羊は怜悧に牙を剥く

 弓使いの女の人生を端的に表すなら、不幸体質と言うべきだろう。


 親に捨てられ孤児院で暮らしていたが、野盗に襲われ奴隷として売られた。二回りも年の離れた金持ちの爺になぶられる少女時代は過酷の一言。


 金持ちの爺の屋敷に手引きをすることで奴隷からやっと解放されたと思ったら、野盗の頭に気に入られて情婦にさせられた。


 それでも少女はくじけなかった。

 どれほどの不幸の最中であろうとも、必ず幸せになると心に決めていたのである。


 少女は野盗達から弓を学び、生きる術を学んだ。

 恐らくは才があった。気づけば野盗団の中でも比肩する者のない弓使いに成長していた。


 野盗の頭が死んだことをきかっけに、女だてらに野盗団をまとめるようになった。


 だが、今度は別の野盗団を目標とした騎士団に遭遇して壊滅させられるという不幸さである。必死に野盗に連れ去られた娘を演じて九死に一生を得たが、騎士団に街まで護衛されている間は生きた心地がしなかった。


 それからはしばらく流れの冒険者として生活していたが、どうにも野盗団の生き残りがいたようで、警吏に捕まったその男は自分のことを野盗団の頭に似ていると証言したらしい。


 警吏からの捜査の手が日ごとに近づいてくる。

 誤魔化しは長くは保ちそうもなかった。


 逃げるしかない、彼女がそう考えるのは道理ではある。

 だが、最低でも国をまたいで逃走することを考えると、手元にある金では心もとなかった。


 だからこそ一発で大金を稼げる鏖殺墓地カタコンベにやってきたのだ。


 それがどうだ。

 金を稼ぐどころか自分の命を心配する始末じゃないか!


