第4話 はじめて株を買ってみる!

 口座開設の申し込みをしてから一週間ほど経って、証券会社から封筒が届いた。

 開けてみると、パスワードやら口座番号やらが入っている。

 どうやら、めでたく僕の証券口座というものが完成したらしい。さっそく、僕は吟子師匠にビデオ通話をかける。

「もしもし、吟子師匠……」

 しばらく間を置いて、吟子師匠が通話に応じた。だが、吟子師匠の姿はなく、真っ白な布だけが見えている。おかしいな、と思っていると――

「んんん……」

 艶めかしい声が聞こえてきて、布の隙間からすぽり、と吟子師匠の顔が出てきた。

「ふえ……」

「吟子師匠、寝てました?」

「じぇんじぇん……」

 どう見ても寝てたでしょその声、目やに、寝癖。

「今まだ朝八時よ……? 相場が開くのは朝九時だもの……もう少し寝かせてよ……それより何、口座ができた?」

「あ、そうなんです! 僕の口座ができたみたいで!」

「ふにゃあ、じゃあ軍資金を用意するからちょっと待っれね……」

「え、あ、はい」

 吟子師匠に口座番号やらを教えると、すぐにネットに表示されていた数字に変動がある。口座開設時は0だった余力(残高のようなものだろう)が、一瞬で3000000円になっていた。

「……入った? どう?」

 しばらく経って、吟子師匠も目が覚めてきたようだった。

「はい……でも……実感ないですね」

「それなら上等」

「え、いいんですか?」

「株式投資上達のための心構え。そこに入っているものはただの数字だと思いなさい。ただ単に、これからはその数字を増やすゲームをするんだと考えること。そうすれば余計な雑念が入らなくて正常な判断力を保てるわ。そのためにも、株は生活にすぐ必要にならない余剰資金でやるのが鉄則」

「なるほど……」

 ゲームだと思えば、いけるような気がしてきた。RPGとかでも、レベル上げは得意な方だ。

「それで吟子師匠、ここから株を買うまでにどれぐらい勉強すればいいですか?」

「んー、まず、何か適当に買ってみたら?」

「……え? だ、大丈夫なんですか?」

「デモトレとか言う架空の口座を使うシミュレーションもあるけど、そういうので変に自信を付けるよりマーケットに飛び込んだ方がいいと思う。何より――痛くなければ覚えませぬ……」

 最後の方に、剣術師範代のような不穏な言葉が聞こえたような気がしたのだが、僕は意味を深く考えないことにした。

「あ、ただし、条件が一つ」

「その条件とは――?」

「総資金の300万円、いきなりフルで突っ込まないこと。今日あなたが買っていいのは――そうね。総資金の十分の一、30万ぐらいを目安にして。今の株式市場で最低単元は100株だから、株価3000円前後の銘柄ってこと」

「なるほど……」

 僕は、証券会社のホームページを覗いてみる。

 『値上がり幅ランキング』などのようなランキングと共に、会社名がずらりと並んでいる。

「あ、ただ、何を買うかだけはわたしに教えておいて。あと、買おうとしている会社が、何をして稼いでいる会社かだけは認識しておいてね。その手間を省くためだったら、最初から名前を知ってる株を買うのでもいいわ」

 そんなことを吟子師匠は言う。

「なるほど……でも、どうやって検索すればいいのか――」

「基本的に、株式市場での銘柄は4桁の『証券コード』と『会社名』がセットになってるから。例えば、任天堂なら『7974 任天堂』になるわけ。試しに数字で検索してみなさいよ」

「あ、はい」

 そして僕は、検索一覧に『7974』と入力してみる。


 7974 任天堂 65400


「あ、吟子師匠、出ました! この『7974』ってのが証券コード、後ろの65400ってのが株価ってことですね。65400って、これ任天堂の株は約6万5千円で買えるってことですか?」

