第12話『生き足掻く』

 眼前に立つ猛牛を前に、恐怖で身体が動かない。自身に起こる初めての現象に、動揺を隠せない。


『ミノタウロス』


 身長約三メートル。その人よりもデカい体に比例するかの如く凄まじい膂力と、頑丈さを兼ね備えた怪物。人生で一生会いたくもないと願った魔物の一種だ。


 ヤバい、と思った時には時すでに遅し。振り上げられた斧は、その凄まじい膂力をもって俺の脳天へと振り下ろされた。


 防衛本能による反射的行動により、全自動で後ろへと飛び去ったことで事なきを得る。


「ぐっ!」


 振り下ろされた斧は、鼓膜が破ける程の音をたてて地面を割った。宙を舞う砂埃に目を瞑りたくなるが、それを気合で耐える。


 彼の猛牛から目を離すことは俺にとって死を意味するのが肌で分かる。それほどに、ミノタウロスから放たれるこちらを威嚇するかのような闘気が俺の身を焼いている。


 だが、目には目を歯には歯を。気迫には気迫を。


 連日で何度も発動させるのはそれなりにリスクがあるが、今はそれを気にしている余裕が無い。頼む、これで逃げ去ってくれ!


「『気迫』」


 精一杯の虚勢を張り、表面に怯えをおくびにも出さず、真っすぐにミノタウロスを睨みつけた。今にも震えだしそうな足を、必死に押さえつける。


 俺に怯えろ。俺に恐怖しろ。


 そして、俺から離れろ。


――そんな願いは、塵へと化した。


「グオオオオオオオオオオ!!!」


 ミノタウロスには、他の魔物には無い特徴がある。身体の頑丈さや異常な膂力等の表面的特徴ではなく、精神的な特徴である。


 彼らは、常に強者を求めている。


 自らをより高みへと導いてくれる強者を。自らが戦うに相応しい強者を。自らを殺すに相応しい強者を。


 そんな彼らを、世の冒険者たちは畏怖をもってこう呼んだ。



――『戦闘狂バトルジャンキー


 ミノタウロスは、強者との戦いを求めている。そんな彼の目に、凄まじい気迫を放つアルキバートの姿は、歴戦の戦士のように映った。


 故に、ミノタウロスは止まらない。


「クソが!」


 興奮したように斧を滅茶苦茶に振り回す猛牛を前に、アルキバートは悪態をつく。恐怖を覆い隠すように、世界への不満を表に出す。


「いい加減にしろよ! ここが俺の死に場所とでも言うつもりか!?」


 ここに来たのは彼自身の意思。ここに来ると決めたのは彼の判断で、誰に言われたわけでもない。故に、責任は全て彼にある。


 それでも、誰かに罪を被せたかった。


 こんな異常事態が起こるとは思わなかった。普通にダンジョン攻略を進めて、魔物を倒して順調に強くなっていくつもりだった。


 初ダンジョンでこれはねえだろ。こんな試練は俺に必要ないだろ。なんで俺なんだよ。なんで――俺ばかりがこんなに不幸を被らなければならない?


 アルキバートの心が曇る。既にどす黒く染まっていたその心に、更に靄が加わった。


 その歪な精神で、アルキバートはその場にいた。迫るミノタウロスには太刀打ちできず、きっとすぐにやられるのだろう。そんな絶望感が、頭から離れなかった。


 気迫を出し続けても、それに怯えないものがいる。そんな奴を前に自分に何が出来る? そう思った。


 自分が一般人となんら変わらないのは百も承知。だからこそ、今までずっと面倒ごとには関らないように生きてきたのだ。


 人が困っていようと助けず、何か面倒が降りかかってきたら人に押し付け、必要最低限のことしかしない。


 何事にも自分第一。世界で一番大切なのは自分の命。だから、危険なことはしない。


 そんな人生を歩んできた。その人生を平気で歩めたアルキバートの心根は、ミノタウロスを前にしても変わらない。


 何事にも自分第一。世界で一番大切なのは自分の命。


 だから、死にたくない。絶対にこんなところでは死ねない。死ぬならせめて、死ぬほど豪遊してから死にたい。


――だから、精一杯の抵抗をしよう。


「股の下がら空き!」


 振り回される斧の中に突入し、頭を下げ態勢を低くして走り、ミノタウロスの股の下をくぐって背後へと回る。


――即座に振り返るミノタウロスの顔面に素敵なプレゼントをくれてやろう。


 そう悟らせるかの如く不敵な笑みを見せるアルキバートは、ミノタウロスの顔に向かって、固く握りしめた拳を打ち付ける。


 しかし、猛牛に効果はない。期待外れだと鼻で笑うミノタウロスは、もう一度天高く斧を振り上げる。


 そんな彼の目が突如として閉ざされた。何故? それは彼の目に、ちょっとしたゴミが入ってしまったからさ。


 彼に打ち付けられたアルキバートの拳には、にも少量の砂が握られていた。それが彼の顔面で拳が開かれたことによって、彼の目に砂が入り込み、彼の視界を封じてしまったのだ。


 そう、あくまで偶然だとも。


「ククっ、大間抜けが」


 この状況下でも相手を煽ることを忘れず、尚も邪悪な笑みを浮かべるアルキバートの心には、恐怖はあれど迷いはない。


 いくら絶望しようと、いくら心が折れようと、アルキバートは醜く生き足掻くことに、全くもって迷いがない。


 


 


 

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