壁ドンじゃない!

水原麻以

壁ドンじゃない!

「ギャーッ! 結婚してください!!」

カメラに突進する鬼瓦。ジャンボ旅客機を打ち負かす程の奇声。

視聴者提供の映像は男の恐怖を臨場感たっぷりに伝えていた。

加害者はパンパンに膨らんだ腕を運転席の窓からねじ込み、強引に男をひきずり下ろそうとする。

その間にも「結婚してくれないと死んじゃう」だの「運命の出会いを受け入れろ」とか身勝手な理由を並べ立てている。たまりかねた男が手を振り払おうとすると、とんでもない行動に出た。

あろうことか、男の小指に噛みつき、食いちぎる。

鮮血が噴水のように飛び散る。しぶきがドライブレコーダーのレンズにべとつく。

そして、男の悲鳴とともに映像が途切れた。


「KNNは襲われた男性から話を聞きました」

MCが告げると、画面がモザイクだらけになった。カメラ視線が規則的に上下する。そして、処理の施されていない部分から風景が垣間見える。

どうやら、ごく普通の住宅街のようだ。駅から徒歩十分といったところか。

目立った建物やコンビニなどもなく、没個性的な佇まいだ。


「降ってわいた災難ですよ」

声だけがインタビューに応じている。どことなく気弱で忠実な社会の歯車を匂わせる。

被害者の右腕は包帯を巻いたマンガ肉のようだ。

「俺、何もしてないっすよ。ただただ追い越し車線を走ってた。そしたら、あいつが煽ってきて」

高速道路で起きた受難を要約すると、こうだ。

被害者A氏はいつものように勤務先へ向かう途中だった。毎朝、走りなれた道。車の流れも混雑具合もすべて把握している。やってはいけないのだが、考え事をしながらでも安全運転する自信はあった。

ところが、その日だけは勝手が違った。後方からド派手な外車が煽ってきたのだ。

「ショッキングピンクのワンボックスなんて、あり得ないっすよ」

度肝を抜かれたA氏にさらなる驚きが待ち受けていた。追い抜きざまに運転席の女が投げキッスをよこしたのだ。髪は緑色で背中までウエーブしている。顎もたるんでいる。

彼は身の危険を感じたものの、次のパーキングエリアまでどうやってやり過ごそうか途方に暮れた。まだ10キロ近くある。煽り女には十分すぎる時間が与えられている。

「ブレーキを踏むと、相手もタイミングを見計らって後ろにつくんです。加速したらしたで、追い付いてくる。蛇行したり、急減速したりやりたい放題ですよ」

いたちごっこが永遠に続くかと思われた。パーキングエリアまであと1キロを切った時、女は勝負に出た。

ワンボックスカーをドリフトさせて、車線をふさぐように停車した。こうなっては衝突を避けるため急停止せざるを得ない。

すると前の車から女が降りてきた。ずかずかとこちらへ向かってくる。目は釣り目で三白眼だ。おまけに焦点が定まっていない

「これはあかんやつや」

A氏は身構えた。しかし相手はいくらイカレた奴とはいえ、女一人だ。何が出来るというのか。彼は高をくくっていた。

ところが、助手席のドアが開いて半グレ風の男が出てきた。これは想定外だった。あんなブスと交際するもの好きがいるのだ。

「多様性って怖いですね」

何をされるかわからない。A氏はドアのロックを確かめ、身を低くした。

デブスの彼氏がどんな攻撃をしてくるのだろう、と出方をうかがっていた。しかし、ハンドルを握っていたのは女の方だ。二人の間柄がわからない。

もし主従関係が男女逆転していたなら、不規則な展開になる。女がどんな命令を下すか予想がつかない。A氏は死すら覚悟した。

男にとってヒステリーほど怖いものはない。特にはっきりモノをいう女は忌避される。

デブスはフロントガラスを両こぶしでゴリラのようにバンバン叩いた。

「降りてこい。ぶっ殺してやる」

すると、半グレのほうがどこからともなくバールのような物を手渡した、勢いづいた女が二度、三度と打ち付ける。そのたびに白い蜘蛛の巣が広がっていく。

「うひゃあ」

溜まらなくなったA氏は車を急発進させようとした。その瞬間、ガツンと大きな衝撃を受けた。

あろうことか、ワンボックスカーが物凄いスピードでバックしてきたのだ。はずみでフロントガラスが崩れ落ちる。

怒り狂う女。その様子を半グレがスマホで撮影している。ケラケラケラとけたたましい。お前はワライカワセミの転生か。

「頭の中が真っ白になりましたね」

A氏は当時の恐怖をふりかえる。一言であらわすなら、「白昼の金縛り」。動転して身動きが取れない。それを良い事に二人組はやりたい放題、破壊の限りを尽くした。女がバールで運転席の窓ガラスをたたき割る。

ドンっとバールを助手席シートに突き立て、ぬうっと窓から頭を差し入れた。

そして、とどめの台詞を放った。


「結婚して♡」


◇ ◇ ◇ ◇


「まさかのバール・ドン!ですよ。壁ドンじゃねえっすよ。バールですよ!バール」


字面だけ追えば、実にうらやましい限りである。しかし、バール・ドン事故のあと、駆け付けた警察官によってA氏は救出されたものの、重度のPTSDを患ってしまった。会社を辞め、つきあっていた恋人とも別れ、家族からは絶縁され、ひとりでもがき苦しんでいる。

バール女とはいったい何者だったのだろうか、一緒にいた半グレ男との関係はどうなっているのか、疑問が山積している。

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壁ドンじゃない! 水原麻以 @maimizuhara

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