第8話『通り魔ならぬ殺気魔』

 もう、すっかり日が暮れている。明るく輝いていた太陽は沈み、静かに地上を照らす月明かりが降り注ぐ。


 その月の下で、今俺は走り続けている。森の中を駆け巡り、必死に追手の視界から逃れるように木々の間を潜り抜け、枝に引っかかりできた頬の切り傷に痛みを感じつつ、走り続けた。


 背後から飛んでくる矢を冷や汗をかきながら、持ち前の勘頼りに避ける。そして、矢を放ち反動で瞬間的に止まった弓者の一瞬の隙を見逃さず、素早く剣を抜き矢の飛んできた方向へ思い切り投げた。


 投げた剣は、弓者『ゴブリン』に突き刺さっていた。灰へと変わるゴブリンには脇目も降らず、即座に剣を拾い上げて近くの大木の裏に隠れる。辺りに気配を感じないことを確認すると、それまで全力稼働させていた足を休ませるように座り込んだ。


「……いってえ」


 身体のあちこちを擦りむいて、所々に切り傷が出来ている。ヒリヒリと不愉快な痛みが確かに俺の心労を増やしていく。


 明らかな計算外だ。確かに強くなりたいとは言ったが、初めからこんなのは望んじゃいない。クソ、修行場所を間違えたな。


 ここは、元我が家の近くにある森林。その中で、俺は魔物を探していたのだ。


 無論、魔物を狩ることで強者への道を切り開いていく為である。だが、剣なんてここ数年振るっていないし、以前のバリスモスとの戦いでも身体が鈍っているのは容易に気づくことが出来た。


 だからと言って、ゴブリン程度に苦戦を強いられるとは思わないだろ! 世の中ふざけてんじゃねえぞ!?


「――多少はふらつくが、立てるな」


 おぼつかない足取りで、森の中を歩いていく。いつまたゴブリンの集団に見つかるか分からない。移動して、一度体勢を立て直さないと死ぬ。


 てなわけで逃げます。


 森林内はアイツらの独壇場だ。もし次見つかったら、今度は本当に逃げ切れず死ぬかもしれない。その未来だけは、絶対に意地でも回避する。


 背筋に悪寒を走らせながら、ひたすらに歩く。走ってはならない。音を鳴らさぬよう、静かに、密かに、丁寧に歩く。


 ゴブリン共に足音を聞かれた時が、俺の人生の最後だ。


――いや、集団に囲まれなければ今の俺でも切り抜けられるか? 一体ずつ、確実に仕留めていけば勝てるかもしれない。


 殺し合いではなく、狩りに徹して奴等を殲滅する。


 その思考を終えた時、足が止まった。身体中の痛みも、なんとなく引いた気がする。


 元々、そこまでの損傷を負っていたわけでは無かったし、今の状態でも戦うこと自体はできる。


「ふふっ、イケるな」


 そう呟いた口は、綺麗な半円を描いていた。気づかぬうちに、俺の右手は腰にかけてある鋼の剣に触れていた。


 *


「あれ? 何故いない?」


 あれから散っていったゴブリン共を探す為、あちこちを探し回ること数十分。森の周辺にアイツらは影も形もいなかった。無論、森の中も同じくだ。


 どして?


 住処を移したのなら俺がここに住んでいた頃にして欲しかった。その方が安全に過ごせたし、この森をもっと有効活用できたのに。


 いや、そんな事を考えている場合と状況じゃない。


 流石にこの静けさは異常すぎる。木々のさえずりも、不気味な魔物の鳴き声も、何もかも聞こえない。俺の18年間の人生で初のうるさい静寂。


 いつもの俺なら即座に逃げて、冒険者ギルドに森の状況探索の依頼を要請するところだが、今は駄目だ。おそらく死ぬ。


 俺は多分、冒険者のランク付けで言うのならCランク程度、強くも弱くもない。セレスのような超常的な存在には手も足も出ない、足元をにも及ばない程度の、ちょっとだけ強い一般人である。


 そんな俺でも分かる程に、クソ強くはっきりと伝わる殺気が、先程から俺に向けられている。不快な気分を通り越して、恐怖心が全身を支配している。


 何か、行動を起こさなければ死ぬ。何かしろ。何か、俺がこの状況を切り抜けられる何かを。


 相手に俺が殺せないと、そう思わせる何かを。


「――『気迫』」


 瞬間、森がざわめいた。


 魔物たちの逃げ惑う音がうるさい。一斉に飛び去って行く空飛ぶ魔物や動物が、慌てすぎて木々にぶつかっているのが見えた。


 そして、背筋が凍る程の殺気が消え失せた。呟いた単語も、既に宙を舞って消えている。


 やっと、呼吸が出来る。


「はぁ、はぁ、はぁ! ……ビビったぁあああ! 何今の!? 何だよホントおっかねえ!」


 必死に深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いてきた頃に一気に疲労感が押し寄せてきた。元々、魔物と戦うということで精神をすり減らしていたのに、その上であんな殺気にあてられたら精神的な疲労もかなりのものだ。


 仕方がないし、今日は流石に引き返すことになるが、正直もうここで修業はしたくない。いつまたあの殺気魔に出くわすか分からないし、次に会った時は本当に俺の人生が終わるかもしれない。


 そんなセレスよりも恐ろしい奴がこの森に潜んでいるなら、さっさと場所を移動するのが先決だ。だって怖いし。


 ま、殺気魔の正体なんざどうでもいいが、金輪際俺には関らないで欲しいものだ。




 


 


 


 


 


 



 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る