あなたに贈る音

香月読

あなたに贈る音

 ちく、たく、ちく、たく。

 時計の秒針が動く音がやけに忙しく聞こえる。心臓を急き立てるように鳴るそれに、少し手が震える。瞬間バイブレーションにでもなったかと錯覚するが、指先に触れたヘッドホンは振動が伝わりかたん、と揺れただけだった。同じように震えることもなければ、ぶつかって落ちるようなこともない。

 けれど音は焦りを生むには抜群の効果だ。暴れ回る心臓が更に刺激されて、今はもう口から吐き出されてしまいそうだ。そのまま二本足でも生えて走り去ってしまうのではないだろうか。

 画面にはぽつぽつコメントが表示されている。三分前。待機してくれている人達が文字で会話をしている。


 二分前。発声練習代わりに童謡を口遊んでみたが、あり得ない音の外し方をした。

 一分前。もう震えすら立たなくて、ただ最初の一言を頭の中で繰り返し呟く。

 三十秒前。カウントダウンのように針が動いて行く。

 十秒前。喉がカラカラで、生唾を飲み下す音が耳に入った。


 そして私は、カーソルを合わせてクリックをする。


「……はい、皆さんこんにちはこんばんはっ! 久しぶりですメルルです!」


 精一杯の笑顔を浮かべて、極力明るい声で挨拶をする。画面には幾つものコメントが表示される。


『メルルちゃんだ!』

『久しぶりー! 元気そうでよかった!』

『ちょっと痩せたかも? 髪の毛似合ってるね』


 流れ星のように多くのコメントが流れて行く。つい眩しくなって目を細めたら、そのコメントが目に留まった。


『グループやめちゃって寂しかったよー。またメルルちゃん見られて良かった!』





 私は半年前まで、同じ年頃の女子でバンドを組んでいた。自分以外に三人、ヴォーカル、ギター、ドラム、キーボードというメンバーだった。

 小さい頃からピアノが好きで弾いていた私は、キーボードを弾きながらみんなとバンド活動ができることが楽しくて仕方なかった。ピアノは基本的に一人で弾くものだけど、バンドをやっている時は一緒の景色を見ることができるから。

 解散は突然だった。ヴォーカルの女の子が勉強で忙しくなるらしくバンド活動を続けられなくなった。残った二人は音楽に然程未練もなかったようで、その子が辞めるならもう終わりだという話に自然となってしまった。私は続けたかったけど、そんな我儘を言って引き留めることは難しかった。

 話している時の表情や声色から、音楽に対する温度差が絶対的に違うのだと理解してしまった。私は水を得た魚のように活き活きとできたけど、彼女達はそうではなかった。他にもっと大切になれる場所があるのだと、話すだけでわかったのだ。


 しばらく落ち込んでいた私だったけれど、三ヶ月前にある動画を見た。それは私達のバンドが過去に投稿した演奏風景。それなりにコメントがついて、応援してくれる人達もいた。解散を発表した時はとても残念がってくれた。

 ふと動画のコメントを見た。そこにあった言葉が、今の私を動かしている。


「メルルちゃんのキーボード、すごく好きだった。もう聞けないなんて寂しいよ。また聞ければいいのにな」


 お世辞かもしれない。深い意味なんてないのかもしれない。

 でも私は、その言葉から目が離せなかった。

 好きだとか、また聞きたいとか、そう思ってコメントしてくれることが。私が送り出した音楽がどこかの誰かに届いたというその証明が、私を誘ったのだ。


 私は、音楽が好き。

 音を奏でることも、それが誰かの耳を楽しませることも。全てが楽しくて、それを辞めるなんてできない。


 理解してしまったら、もう自分を抑えることができなかった。誰も覚えてなくてもいい、ただ私の音を聞いて欲しい。それだけの気持ちで。

 私は動画サイトを利用して、ソロ活動を始めることを決めたのだ。





「覚えてくれている人がいたの、とっても嬉しいです」


 SNSで告知をしてみた成果か、見てくれる人は多いようだった。今日が来るまではどうなるかと思っていたから素直に嬉しい。まだ緊張で上がってしまった声を何とか誤魔化しながら、画面の向こうに話し掛ける。


「みんなは別々の道を頑張っています。だから私も……この道を頑張りたいなって、思って」


 深呼吸する。心臓のドキドキは、まだ収まらない。横に置いていたキーボードに向き直る。


「今日はソロでの初めてなので、メルルの好きな曲を弾こうと思います! 動画の方も投稿するので、良かったら見てくださいね!」


 楽しみ、とか。後でゆっくり聞いてみるね、とか。

 そんなコメントに混じって、またある言葉が見えた。


『頑張ってね、める』


 そう呼ぶ人は一人だけ。誰なのかすぐにわかって、私は緊張が身体から抜けていくのを感じた。

 大好きなヴォーカルのリサちゃん。あなたの声に乗せる音が一番好きだった。

 私達の道は分かれてしまったけど、あなたの道も素敵でありますように。


 そう願いを込めて。旅立ちに贈ろうと、予定とは違う最初の音を奏でた。

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