二章 家族の亀裂

第17話『目が覚める』

 その日は、日差しの強い『快晴』の二文字を思わせるような雲一つない青空が広がっている日だった。


 温かみを感じる春の季節は役目を終え、木々は夏を思わせる緑一色に染まり、花々は力強さを感じさせるようになっている。


 そんな夏の全てを感じられそうな森の中で、俺は目を覚ましていた。


 倒れていた身体を起こして最初に目に入ったのは、自分の真横にあった灰の山だった。強い日差しを反射し、煌びやかに光る魔石が灰の山の頂上に添えられるようにして存在している。


 手に取って、握りしめる。堅いが、金槌で叩いてしまえばすぐに脆く砕け散ってしまいそうな儚さを持つ、その奇怪な石に、何らかの親近感を感じている事に気づく。


 連戦を重ね、気でも狂ってしまったのだろうか、と苦笑し、魔石を懐にしまって立ち上がる。ふらつきはしない。どうやら、一晩寝たことで体力も回復できたようだ。


 今から俺が向かうべきは王都である。寝て体力が回復したは良いが、まだ万全の状態ではない。安全な場所で、安心して寝て初めて心労は安らいでいく。


 ここから一番近い場所で、魔物に襲われる心配が無いのが他ならない王都だ。金は足りないかもしれないが、もしもの時は通行人からスリでもして金を用意しよう。


 さらっとあくどい事を考えながら、歩いていく。そして、俺は気づかない。


――自らの身体が再生していた事に。


 潰れた筈の内臓が、折れた筈の背骨が、完全に再生していた。歩いていても痛みは感じず、呼吸をしても胸は苦しくない。


 それが異常だった事に、俺は気づけなかった。


 *


 白い壁が見える。王都を囲み、魔物を決して通さない壮大な白い壁は、何度見ても俺の気分を高揚させた。


――王都『オルグランデ』


 もう二度と来ることは無いだろうと決めつけていたが、どうやら尚早だったようだ。結局また、悪魔の住むこの都に来てしまった。


 因みに、俺にとって悪魔はセレスを指す。覚えなくてもいいぞ。


 検問所の前に連なる人の列に辟易しつつ、黙って列の最後尾に立って並ぶ。晴れた青空の下、強い日差しを浴びながら長時間並び続けるのは中々に辛い。まぁ、あのミノタウロス戦に比べれば屁でもないが。


 そんな事を考えながら列が進むのを待っていると、やがて気づく。何か、言い争っているかのような荒々しい声の応酬の数々が、耳の中に入り込んでくるのだ。


 声のする方へ目を向けると、暑苦しい人の列が並ぶ隣で、検問所の兵士と言い合っている二人の人影の姿が目に入った。


 ボロボロのコートを羽織り、今も検問の兵士に何かを懇願するように声を発している背の高い女性。そして、その女性の羽織っているコートの裾を小さく摘まむようにして掴んでいる幼い少年。その二人が、次々に順番を飛ばされながら、必死に兵士と言い合っていた。


 訝し気にその二人組を見つめて、つい気になって前に並んでいる男にあの二人について聞いてしまった。


「ああ、アイツ等か。俺が並んでた時から居たんだが、どうも通行許可証が無いらしくてな。それだけならまだしも、どうやら貧乏街スラムの出身だったもんで、通行許可証代わりになる書類を書かされている間に、追い出されちまったらしい」


 男は腕を組み、髭の生えた顎を摩りながら可哀想なものを見るように彼らを眺めていた。


 難儀なことだな、と彼らを哀れに思った後、話し終わった眼前の男とは対照的に、すぐに顔を前に向けた。関わると、碌なことがないのが分かったからだ。


貧乏街スラム


 文字通り、もはや倒壊寸前の建物や廃棄されたゴミやガラクタで溢れかえったような世界の底辺とされる街だ。王都には存在しないが、オルグランデ王国の中でも最北端に位置する場所にはそのような街が存在するらしい。


 死刑にはならず、周囲から煙たがられた罪人や、孤児である子供たちがそこで日々を過ごしている。無法地帯であるその場所は、殺人現場としてはもってこいの場所である。死体が転がっているのもなんらおかしい事ではない。


