不死という傲慢
転移直後の眩暈から解放されると、アルバートはすぐに周囲に視線を走らせた。
広大な四角い空間だった。
幼い頃に父に連れて行かれた東京ドームと同じくらいかなと目算しながら、壁自体が発光していることに気づく。
篝火などでは広い室内を照らすことは不可能だが、壁自体が光っていることで視界が確保できていた。
壁と床はつるりとした透明感のある質感で、白い表面は顔が映るほどだ。元にいた世界で例えるなら、磨かれた大理石が近いかもしれない。
とはいえ、高級ホテルなどはとても連想できない。
なにせ、部屋には何の調度品もなかった。
唯一部屋の中にあるものと言えば、四方の隅にいくつもの骨だけだ。いや、骨の山というべきだろう。人間の腕ほどもある太さの骨が、部屋の四方に山積みになっているのである。
アルバートがいる場所の対角の壁に巨大な門があるが、その前にも一際高い骨の山が積みあがっていた。
「ふぅん?」
振り返るとそこにも同じような門があったが、押しても引いてもびくともしない。ならばもう一つの門を試すかと一歩踏み出すと、門の前に積みあがった骨がかたかたと揺れ動いた。
「……守護者、かな?」
遺跡の最深部にだけ現れるという遺跡の守護者。特筆すべき強さを持つそれは、通常の魔物や異形とは大きく異なる。
彼らは知恵を持つ。多くは人語を解し、冒険者と会話することもある。中には友好的に取引をする守護者すらいるのだ。
アルバートは守護者がいるような遺跡の深部に潜ったことはなく、当然守護者を目にしたこともない。
しかし、あまりにも遺跡の中というには異質な部屋と、骨の山がまき散らす禍々しい圧迫感に守護者の存在を連想していた。そして、その予想は当たっていた。
骨がふわりと浮かび、見えない紐でくくられるように接合していく。
ただの骨の山だったものは、あれよあれよという間に巨大な牛の頭蓋骨を持つ二足の化け物に変わっていた。
瞳のない眼孔に青い炎が灯ると、凝りをほぐすように人間臭く首を回して、ようやっとアルバートがそこにいることに気づいたようだ。
ふん、と鼻を鳴らして指を鳴らすと、漆黒の外套がその体を覆った。
「よク来た、客人ヨ。我が主君ノ誘いヲ証明すル物はあルか」
牛鬼は青い炎の瞳でひたりとアルバートを見据え、奇妙なイントネーションで質問した。
それはまさしく知恵ある守護者である証明だ。
「やっぱり守護者ですか。やれやれ、厄介ですね。ええと、君、名前は?」
「……我に、名前ナし。主君に仕えシ者」
「名前がないんですか。残念だな」
本当に残念そうなアルバートに、牛鬼は不思議そうに首を傾げた。
牛鬼に与えられ役目は、主君である
だが、それでも役目は役目と興味を振り切り、牛鬼は質問を重ねる。やるべきことは明白だった。
「客人ヨ。我が主君ノ誘いヲ証明すル物はあルか」
「呼び名がないのは不便なので、勝手に
誤魔化しもなくあっさりと答えたアルバートに、牛鬼は小気味よく笑った。
そして、白い骨の指先を持ち上げてアルバートを指し示しゆったりと言う。
「是非もなく、排除すルとしよウ。闇ノ力に呑ミ込まれし死者ノ呻きヨ、彼の者ニ永劫ノ死を与エよ、
それはアルバートも知っている呪文だった。
魔法とは異なる呪術と呼ばれる秘術、その中でも遥かな過去に遺失した
耐える手段など知らない。
呪術に抵抗するには気力のみというのが定説だが、果たしてそれがどれほど効果があるものか。分からぬまでも、それしか道はなし。全身に魔力を循環させ、自分の抵抗力に賭けるしかなかった。
冷たい視線を真っ向から受け止めるアルバートに、牛鬼は鼻を鳴らした。
「面白イ、抵抗できルものナら、ヤってミるがいイ」