「違うわあほ。言ったでしょ、現在株式売買の最低単位は基本的に100株からって。100倍してみて」

「……ってことは」

 僕は計算してみる。

「任天堂株を買うには、最低でも654万円!?」

 普通に軍資金が足りなかった。

「ま、100株買えないようなら、それに満たない『単元未満株』で買うこともできるけど、手数料も高くて割に合わないし、そこまでして買うのは特にすすめないわ」

「なるほど……」

 そして僕は、師匠に教わった通り、おとなしく株価3000円前後の株を探すことにする。

「あ、ちなみに、日本の証券口座が開いてる時間は朝9時から昼の3時(11時半~12時半は中休み)よ。その時間に買うのが基本。その前半を前場ぜんば、後半を後場ごばって言ったりするわね。そして基本的には、寄り付きから30分。大引けまでの30分が一番値動きすると考えていいわ。で、注文のやり方は……とりあえず今は二つだけ覚えましょう」

 すると、吟子師匠は通話の向こうで、ばん、と強くテーブルを叩く。

「今すぐ、その株売ってくれ!」

「……な、なにを……どうしたんですか、急に……」

「……と言って買ったら、とりあえず値段は向こうの言い値になるわよね」

「ああ、説明の一部だったんですか……」

「今のが、成行なりゆき注文。これは、株を『今買える値段』ですぐに買うこと。その代わり、板の上で買ってしまうことになるわね」

「……板?」

「あー、そこも説明いるのか」

 そう言うと、吟子師匠は頭を抱える。

「じゃ、もう一個の注文方法説明の前に『板』の説明ね。株の値段(株価)がどうやって決まるかっていうと、みんながその株をいくらで買いたいか、または売りたいか、というバランスが取れるところで決まるわけね。で、みんなが買いたい値段、売りたい値段の注文を出しておく。それが一覧表になったのが株価ボード。通称『板』よ」

 そう言って吟子師匠はスマホをディスプレイに向け、数字の羅列を僕に見せる。


40000 OVER

700  4300

800  4290

400  4280

300  4270

    4260  300

    4250  400

    4230  700

    4220  1000

    UNDER 32000


 だいたい、こんな感じの数字の羅列。

 そして、この会社の株価は『4260』だった。

「この左列がその値段で売りたい人、右列がその値段で買いたい人ね。ちなみに一日の値動きには上限と下限があって、それぞれ『ストップ高』と『ストップ安』って呼ばれてるわ」

「あ、なるほど! 買いたい人の需要と、売りたい人の供給が今釣り合ってるのが真ん中ぐらいで、それが現在の『株価』になったってことですね」

「よくできたわね! そして、成行注文じゃないもう一つの注文方法が指値さしね注文。これは、自分はいくらで買う、って指定しておくこと。この板に値段を並べる一人になるってことね。たとえばこの板状況の時に4260円で100株指値注文したら、4260の右側にある300が400に増えるわけ」

「理解しました」


 そして、時間も九時を回って前場が開き、いよいよ株を買おうということになったのだが。

「……あの、吟子師匠。一つ聞きたいんですけど……本当に何を買えばいい、とか言ってくれないんですか。僕、不安なんですけど……」

「当たり前よ。だって、それをしたら魚を捕って与えることになるから」

「魚? どういうことですか?」

 急に魚の例えが出てきてびっくりした。吟子師匠は続ける。

「老子の格言にこういうものがあるの。魚を与えれば、一日食べていけるかもしれない。ただし、 魚の取りかたを教えれば、一生食べていける。いい、わたしがあんたに教えたいのは『魚の捕り方』であって、『魚』ではないの。世の中のだいたいの人は頭を使って考えることが嫌いだから、みんな魚を人に捕ってもらいたがるけど、ろくなことにならないから、わたしはそれを許す気はないわ。自分の頭を使って考えなさい」

