犠牲の羊
”
王国の誇る大魔導学院を主席で卒業した魔導士は、岩石の中に含まれる鉄鉱石を探し出す魔法を生み出し、一躍時の人となった。
鉄を探せるのだから、鉱山の探索に非常に有用だ。
驚くほどの名声と金を手に入れた魔導師はこの世の春を謳歌していたが、ほどなく己の才が真の天才の前では霞み消える塵芥のようなものだと知ることになる。
鉄鉱石だけではなく、銀、金、
開発者は齢にして12歳、【魔導の心得】というスキル持ちで、大魔道学院に入学してたった1年の神童だった。
天まで届けと伸びあがったプライドは粉々に粉砕された。
それでも神童を越えんと人生を賭けた。
目指すは神童すら達成できなかった究極の金属、
気づけば齢80を超え、いよいよ完成への道筋も見え始めたこの時になって研究費用が尽きた。
あの手この手で金策をしてもどうにもならず、ならば己の魔導の技で稼ぐべしと臨時の冒険者チームに参加したわけだ。
研究者であるとはいえ、鍛え上げた魔導の技をもってすればいかに過酷な遺跡といえどどうということはない。探索から帰れば大金を得て、それを使って研究を完成させる。大魔導学院の学院長に納まっている憎き神童の鼻を明かすのだ。
己の魔導士としての価値は天を貫き、有象無象がこぞって囃したてるだろう。
それを思えば、魔導士の口元にはにたにたと粘つくような笑みがこびりつくのも仕方がないというものだった。
だからこそ魔導士は驚愕していた。
アルバートが「回避不可、犠牲を選んでください」と言った瞬間、野卑な軽装鎧の男が魔導士の襟首を引っ掴み、罠がある場所へ力任せに放り投げたのだ。
「……は?」
犠牲が必要だという話は魔導師も聞いていたが、いまこの時まで現実感を感じていなかった。
それこそ、もし犠牲が必要だとしても役に立つ魔導士の自分が選ばれるはずがない、毒にも薬にもならない弓使いだろう、そう思っていたのだ。
空を舞う魔導士はそれでもなんとかしようと手足をばたつかせた。
飛行の魔法を使えと思うのだが、驚愕と死の恐怖が腹の底から脳天まで駆け上がり、うまく口が回らない。
投げ飛ばした軽装鎧の男に視線を向けると、ぶすくれた表情で顔を背けられた。
なぜお前がぶすくれる、腹立たしいのは投げられた儂のほうだ、口元まで出かかった言葉が音となることはなかった。
何の変哲もない通路、そこにさしかかった瞬間、左右から目にも止まらぬ速さで巨大な凶刃が振り下ろされた。
魔道士の体は三つに分かたれ、臓物を撒き散らしながら錐揉み、石床にへばりついた。
「短剣を貸してくれますか。俺のは一応
「お、おう」
魔道士の惨状に怯えを隠せない軽装鎧の男から短剣を借りると、アルバートは壁に戻ろうとゆっくりと動いていた刃と壁の間に剣を差し込み、完全に戻れないようにしてから振り向いた。
「この罠は完全に壁の中に戻らないと再発動しません。短剣が折れたら終わりですから、早めに通りましょう」
「わ、わかった」
言われた通りアルバートに続いて軽装鎧の男と弓使いの女が通路を通り抜けると、巨刃と壁に挟まれていた短剣が音を立てて砕けた。
アルバートとしてはもう少し保つと思っていたのだが、存外安物の鋼を使っていたようだ。
なんにしろ全員が通るまでは保った。
それで十分である。
切断の勢いで飛んだのだろう、ぶつぎりになった魔導士の肉体の一つをまたぎ、平然と先を急ぐ。
その背中を見つめる二人の目には恐怖の色が濃い。まるで目の前にいるのが怪物か何かだと言わんばかりの表情だった。
「な、なあ、まだ回避できない罠ってあると思うか?」
「最低1つです。それ以上もあり得ますよ。俺は罠の製作者じゃないから、何個あるかなんて分かりません」
自分の気持ちを誤魔化すように声を弾ませた軽装鎧の男は、事実をありのまま告げるアルバートの言葉に口ごもった。
こういう時は夢や希望を感じさせるように楽観的に話をすべきなんじゃないかと言いたかったが、いま頼るべきはアルバートである以上、そうもいかない。
だが、それでも軽装鎧の男は最後の瞬間にはアルバートを犠牲にするつもりでいた。
軽装鎧の男には妻と子がいる。
元々は大店に勤める商人だったが、浪費癖と博打癖のせいで店の金に手を付けて首になり、それでも家族を食わせるために冒険者になった男だ。
商人には不似合いな戦闘系スキルと、商人として培った交渉力、金勘定で、それほど危険の少ない遺跡であればそれなりに潜れた。
だが、最近になって娘が嫁に行くことが決まった。
相手は商人見習いの若造だ。
なかなかに見所があり、自分と違って浪費癖も博打癖もない。手堅くいい商売をしそうな男で、娘の婿に相応しいと思っていた。
自分はうまくやれなかったが、小さな店でも持たせてやればきっと良い商人になる。
軽装鎧の男が身の丈に合わぬ
結婚の日取りは近く、しかし日々の糧を稼ぐ程度の遺跡では到底目標額には到達しない。常々自分の力量が上がってきていることを感じていたから、思い切ってもう少し経験を積んでから挑戦するつもりだった
だからこそ、男はどれほど意地汚くとも生きて帰ると決めていて、そのためには罠を見分けられるアルバートを最後まで生かしておく必要がある。
女と男なら、まだ男のほうが良心の呵責が少ないと魔導士を犠牲にしたが、次の罠があれば弓使いを犠牲にする腹積もりだった。
弓使いの女の技量はそれなりに高く、正面からやれば怪我の一つや二つは免れない。それでも、アルバートの動きを注視し、回避不可と判断した瞬間に奇襲すればなんとでもなる、そう思って常に身構えた。
「回避不可です。どちらか犠牲になってくれますか」
ついに来た。
アルバートのその言葉とともに振り返った男は、しかし弓使いとの想像以上の距離に目を見張る。
すぐ後ろにいたはずの弓使いの遠さと言ったらどうだ!
「悪いわね。あんたの考えなんてお見通しよ」
「ふ、ふざけるなぁぁあっ!!」
軽装鎧の男に気づかれないように距離を広げていたのだろうと察っするのは容易だった。
ならば、女がどうするつもりなのかもだ。
女との距離は絶望的だったが、男は剣を体の正中に構えて盾代わりとし、全力で走った。
急所だけ守り、一射、二射は甘んじて受ける覚悟の突進だ。
ことここに至っては正解である。
だが、正解がすなわち報われるとは限らない。
弓使いも死にもの狂いで速射する。
一射目は剣に弾かれた。
二射目は太もも。突進の速度が落ち、もう一射する余裕ができた。
三射目は右肘。骨の間に刺し込まれた矢は腕の神経を傷つけ、右腕から力が抜けて剣がずれた。
そして四射目、露わになった喉元にすとん、と矢が突き立った。
「ごぼぉ、ご、お、おぉぉぉ……っ?」
血泡を吹き出しよろよろと歩く男に、弓使いはさらに念入りに手足を狙って矢を射る。剣を取り落とさせ、身動きすらできないほどハリネズミのように矢を突き立てる、男が動けないことをじっくりと確かめてから弓を降ろした。
「思ったより怖い女性ですね」
「あら、女はみんな怖いのよ。知らなかったかしら?」
苦悶の声を上げる軽装鎧の男を罠の中に投げ込みながら、弓使いは艶っぽく微笑んだ。
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