第2話

スマホから漏れ聞こえる呼び出しの音。

「はい、もしもし?」

実家に掛けた電話に出たのは父だった。

私の父は昔ながらの頑固な性格をしており、自宅の電話が鳴っても母が出ることが殆どで母が居ない時など以外は出たりしない。

「あ、お父さん?私、私。風邪引いてない?いや、ちょっと暇だったから…」

普段と変わらない会話をしながら変わらぬ父の声を聞いて安心していた。

昨日からの自分に起きている異常事態に自分で思っている以上にストレスと不安を感じていたことを思い知った。

しかし、いつもの流れで聞いた質問が想像を遥かに超える状況であることに気付いた。

「今日はお母さん居ないの?買い物?」

「お母さんなら仕事が忙しいからこの時間は居ないよ。お父さんは一足先に帰ってきた。カーテン閉めないとだし、犬にご飯あげないと。晩ご飯の支度もあるし」


ご飯の支度


その一言で背中が冷えるのが分かった。

父が夕飯の支度をすると言う異常性。これは私の家族なら誰もが感じる違和感のはず。

私の両親は所謂「頑固オヤジとそれに付き従う内助の功的な妻」と言うタイプで、

家事はもっぱら母の仕事・・・であったはずだ。

声が震えそうになるのを堪えて、手短に今から実家に行くと伝え電話を切った。

父と母は同じ市内に住んで居て、私のマンションからさほど遠くはない。

慌てて出掛ける準備をして家を出た。

実家まではバスで数十分。DtoDで1時間もあれば行ける。


実家に着き、家族がいつも出入り口にしている台所の勝手口から実家に上がった。

すると見慣れた大型犬がブンブンとしっぽを振って出迎えてくる。

「久し振り~!また太ったんじゃない?おやつ貰いすぎなんでしょ~」

そう言いながら好意を全身で表現してくる愛犬の頭や首元を撫でた。

奥の部屋から父が「おかえり」と言いながら台所にやってきた。

スキンヘッドに近い坊主頭の少し強面のその顔は、私の記憶する父と寸分違わぬ姿をしていた。

ある一点を除いては。

「お父さん、何でエプロンしてるの?」

頭で考えるよりも先に違和感への質問が口をついて出ていた。

それを聞いた父は何を当たり前の事を聞くんだと言わんばかりに答えた。

「ご飯の支度するって言っただろ」

姿も声も口調も何もかもが同じなのに、私の知っている父からは想像も出来ないような言葉が飛び出してくる事に驚き言葉を失ってしまった。

そうしている間にも愛犬は嬉しそうにしっぽを振り、私の手や顔を舐めていた。

何を考えて良いのか分からず、とにかく無心で愛犬と戯れて時間を過ごそうと思ったが…自分の目の前をエプロン姿の父が忙しなく夕飯の準備をしている。

絶望と混乱をため息に混ぜるのを我慢して実家に居た時と同様に手伝うことにした。

テーブルを拭き、皿を出し、箸を並べ、急須に茶葉を入れていると庭から聞き慣れた車の音がした。

「ただいまー。あ、来てたんだ?」

車の音より聞き慣れた声とともに母が帰宅した。

「おかえり、今日は何処に行ってたの?」

私の質問に何を馬鹿なと言うような表情で半分呆れた笑い顔で母が答えた。

「仕事だよ」


母の帰宅タイミングに合わせて出来上がった料理が湯気を上げながらテーブルの上を彩る。

母の様子に変わった所は無く、コレが日常、コレが当然といった様子でいつもの席についた。それは私がよく知る光景で父と母の行動が真逆になってる以外は本当によくある一般的な家庭の食卓と言った状態だった。


テレビからバラエティー番組特有のどの場面にも同じ笑い声のSEが聞こえる中、

演者たちが企画をしていた。

女性ばかりの演者に混じってイケメン枠の若手俳優と女性に人気の中年俳優が新しく始まるドラマの宣伝でゲストとして出ていた。

どうやら夕飯時の番組は自分の知ってるテレビ番組と比べ、女性出演者は多いが朝の番組に感じるほどの違和感はないように思えた。


「この時間にテレビ見るの久し振りだよ」

私は喉の奥から絞り出すように普通の会話をしようと、やっとの思いで言った言葉だった。


それぞれ食べ終わり、自分の食器を流しに運んだ。

そのまま全員分洗ってしまおうと腕まくりをした。すかさず父が後ろから声をかけてきた。

「洗ってくれるの?」

その言葉を聞いて私は思わず泣き出しそうになった。何故なら、その言葉は私が実家に帰った時、食事の洗い物をする際に少し嬉しそうに母がよく言っていた言葉だったからだ。涙が出そうになるのを堪えて小さく頷き洗い物を始めた。

母から教わった食器の洗い方。自分自身の身体はちゃんと覚えている。

私自身にその時の記憶もある。なのに、昨日からまるで自分だけがおかしな世界に来てしまったような気分で違和感しか感じない。

しかし、今それに違和感を感じているのは私だけで父も母も何の疑問も無い様子。

別に世界戦争が起きて自分の生活が一変した訳でもない。何なら昨日の朝起きてから少しの間は違和感を感じても気にすることもないような変化。


私は洗い物を済ませてすぐに帰ることを両親に伝えた。

少し驚いた様子だったが、明日の仕事の予定が…とありがちな理由を伝えて早々に実家を後にした。

見送りはいつも母がしてくれた。今日は父が見送ってくれた。


続く


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