 女はままならぬ自分の人生に苛立つ。

 それでも決して諦めぬと心をたぎらせながら、前を歩くアルバートとの距離を油断なく計っていた。


 軽装鎧の男とは違い、アルバートは斥候や探索、罠解除といった技能でチームに加入した男で、戦闘能力は比較にもならない。


 しっかりと距離を取りさえすれば、弓使いの腕なら造作なくハリネズミにできると確信していた。


 それでも警戒を怠らないのは己の不幸体質をよく理解していることと、豹変したアルバートから感じる言いようのない迫力からだった。


 注意深くアルバートを警戒し、罠を指摘されれば必ずアルバートと同じ場所を通ることを心掛けた。足の置き場、触れる場所、すべてアルバートのそれをなぞる。


 前を進むアルバートは、罠を回避する必要上、必ず安全な行動をする。その一挙手一投足を忠実に再現している限り、自分の安全は保障されるというわけだ。


 そう思って見つめる弓使いの前で、アルバートが突然地面に伏せた。


「!?」


 罠でも踏んだのかと慌てて弓使いも地面に伏せたが、特に何も起こらない。アルバートが転んだだけだと判断して立ち上がると、苛立たし気に目元を険しくした。


「ちょっと、何もないところで転ぶとか馬鹿なの!? さっさと立ちなさいよ!」


 慌てて伏せた恥ずかしさから罵倒したが、アルバートは足を捻ったようで立ち上がることができないようだった。


「すいません、手を貸してもらえますか。壁伝いならなんとか歩けると思うんですが、立ち上がるのはちょっときつくて……」


「はぁ、ほんと使えないわね。男なら自分で立ちなさいよ」


 アルバートは困ったように笑った。


「男なのは間違いありませんが、立てないからお願いしてるんですよ。すいませんが、助けてください」


「……まったく、どんくさいわね!」


 こんな場所で睨みあっていても埒が明かない。

 少なくともアルバートがいる場所は安全だろうし、問題ないだろう。


 そう思ってアルバートに近づいた弓使いは、地面に突いたアルバートの手、その指先がほんのわずかに動いたことに気づけなかった。


 小指の先ほどの距離。

 たったそれだけの移動だが、アルバートの指先が到達したのは仕掛けられた悪意の罠を発動する鍵だった。


 わずかに盛り上がった石を指先で押し込むと、がこり、と震動が伝わってくる。


 そんなことには気づかず手を伸ばした女は、突然現れた目の前の壁に素っ頓狂な声をあげた。


「え――」


 ごしゃりと肉が潰れる音ともに、アルバートの頭上を掠めるように壁から飛び出した巨大な鉄槌が弓使いの上半身を打ちすえる。


 抗うこともできずに吹き飛んだ弓使いは地面を数度跳ねて止まり、びくりと震えた。


「回避不可なんです。犠牲になって頂けて助かりますよ」


 そう言って立ち上がったアルバートはすたすたと普段と変わらない足取りで弓使いに近づき、生死を確認。


 良かった、生きている。

 そうなるように計算したとはいえ、万が一はある。


 両手両足があらぬ方向に曲がり、激しく打ちすえられた上半身は潰れかけている。男好きのする顔は、歯がほとんどへし折れて潰れた果実のようだ。


 それでも、生きている。

 痛みと恐怖、そして怒りのないまぜになった瞳がアルバートを見返していることに安堵した。


「恨み言はなしですよ。あなたも俺を殺そうとしていたでしょう。お互いさまというやつです。それに、死にたくないから抵抗するって事前に伝えてましたしね。俺、有言実行するタイプなんですよ」


 浅い呼吸を繰り返す弓使いの体が小さく痙攣し始めていた。

 それほど長くはなさそうだと判断し、急いで足を掴んで歩き出した。


 引きずられる度に傷口が地面に触れてうめき声を漏らすが、上半身はぐちゃぐちゃで掴める場所がなく、足を掴んで引きずるしかない。女性にすべき扱いじゃないなと思いながらも、仕方ないかと割り切った。


 この先にある罠は、呼吸に反応して発動するタイプの罠だ。

 弓使いが死んでしまった後では発動しない。


 せっかく犠牲になってもらうために鉄槌の罠の威力が減少するように距離を測ったのに、死んでしまっては犬死になってしまう。それでは彼女の死に報いることはできない。アルバートは尊い犠牲になっ・・・・・・・てくれる彼女の・・・・・・・ために・・・、苦悶の声も気にせず足を速めた。


「それじゃあさようなら、名前も知らない弓使いさん」


 少し重かったが、反動をつけるとうまく投げ飛ばすことができた。


 どしゃりと弓使いの体が地面に落ちると同時に、左右から勢いよくせり出した壁が弓使いを挟み潰す。


 飛び散った血が頬についたのを拭うと、せり出した壁が元に戻る隙をつき、弓使いの肉片の上を駆け抜けた。


「さて、犠牲になる人間はいなくなった。階段までもうあとほんの少し……回避不可の罠がなければと思ったんだけど、そううまくいかないか」


 目の前に浅層へ抜ける階段が見えているというのに、アルバートの目は隠された最後の罠を見つけていた。


 罠を発動させないように距離を取りながら丁寧に観察するが、やはり回避不可だ。


 最後の階段、その直前まで罠の発動鍵になっていて、駆け抜けるなんて選択肢を小馬鹿にするようだ。


 さすがの陰湿さに辟易する。

 ただ、普通の罠とは違う。


「転移の罠……かな? 即死ってわけじゃないのが救いか。転移した先が地獄か、天国か……賭けるのは嫌いじゃないな」


 別の冒険者が助けにやって来る可能性は低かった。


 中層を中心に探索していた冒険者チームは二つあるが、一つはつい先立って解散したばかりだ。もう一つはこの前探索を終え、一カ月の休養期間に入っている。


 彼らがやって来るのは最低でも一か月後。

 手持ちの食料は二日分で、どう分割しても一週間で尽きるし、水に至っては四日と持たないだろう。


「よし、行くか」


 それしか手がないならば行くしかない。

 判断すれば行動あるのみ、悩みは無用。


 元より世界平和を成し遂げるためには無茶を押し通ることなど承知の上だ。命を賭けの天秤に載せることなどとっくに覚悟している。


 だからこそ、アルバートは気負いなく罠に向かって足を踏み出した。

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