久しい一人での過ごし方

熊坂藤茉

当たり前の日常を想う時

 トントンと、リズミカルな包丁の音がよく響く。和風ハンバーグに使うきのこの微塵切りをしながら、少女はややむくれ顔で隣に視線を向けて口を開いた。


「後始末は面倒かもしれないけれど、やはりフードプロセッサーを買った方がいいんじゃないかな? 予算を立てた方が――」


 そこまで言って、はた、と気付いた様子で口をつぐむ。視線の先には誰もいない。今そこにいるのは彼女一人だけだ。


「……気ままにやれる利点があるからと、久々の一人暮らしを受け入れたのだけれどね」


 苦笑しながら、少女は再び手を動かし始める。向こう一週間同居人恋人が実家の用事で留守にするという事実を、今更になって実感し始めていた。



* * * * * * * * * *



「実家の呼び出し?」

 テーブルの大皿に盛られた唐揚げに伸ばしていた箸の手をぴたりと止め、少女――真幸まゆきは目の前に視線を向ける。その先には同級生で同居人――そして最近恋愛関係に発展したばかり――の少年、靖満やすみちが、ばつの悪そうな表情で視線をさまよわせていた。

「厳密には実家じゃなくて本家だけどな。お前との同居にうちの両親の許可は取ってたけど、あっちの奴らが〝学生の身分でそんな状況になってるなんて聞いてない。一度きちんと説明に来い〟って言い出したらしくて」

「そういえば君の家は旧家のそれなのだったね」

 箸を再び動かし始め、真幸はもくもくと唐揚げを食べ進める。こくんとそれを飲み下すと、彼女はふむ、と思案して口を開いた。

「それなら当事者である私も同行した方が」

「あー……それなんだけど、当主のジジイが……あー……」

「御当主が?」

 どう告げたものかと頭を掻く靖満に、真幸が不思議そうな顔で首を傾げる。その内に「ストレートに言うしかねえよなー」とぼやいた彼が、改めて彼女に視線を合わせる。


「当主のジジイがだな。〝下心のみで構成された同居でないなら認めるから、一週間程こっちで禁彼女を命じる。ついでに剣術の手合わせしろ〟って」

「禁彼女、とは」

「年齢的に〝そういうつもり〟だと思われてんだろ……」


 盛大に溜息を吐く靖満を見て、その意図をようやく察した真幸が頬を染めた。そんな様子の彼女の頭に手を乗せ、靖満は愛おしそうに撫で上げる。

「事実としてそれのみじゃないとはいえ、下心皆無かって言われたら……なあ?」

「ばっ――! 君はもう少し慎みをだね!?」

「悪い悪い、ふざけすぎた」

 真っ赤になった真幸の頭をぽむぽむと軽く叩きながら、靖満がからからと笑う。一方の真幸はというと、そんな彼の挙動にむくれてこそいるが、拒絶や否定の様子は微塵もない。

「……まあ、実際そうではあるからね。うん」

「真幸のそういう正直なとこめちゃくちゃ好きだわ。そういう理由で休み中は留守にするけど平気か?」

「元より私は両親が遠方で仕事しているから、実質一人暮らしのようなものだったんだ。数ヶ月振りにソロで家事や趣味をやるのも悪くないさ」

 胸にとん、と手を当て、真幸がドヤ顔でそう告げる。一抹の不安を抱えながらも、靖満は「じゃあお互い頑張ろうな」と返すに留めるのであった。



* * * * * * * * * *



 そして久々のソロ生活最終日。留守番担当の真幸はというと。


「…………」


 リビングの椅子に腰掛け、若干死んだ目で虚空を見つめていた。


「……まさか、こんなに彼といるのが当たり前になっていたなんて……」


 料理を作れば「味見してもらえるかな」と誰もいない方向に声を掛け、風呂が沸けば「今日はどの入浴剤がいいかな」と彼の分の服まで引っ張り出し、ベッドに入れば「空白がある……」と隣のスペースに手をやりシーツを握り締める。

 一人でのんびりとやりたい事をやるという目標は確かに達した。だがそれはそれとして靖満がいる前提で行動する事が多々発生しており、生活の中で彼がどれだけ自分の中の割合を占めているのか、真幸は今更ながらに自覚する。


「ただいまー」


 久しく聞かなかったその声に、彼女の耳がぴくりと動く。慌てて立ち上がれば、今誰よりも会いたかったその人が、リビングへと足を踏み入れた。


「いやー、一週間って結構なが、いっ――!?」


 靖満が驚愕の声を上げる。留守を任せていた真幸が突然、自分の胸に抱き付くように飛び込んで来たのだ。普段の彼女の性格からすればあまりにも衝撃的なそれに、靖満の思考がしばし強制停止する。


「え……っと、真幸サン?」

「補給を」

「ハイ?」

「不足分の補給をしているのだけれど、差し支えは」

「え、や、ない、デス」


 有無を言わさないような圧で問う真幸に、靖満が酷く狼狽える。それなりに生活を共にしていた彼でさえも、こんな彼女はいまだかつて目にした事がなかったのだ。


「……さびしかった」


 彼女の口からこぼれた小さな一言。それによって、靖満の頬に赤みが差す。絵に描いたようなドヤ顔で留守を承諾された彼にとって、こんな風に甘える彼女を見るのは想定の埒外だったらしい。

「ごめんな。そうだ、俺の留守中どんな事してたか聞いてもいいか?」

 努めて明るく振る舞う彼の言葉に、真幸は上目遣いで視線を合わせる。涙で潤んでいる彼女の瞳に、靖満の心臓が高鳴った。

「ん……いつも通りだよ。食べたいものを作って、使いたい入浴剤を使って、ゲームや読書もいくらかやって、それから眠って。……でも」

 真幸が目を伏せる。どうしたのかと覗き込めば、恥じらいと戸惑いの入り交じった表情を浮かべていた。

「……君がいないから、いつも通りではなかったよ。ペアでなくソロなのは久し振りだから、羽が伸びると思ったけれど、今の私にはあまり合わなかっ――ひゃあ!?」

「お前は! そういう! 可愛い事を言う!!!!!」

 ぽつぽつと言葉を紡いでいた真幸を、靖満が勢いよく抱き締める。先に抱き付いていた真幸は、そこでようやく己の取っていた行動を振り返って赤面した。

「ちょ、靖満君……!」

「冷静さ取り戻したいからしばらく抱き締めてていいか? 今放したら多分一週間分の諸々で暴挙に出るから」

 はぁー……と大きく息を吐く彼に、真幸はおろおろと視線を泳がせる。

「……埋め合わせをしたいのは私もなのだけれど」

「おうおう、理性のブレーキオイル抜くようなコト言うのはこの口かー?」

 むにむにと真幸の頬を摘まみもてあそんでから、靖満がそっと彼女に口づける。きゅ、と彼の服を握り締めて、真幸も瞼を閉じて受け入れた。



 ――さあ、まずはどんな埋め合わせから始めて行こう。

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久しい一人での過ごし方 熊坂藤茉 @tohma_k

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