第6話『我が家のトラップ』

 壮大な青空の下で、疲労感に全身を支配され、それに抗う事すら困難な中、気力だけで足を進めていく。ここまで来て遂に確信した。王都と実家との距離があまりにも遠すぎる。ここまで来る途中で三回は野宿を強いられたぞ、クソッたれめ。


 王都を出て早3日。いくら歩けども、辺りに広がっているのはだだっ広い草原ばかりで、途中に街も無ければ村もない。どうやら、この大地は俺を鬱にする気のようだ。


 本来なら、王都に徒歩三日で着くほどの距離にある村ならば、かなり発展していてもおかしくないのだ。その筈が、何故あんな田舎村になっているのか。甚だ疑問である。


 ぶつぶつと愚痴を呪詛のように呟きながら歩いていると、ようやく畑しかないで有名な田舎村が見えてきた。家が数件建っているのも見えるが、外装が質素過ぎて見栄えが悪い。


 王都では、一般人の家でもある程度の装飾が施されていて、色鮮やかな街並みになっていたというのに。相変わらずこの田舎は茶色まっしぐらである。


――もしかしてこの村、う○こがモチーフだったのか?


「これが本当のクソッたれってか。はっはっはっは!」


 天才的なギャグを言ったことで、少しは疲労感も薄れた気がする。おそらく気の所為だが。とにかく、一刻も早く家に帰って寝床に就きたいものだ。師匠への土産話もあることだし。


 その思考を終え、ますます家への帰還を強く望んだ俺の脳は、俺の身体を無理矢理に走らせた。


 *


 息切れを起こしながら、目の前に立つ小屋を見る。人生で何度も見てきた、小さな小屋を。


 あの田舎から少し離れた場所にある、木造の小屋。紛れもない、俺の家である。

 

 嗚呼、王都の宿が恋しい。


 改めて見ると、本当によくこんな小屋に男二人女一人で暮らし続けられたものだ。普通なら、一人暮らしが限界なぐらいの小屋であるというのに。部屋も1つしかないし、便所は外にあるし、風呂もお湯を沸かす事自体が大変で一週間に一度にしか入れなかった。


 俺や師匠はともかく、よくもまぁセレスのような女の子がこんな環境で暮らしていけたもんだ。まぁ、セレスは女は女でも化け物だから、普通の人とは感性が違うだけかもしれないが。


 だが、そんな小屋でも、愛しの我が家であることに変わりはない。ようやく、俺にもいつも通りの平穏な日常が戻ってきたのだ。


「帰りましたよ、師匠」


 扉を開け、玄関から入る。


 ずっと履いていた靴を乱暴に脱ぎ捨てて、ふらりと室内に向かうと、そこに師匠の姿はなかった。あの引きこもりがまさかの用事か? 今日は雪でも降るんじゃないだろうな。


――ま、俺には関係ないのだが。


「って、布団がねえじゃねえか」


 てっきり敷きっぱなしだと思っていたのに、この室内に布団は敷かれていなかった。いつもは、師匠がそこで寝転がってばかりいるので布団が片付けられるのは年に一度の大掃除の日ぐらいであったのだ。


 もっとも、セレスがいた時は別であったが。


 あの怠け者は、セレスの前では立派な師匠を演じていた。故に、毎日規則正しい生活を心がけていたな。懐かしい。


 もちろん、布団も朝起きてすぐに片付けるようにしていたようだ。それが、セレスが居なくなった途端にあれとは、難儀なものだ。


 それにしても、わざわざこんな日に真面目に目覚めるとは、本当に厄介な事しかしないな。いつか天罰でも受ければいいのに。


 それはそうと、俺の安眠の為にも早いこと布団を敷かなければ。そして、そんなお目当ての布団の在処は、おそらく。


「押し入れ、か。開けるのは何年ぶりになるかな」


 一部屋しかない小屋の中、辺りを見回しても布団を仕舞えるような場所は押し入れしかない。


 そして、他の物を仕舞えるような場所もまた、その押し入れしかない。故に、あの硬く閉じられた押入れの中に一体どれほどの物体が詰められているのか、想像もつかん。


 容易に開けてしまえば、中に詰められた物体が弾け飛ぶのは想像に固くない。そんな物騒なトラップが我が家に備えられていたとは、びっくりである。


 呼吸を整え、目を見開き、覚悟を決める。


「いくぜ」


 押し入れの引き戸に手をかけ、すぐに後退できるよう態勢を整える。


 作戦としては、『一瞬で引き戸を大きく開け放ち、物が飛び出してくる前に即座に後退し、射程距離内から脱出する』これが作戦の全容だ。


――なんて完璧な作戦なんだ! 俺には軍師になれる才能があるのかもしれない。絶対になりたくないけども!


 刹那の間に巡る思考回路を一気に断ち切り、目の前に押し入れに全神経を集中させた。そして、一閃。


「せいやっ!」


 腕の力だけではなく、腰などの身体全体を使って大きく、遠慮なく、力強く引き戸を開けた。その瞬間に、即座に後ろへ下がる。


 押し入れと向かいの壁に背がつくのを感じ、トラップの射程距離外に出たのだと確信する。それでもひょっとしたら衝撃がくるかもしれないという思考に襲われ、思わず目を瞑ってしまった。


 頭を丸め、身を屈める俺に、凶悪なトラップが強烈な一撃を――


「って、あれ?」


 なんの衝撃もこなかった。それどころか、物が飛び出てくる音すらなかった。


 うちの押入れはいくら整理しようと物が入り切ることはない。故に、今まで無理矢理に押し詰めて収納を可能としてきたのだ。それが、扉を開けて未だに収納されている状態でいることなど、あり得ない。


 流石におかしいと思い、ゆっくりと瞼を開けた。目の前には、何も収納されていない空っぽの押し入れという、異常な光景が広がっている。


 物理的な衝撃ではなく、精神的な衝撃食らわされた今の俺の顔は、さぞかし間抜けな面になっている事だろう。


 そんな事に気を回す余裕もなく、俺が狼狽えていると、ふと押入れの中に置かれている一枚の紙が目に入った。ゆっくりと歩いて押し入れへと向かい、その紙を取って覗き見る。


 そして、紙にはこう書き記してあった。


『探さないでください。


     偉大なる師匠より』





「――んだとゴラああああああああああ!!!」


 俺の怒声が、聞く人の鼓膜を破く勢いでこの田舎に鳴り響いていった。




 


 




 


 

  



 

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