――そして、そんな街から出てきた奴らは当然、拒絶される。


 それはそうだろう。教育もされてなければ、無法地帯で生きてきた野蛮人共だ。何をやらかすか分からないし、受け入れる事はリスクが高すぎる。


 どんな善良な国も、難民は救助するが、貧乏街スラムの出身者だけは拒絶する。世界の規定というやつだ。


 彼等を無視をすることに罪悪感なんて感じる必要はない。世界が彼らを見放しているのだから、彼らが恨むべきはこの世界であって俺じゃない。だからこそ、俺はいつものように自分の判断に従って無視をしようとしたのだが。


「……」


 ふと思い、顎に手を当て、思索する。


 彼らと関る事にメリットなんて何一つとしてないが、俺の実験に利用させてもらうのは、有りだ。


 あのミノタウロスとの決戦を終え、俺に何か成長があったのだとしたら? 世の冒険者たちのように、死の淵から這い上がったことで新たに力を、もしくは何らかの力が強化されていたのだとしたら。


 その可能性があるのだとしたら、変化があるのは俺の持つ唯一のスキルである【気迫】しかない。


ーースキルの強化。それは、スキルと言う名の才能を持つ者に与えられた最高の昇華方法である。


 例えば、セレスが持つスキル【絶魔】は、対魔物との戦闘になった時、セレスの全能力が向上するという、セレスのぶっ壊れ固有スキルである。


 俺と同じ固有スキルでも、セレスのものは別格だ。俺とは違い、相手ではなく自己に直接影響を与える自己付加の強化スキル。使い勝手も俺のより良いはずだ。


 さらに、セレスはこのスキルを何度も強化させ、遂に竜すらも単独で撃破できるようになってしまったという。素の状態でも十分に化け物だというのにあれより強化されるというのは、魔物達にとっては悪夢だろう。


 だが、そんな超強力スキルも強化される前の初期状態時では、向上されるとしても心なしか体が軽く感じる程度のものだった。それが今、全能力の超補正まで出来るようになっており、セレスは軽く人間兵器と化している。


 つまり、スキルの強化はその者の人生をも変えかねない重要なものだ。だからこそ、どの程度スキルが強化されたのかを知っておくのは今の俺がすべき最優先事項だったりする。


 ここに来る途中で魔物に対する実験はしたが、人に対するものは行っていない。おあつらえ向きのいい機会だ。


 列から外れ、彼らの下へ向かう。背後から男の制止の声が聞こえるが、無視する。やがてこちらに気づいた検問の兵士と、姉弟にも見えるボロボロな恰好の二人組は、怪訝な表情を見せて顔をこちらに向けた。


 一瞬の沈黙が落ちる。俺が声を発しようと喉を鳴らしたその瞬間、


「おい、今は取り込み中だ。用があるなら向こうの兵士に言え」


 検問の兵士が近寄る俺に立ちはだかるようにして体の向きを変え、告げる。


 その後、もう言うことは無いと告げるようにすぐに二人の男女と話を再開させる検問の兵士に、少し苛ついた。


 俺を相手にしないのは良いが、気に食わないのは俺の事を世間知らずのガキだと思い込み、見下すように見てきたあのだ。


 列に並ぶ人々の奇異の視線に晒されながら、恥辱を受けさせられた俺に、俺の前列に並んでいた男が声をかけてきた。


「だから言っただろ? アイツ等に関わると碌なことに――」


 そこまで言いかけて、男は口を閉ざした。一気に顔を汗だらけにし、小刻みに震えながら、俺を見ている男の表情には確かに恐怖の色があった。だが、俺に恐怖心を向けているのはその男だけであり、他の連中には変わった様子が無い。


