き止め、幾度もの試行錯誤の末に呪術王カース・ロードの眷属が現れると結論づけたにすぎない。


 この魔法陣から呪術王カース・ロード本人が現れて悪いという道理はない。


 伝承によればこれまで知恵ある眷属が現れたことは一度たりともなく、むしろ呪族が滅亡に瀕したこの時に現れ、呪術王カース・ロードを名乗るのである。


 さらに言えば、廃都を半壊させた怪物を歯牙にもかけず、威風堂々たる態度で屠って見せるのである。


 コルネリアにとってこれ以上の根拠は不要だった。

 彼女は歓喜とともに心の中で爆発する閃光のような祈りに震えた。


 おお、神よ!

 我らが呪族の神よ!

 

 それは敬虔なる信徒の感情に似た、いわば畏敬の念だった。

 鬱屈とした絶滅への不安から解放されたコルネリアは、その感激ゆえにアルバートに熱っぽい視線を送った。


 それが功を奏したのか、アルバートは背筋に寒気を感じて振り返り、ようやく彼女を放置していたことに気づいた。


「すまんな。少し自分の世界に浸っていた。考え事をすると、どうもな。悪いことをした」


「と、とんでもないことでございます、呪術王カース・ロード様!!」


 その返答にアルバートは一瞬口をつぐむ。

 コルネリアは自分が芋虫のように這いつくばっていることに思い至り、顔を青ざめさせた。


 神の前で礼を失する行動……なんという不敬であることか!


 コルネリアを拘束したのはアルバート本人なのだが、そんなことはすでに忘却の彼方だった。己の不敬を詫びるために必死に体をくねらせ、頭を地面にこすりつけて謝罪する。


「ま、誠に申し訳ありません! このような姿勢で、遥か高き異能の王に拝謁するなど、万死に値する所業……! 誠に、誠に申し訳ありません!!」


「そうか」


 正直なところ、地面にこすりつけすぎておでこをすりむいているコルネリアに、アルバートはやや困惑していた。


 口をつぐんだのは単に呪術王カース・ロードという呼び名が自分のことだと思い至るのに時間がかかっただけなのだが、それ対する過剰な反応は想像の斜め上だったのだ。


 とはいえ、良い兆候だと思ったのも事実だ。


 カルロに舐められないようにしろと言われたのだが、早速実践できているらしい。少しわざとらしい演技かと思っていたが、案外良い線をいっているらしいと気を良くする。


「拘束を解く。暴れれば再び拘束しなければならぬ。面倒はかけるな」


 激しく頷くコルネリアは暴れるようには見えないが、念のため釘を刺して拘束を解く。


 ゆっくりと立ち上がり、膝を突いて頭を垂れるまで警戒していたが、やはり攻撃する意志はない。まるで映画の中の騎士のような忠誠心のようなものを感じた。


「顔を上げろ」


「はっ」


 言われるままに顔を上げたコルネリアはやはり美女という表現がぴったりくる。


 頭のネジが外れていると揶揄されていたアルバートだが、美醜に関してはそれほど異常というわけではない。


 化粧やら流行やらを追いかけるだけで中身のない人間に良い感情を抱かないだけで、美しい者を美しいと思うのは普通の男と同様だ。


 そんなアルバートから見て、コルネリアはこれまで見たことがないほどの美しさだった。


「ど、どうかされましたか……何か至らぬことでも……?」


 恐る恐る問うコルネリアの表情にはわずかな曇りがある。


 惜しいと思った。表情に陰が差しても美しさはいささかも衰えはしないが、アルバートの好みから言えば笑顔のほうがこのもしい。


「お前は笑顔のほうが美しいだろう。そのような顔をするな」


 思ったことをそのまま口にしただけなのだが、さすがに口にしてから気づいた。


 これでは口説き文句である。

 セクハラという四文字が頭を過ぎるが、アルバートの予想に反し、彼女は一瞬呆気にとられたあとで顔を真っ赤に染めて俯いた。


「お、お褒め頂き……こ、光栄の至りでございます……っ」


 震えるような小声で、かろうじて絞り出したという台詞に、アルバートは彼女の気分を損ねたと思い、小さく息を吐いた。


 彼女の顔を見ていれば、その表情に初心な女の羞恥がゆえと判断もつこうが、アルバートの位置からは彼女の顔が見えなかったがゆえの悲しい勘違いだった。


 どう取り繕うべきかと悩むアルバートを尻目に、コルネリアは地面を凝視しながら恥ずかしさから顔を上げることができずにいた。


 緊急事態だというのに、荒れ狂う胸の鼓動と、美しいとう言葉が脳内を激しく飛び回り続けている。浮いた話一つなく、むしろ統治者が男に流されることなどあってはならじと自ら遠ざけていたほどの女傑である。


 それがゆえ、彼女には些か妄想癖があり、窮地を救う騎士への憧れを抱いていたのである。


 まさに、いまこの時、この御方こそ騎士のようではないか?


 そう思えば、顔を覆って地面に突っ伏したくなるような恥ずかしさに身を焦がされるのである。


 とはいえ、それは愛情の類というよりも恋愛に不慣れであるがゆえの暴走と言うべき感情だった。


「おい、お前」


 アルバートが後悔しても仕方ないと割り切って声をかけると、コルネリアはよやく顔を上げた。


 まだ顔は真っ赤だが、アルバートはそれをあえて無視した。


 怒りか、あるいは興奮か、判断はつかないが、どちらにしろさきほどまでの会話から忠誠心は見て取れたのだ。ならば、都合良く使うしかない。


 ここがどこなのか、あれから何年が経っているのかも分からないのだ。


 アルバートが生きた時代の常識はあるが、十年も経てば常識は一変する。魔導の深淵に近づいたという自負はあるが、この世界でそれがどの程度の位置にあるかは分からない。


 己こそが最強と考えるのは自惚れを通り越し、愚かと言うべきだろう。


 アルバートの時代であれば恐らく世界に名を轟かせることができたと思うが、あの時代でも強者というのは多く存在した。


 氷剣と呼ばれた冒険者や、世界に覇を唱える軍事国家の将軍、呪術王カース・ロード討伐に力を尽くした宗教国家の聖女……実際に相対したことはないが、アルバートが呪術王カース・ロードとして立つ上で注意しなければいけない障害となりえる人間達だ。


 経過した年月ゆえにすべて死んでいると考えるのが妥当ではあるが、あれらと同じか、それ以上の強者が生まれていないと考える根拠はない。


 この世界で世界平和を実践するためにも、それを阻む可能性がある存在のことは知っておいたほうがいい。


 何も分からぬままにここを出るよりは、従順な様子の目の前の女から話を聞き出すほうが都合が良さそうに思えた。


 考えれば考えるほど名案のように思えて、ひとまず最初の質問を口にする。


「お前の名は?」


「こ、コルネリア・ヘルミーナです、呪術王カース・ロード様!」


「そうか。良い名だな」


 コルネリアは確か、呪術王カース・ロードの時代の古代呪語で、”情熱”を意味する言葉だったはずだ。


 片膝を突くことで地面に広がった長い赤髪が、燃え盛る炎のように見える彼女には情熱という言葉がよく似合うと思った。


 歓喜にぷるぷると肩を震わせるコルネリアだったが、アルバートはまた失言したかと勘違いし、そっと目をそらし、幾つかの質問を続けた。

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