牛鬼の指から溢れた赤紫色の光は奔流が放たれる。
それは避けようもなく部屋の隅々まで広がり、そのまま砕けるように消えた。
ただそれだけで光を浴びた者を絶命させる呪術のはずだ。
だが、アルバートは生きていた。
怪訝に首を傾げる。
「防いだ、っていう感じじゃないですね」
魔法に抵抗する際に特有の反動がまったくない。
どうにも奇妙なことだが、まるで体が死を受け入れたような不思議な感覚に眉根を寄せた。
「馬鹿ナ、なぜ生キてイる!?」
呪術を行使した牛鬼が声を荒げた。
「あレは
「そう言われても。俺が強者だったっていう説はないですか? 自分で言ってて違うとは思うんですけどね」
さきほどの不思議な感覚を指してアルバートがそう言うと、牛鬼は唸り声を上げて再び指先を向けた。
「分かラぬナらば、調べレばよい。賢キ者の王、識りタる者タちの庇護者、そノ手に握リし英知ノ滴を我ガ前に示せ、
それは対象の情報を閲覧する鑑定系魔法、その中でも最高位に位置する上級魔法だった。
同次元の阻害魔法でもなければ確実に相手の情報を取得できる魔法の行使は、牛鬼の狙い通りにアルバートの情報を丸裸にした。
だが、それを目にした牛鬼は驚きのあまり、目の内の青い炎を激しく揺らす。
「馬鹿ナ、状態が
「もしかして役立たずのスキルが仕事してくれた? このタイミングで?」
この二十年余り発動しなかったスキルが初めて役に立ったからなのだが、その喜びが牛鬼には余裕と捉えられた。
不可解な事象への興味と畏怖は吹き飛び、栄光ある主君の力を阻害して得意げになっている矮小な生物への怒りが噴出する。
怒りのままに二人の間にあった距離を一息で詰めた牛鬼に、アルバートは目を見開いた。
「う、お……っ!?」
咄嗟に反応したアルバートだったが、動けたのは自身の武器である短剣の柄に手をかけるところまでだ。それ以上の動作は許されない。
牛鬼の手には外套の内側から取り出した二本の牛刀があり、繰り出された豪風のような一刀は反応ままならぬアルバートの胴体に直撃、抵抗なく両断してのけた。
遅れて巻き起こった風が両断されたアルバートの上半身と下半身を吹き飛ばし、硬く閉じられた門に叩きつける。
肉の砕ける音が響き、肉塊と化した二つの人だった塊が扉の表面を伝うように地面に落ちた。奇しくもそれは弓使いがひしゃげた時と同じ音だったが、肉塊と化したアルバートにとってはどうでもいいことだっただろう。
濃厚な血の匂を嗅ぎ、牛鬼ようやく満足したのか構えを解き、吐き捨てるように言った。
「我ガ主君ヲ貶メる者ニは良イ末路ダ。死の底デ悔イるが良イ」
だが、踵を返そうとした牛鬼の目は異常を捉え、再び炎を大きく揺らした。
牛刀にこびりついたアルバートの鮮血が、ぼたりと地面に落ちた。
そこまでは言い、当たり前のことである。
問題なのは、すべての血液が滑るように地面に落ち、牛刀には痕跡の一つも残っていないこと。そして、一つの塊となった血液が地面を這うように移動していくのだ。
それは注視する牛鬼を嘲笑うかのように門の下の肉塊に辿り付き、ちゅるりとその中に消えた。
それからほんの数秒、まるで時を巻き戻すようにただの肉塊だったものは形を成し、そこには不思議そうな顔を浮かべたアルバートが立ち尽くしていた。
服は引きちぎれているが、それは紛れもなくアルバートだった。
「……これって、ああ、なるほど」
アルバートは自分の手足を眺め、ようやく
「俺、死ねないらしいですよ。牛鬼さん」
なんでもないことのようにアルバートは言った。
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