 つまり、だ。


「なるほど、対象を選べるようになったのか」


 前は俺の立つ地点を中心に同心円状に全方位に気迫を発することしか出来なかったが、どうやら対象を選び、そいつにだけ気迫を浴びせられるようになったらしい。


 今目の前にいる男が、それを証明していた。


 突然様子が変わった男に周りの連中がざわつき、検問の兵士たちも不審に思ったのか、こちらに駆け寄ってくる姿勢を見せている。先程の俺を見下してきた兵士も含めて。


「――止まれ」


 空気が凍り付く。


 こちらに駆け寄ろうとしていた兵士たちは足を止め、その場に立ち尽くしていた。列に並んでいた商人や旅人の中には、気絶し、倒れてしまうものまで現れていた。


 やはり、【気迫】の威力が強化されている。


 以前はいかに弱小な魔物、人だったとしても、気絶にまで精神に負荷をかけることは出来なかった。


 明確な強化を目にし、久々に悦に入りたいところだが、先にこの状況をなんとかするのが先決だな。


 あの姉弟に見える男女に話しかけていた検問の兵士に歩み寄り、肩に手を置いて善者ぶるように言った。


「あの二人を通してあげてください」


 額に汗を流しながら小さく頷く眼前の兵士を見た後、【気迫】を解き、再び列に並びなおす俺に、周りの視線が突き刺さる。


 鬱陶しいが、未だに目を覚まさず気絶している者や、俺に怯えを隠せていないあの検問の兵士を見ると、それも仕方が無いと思える。


 流石にあれはやり過ぎた、と自分でも思った。強化されたのはいいが、力加減の調整をこれから出来るようにならなければ、使い勝手が悪くなる。またスキル発動の練習もしておきたいが。


「あ、あの!」


 と、横から入ってきた声に思考を中断され、思わず眉をひそめて顔を声の聞こえた方に向けた。そこには俺の実験開始のきっかけとなった貧乏街スラム出身の二人の姿があった。何用?


 少し怯えた表情を見せながらも話しかけてきたのは、俺より年上に見えるボロボロのコートを羽織った女性の方だった。


「あ、ありがとうございました……」


 その言葉に目を見開いた。正直、貧乏街スラムに住む奴らに礼儀なんて期待していなかったし、敬語など絶対に使えないと思っていただけに、その確かな礼を述べる言葉には衝撃を受けた。


 少なくとも、何事も偏見で決める俺にとっては、結構な驚きではあった。


――まぁ、ただ意外というだけだけどな。


「気にするな。ちょっとした気まぐれだからな」


 口端を上げて、少し微笑むように笑って言う。


 流石の俺でも、こんな風に傷つき、困っていた人を粗野に扱うなんてことはしない。屑は屑でも、人間的にできている屑なのさ。俺は。


「……」


 すると、目の前の女性は急に頬を赤らめ、挙動不審に陥っていた。そして、彼女の背後に隠れていた少年は、俺が危険な人物でないと理解したのか、前に出て無言で頭を下げてくる。


 女性の方は病気でも持っていたのだろうか? 病に身体を蝕まれながら、幼い少年を連れて決して楽では無かった筈の道のりを、この女性は歩いて来たのか。自分たちを受け入れてくれる街を探して。


 俺には関係のない事だし、見捨てても心が痛むことはないのだが。せっかくこの俺が助けてやったんだ。これ以上こいつ等が傷つくのは助けた俺の労力が泡と化す事と同じ。気に食わん。


 俺が最も嫌う『無駄』という言葉が頭をよぎり、途端に顔を顰めそうになったがすんでのところで耐える。


 腰につけてある小袋から治癒ポーションの入った瓶を取り出し、少年の胸に押し付けるように乱暴に手渡した。


 少年は暫く不思議そうにポーションの入った瓶を見つめた後、顔を上げ、俺を見上げるようにして見つめてくる。


「やるよ。もう俺には必要ないしな」


 少年の頭を雑に撫でて、女性に別れを告げて立ち去ろうとした。それはそれは格好よく、見事に決まった感じで締めようとしたのだが。


 振り返り、二人に背中を見せた時に大きな声を上げられた。

 

「あの、名前を聞かせていただけないでしょうか!」


 気弱そうだった女性が、その見た目からは想像の出来ない大声を上げている。先程からただでさえ目立っていたのに、こちらを黙ってみていただけの聴衆がざわつき始めた。


 俺はセレスと違い、目立ちたがりではないのだ。あまり目立つことをして、名前が広まっても師匠の二の舞になるだけだしな。


 つまり、俺が名を自分から名乗る事は決してあり得ない。たとえ、他人からせがまれたとしても、だ。


 無言で去る。先の言葉が聞こえなかったかのように歩き、列を堂々と抜かし、もはや検問もままならなくなった検問所を抜け、王都へと入った。


――それにしても、人助けとか。本当に俺らしくない。






 





 


 


 

 


 

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