「厳しいなあ」

「……それに、魚の捕り方も覚える前に、もしわたしがいなくなったらどうするの?」

 その言葉は、なんだか切実なニュアンスを持っているような気がした。気のせいだろうけど。

「ま、とりあえず買ってみますよ。ええと……あ、この会社は名前知ってます!」

 僕は、値上がり幅ランキングの中から、電化製品や半導体を作っている、有名な電機メーカーの株に目を付けた。株価は……3450円となっている。

「○○電機にします。100株単位だから、34万5000円ですよね」

「……そう。いいんじゃない?」

「じゃあ、試しに成行注文、と……」

 そして僕は、成行注文を出す。すぐに、スマホに通知が現れる。

「あ、吟子師匠! 100株、3450円で約定やくじょうしましたって……約定?」

「取引成立ってことよ」

「なるほど」

 ということで、あっという間に売買は終わった。思っていたよりもあまりにあっけなく、どうやら僕は株主というものになったようだった。

 とりあえず、この場でやることはもうないらしい。僕はアプリを閉じ、二度寝することにした。


 その夜。


「……今日の株価はどうなったかな」

 吟子師匠から言われていたのは、「しばらくは経済ニュースだけでも毎日興味を持ちなさい」ということだった。

 僕は、ニュースサイトの経済欄を覗いてみる。

「経済欄って、こんなにニュースが色々毎日載ってたんだな」

 僕は、世界が思った以上に、経済を中心に回っていることに気が付いた。

 そして、主な株価の値動きという欄で目が止まる。

 そこには、僕がさっき3450円で100株買った電機メーカーの株が掲載されていた。


○○電機 3550(+100)


「……おお!」

 どうやら、後場の終わりの値段(終値おわりねと言うらしい)は、僕が買った時よりも100円上がっていたらしい。

 ということは――

 僕は証券会社のアプリを開いて、「評価損益」のところをチェックする。

「プラス1万円!」

 総資産も301万円。僕の総資産が、二度寝しているうちに1万円も増えていた。

「一日、何もせずに寝ていただけで、1万円儲けたのか、僕……!」

 例えば、時給800円のバイトだとしたら、一日八時間労働しても6400円。二日働くより少し少ないぐらいの儲けだ。

「……おいおい、マジで?」

 寝てるだけで1万円増える? そんなことがあるのか?

 なんだか、汗水垂らして働くということの意味が、ぼやけてきた。

 この時、僕は今まで何も意識せずに生きていた『資本主義』というものが、どれだけでたらめなものなのかを知ったような気がした。


 その時だった。吟子師匠から、ビデオ通話が入る。

「……どう?」

「やりましたよ師匠――」

 その師匠の姿を見て僕は驚愕する。

「なんで裸なんすか!」

「え? お風呂入ってたからだけど」

 簡潔な説明だった。

「それより、僕が買った株、100円上がってて、1万円儲けたんですよ!今日は、めちゃくちゃ気持ち良く寝れますよ!」

「……そう。改めて確認するけど、結局今日は『売らなかった』のね?」

「当たり前でしょう! 一日ほっといただけでプラス1万円ですもん! 明日になったら、プラス2万円になってるってことじゃないですか!」

「ならいいわ。それじゃね」

 ブツン。ツーツーツー。

 通話は切れた。

「……師匠、なんだ今の感じ」


 ま、いいか。

 僕は、寝る前にテレビをつける。

 すると、そこでもニュースをやっていた。どうやら、アメリカの大統領が失言したとかで騒いでいるようだった。ダウ下落……とかって何のことだろう。

 それにしても、どうでもいいニュースを流すもんだな。いくらアメリカの大統領が失言しようが、僕にはまったく関係ないことだ。だって、ここは日本なんだぞ?


「とりあえず今日は……酒でも飲んで、いい気分で寝るか!」


 今日は1万円増えたんだ。

 明日も、きっといい日になるに違いないぞ!



<今日のまとめ>

 必ず株は生活に必要ない余剰資金でやること。

 株が買える時間は中休みを挟んだ午前9時から午後3時。

 株価ボードのことを『板』と呼びます。一日の値幅には制限があり、上限に達すると『ストップ高』、下限に達すると『ストップ安』です。

 株を注文する方法は(大きく分けて)二種類。

 買える値段ですぐに買う『成行注文』と、指定した値段で買う『指値注文』です。


 さて、1万円儲かってウキウキで寝た凡太ですが、次の日はいったいどうなってしまうのでしょうか。それではみなさま、次回『大暴落!』でお会いしましょう。トレード・スタンバイ!

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