第5話 憧れの王子の恋心

「元はと言えば、オレのせいだ。着替えを貸そう。オレの部屋まで来てくれ」

 

 えぇぇぇぇっ!?!?!?


 私は卒倒しそうになったのを、なんとか堪えて断った。


「いえ! 私が勝手に近づいたせいですし、殿下のせいでは……」

 

 慌てて両手を振る私の肩には、まだ殿下の手が添えられている。


「そんな格好で何を言っているんだ」


 ふと目線を下にやると、焼け焦げたシャツの隙間から申し訳程度の胸の谷間が見えた。

 更に水を被ったせいで、シャツが濡れて肌が透けている。


「わわ!」


 私は慌ててかけられた上着を、ギュッと引っ張った。

 そこにお嬢様からも心配そうな声をかけられる。


「そのままでは風邪を引いてしまうわ。護衛はジョルジュがいるから、着替えていらっしゃい」

 

 お嬢様にまで心配されてしまった。

 ……情けない。

 殿下に促されるまま歩き出した私の後ろから、ジョルジュさんの遠吠えのような声が聞こえた。

 

「え、おい。クルトー……」

 

 殿下の部屋まで案内された私は、座ることもできずに扉の前で立ち尽くしていた。

 高級そうなワインレッドの長椅子と、縁に細かい花の模様がついた品のいいテーブル。

 衝立の向こうには、天蓋付きのベッドまで見える。

 高級な調度品の数々に、ここは王族の部屋であると意識せざるを得ない。

 ……居た堪れない。

 

 するとクローゼットから出てきた侍女は、ドレスを持っていた。

 それを見た殿下は苦笑いで、私に尋ねる。


「ドレス……は着ないよな?」


 ……というかなぜ殿下のクローゼットからドレスが出てくるんですか。

 どう考えても殿下は着ないであろうこのドレスを前に、私は首を振った。


「そんな上等なドレス着られません」


 そのあと侍女と一緒にクローゼットに入った殿下は、タオルとシャツを持ってきて私に渡した。

 一言お礼を言ってそれを受け取る。

 タオルで簡単に体を拭き、シャツを広げる。

 ツルツルした手触りのシャツは、どう見ても上等で従者の物には見えない。


「俺のだと、ちょっと大きいか?」


 で、殿下のシャツ!?!?

 確かにこの上質なシャツは、殿下が着ているシャツと似ている。

 こんなの、恐れ多くて着られない。

 使用人のを貸してくださいと言おうか。

 しかし受け取ってしまってから突き返すのも失礼だ。

 シャツを広げたまま、うーんと考えこんだが、いい解決策が思い浮かばず結局着ることにした。


「確かにちょっと大きいですが、大丈夫です。ありがたくお借りします」


 丁寧にお辞儀をした私を見て、殿下は満足そうに頷いた。

 そしてすぐに後ろを向いて、衝立の向こうに消えた。

 

 侍女から手伝いの申し出をされたが丁寧に断り、その場でさっと濡れたシャツを脱ぐ。

 運動するための柔らかいコルセットが多少濡れてるのはしょうがない。

 タオルで拭うだけして、渡されたシャツを羽織った。


 殿下は背が高い。そして私は小柄な方だ。

 お借りしたシャツは思ったより大きかった。

 一番上までボタンを止めても、まだデコルテが見えている。

 袖も何回も捲ってやっと手が出た。

 まあ、この際贅沢は言ってられないか。

 むしろこのシャツ自体がすごく贅沢なんだから。


 支度を終えると、侍女が衝立の向こうに声をかけてくれた。

 出てきた殿下はブカブカのシャツには特に反応することなく、長椅子を促した。


「着替えたか。お茶でも飲んで行ってくれ。濡れたから冷えただろう?」


 振り返ると、すでに品のいいテーブルに紅茶が二つ用意されていた。

 さすが王家の侍女は優秀だ……。

 断るのも忍びないので、私はありがたくいただくことにした。


 一口暖かい紅茶を飲むと、冷えた身体にじんわり染み渡る。


「最後の技はなかなかだった。お前は木魔法の使い手なんだな」

 

 同じように一口だけ紅茶を飲んだ殿下は、片足を組んでリラックスしながら話し始めた。

 憧れの殿下に褒められて、思わず頬が緩む。


「はい。あそこまでしないと殿下には物足りないかと思いまして。……やりすぎましたけど」


 調子に乗って喋ってから、自分の惨状を見て反省した。

 しかし殿下はにこやかに笑って肯定してくれる。

 

「いや、クルトのお陰で楽しかったよ」


 私の名前を覚えてくださっている……!

 憧れの殿下に名前を呼んでいただけるなんて、嬉しくて舞い上がってしまいそうだ。

 私は飛び上がりたい気持ちをぐっと抑えて、冷静に返した。

 

「私の名前、ご存知だったんですね」

 

 私が夢のような気分でいると、殿下がふっと笑った。

 笑った顔も凛々しい。


「さっきもう一人の騎士がずっと呼んでたからな」

 

 そういえば呼んでたな……。

 お嬢様の護衛は今ジョルジュさん一人になってしまったけれど、大丈夫だろうか。

 早く戻らなくては。

 ……でもせっかくの機会なのだから、これだけは聞いておきたい。


「そういえばさっき殿下はどうしてお嬢様をお引き止めしたんですか?」


「……意外と痛いところを突いてくるな」


 苦笑いしつつ頬を掻いた殿下だったが、教えてくれるようだ。


「お前も見ていただろう。オレがグリーゼルに振られるところを」

 

 忘れはしない。

 殿下の辛そうなお顔。

 そしてそれを隠して笑ったお顔。

 あれから時折見せる切なそうな表情から、きっとまだ平気ではないんだろうな、と思った。

 

「でもオレはレオポルドともグリーゼルとも、以前のような間柄でいたい」

 

 バートランド殿下はお二人との仲を懐かしむように笑った。

 お嬢様の前では、あんな切ない顔をしていらしたのに。

 それでもお嬢様とレオポルド殿下との、仲を保つため一番気まずい役を買って出たんだ。

 

 すごいな……。

 お嬢様と結ばれない殿下は、物語であれば脇役かもしれない。

 けれど、失恋した相手にまで親しい距離感を保てる殿下は、誰よりも格好良く思えた。


「それに……そもそも両思いのところに割り込んだのは、オレの方だしな」

 

「え……殿下、お嬢様のお気持ちをご存知で……!?」

 

「嗚呼。だが好きになってしまったものはしょうがないだろ」

 

 殿下は上手に笑っていたが、同時に今にも泣きそうな顔に見えた。

 そんなに悲しそうな顔をなさっているのに。

 お嬢様がお慕いしてるのはレオポルド殿下と分かっていて、ずっと……?

  

 ポタリと膝に水滴が落ちた。

 

「殿下、そんなの……辛すぎます。どんなお気持ちでお嬢様と……」


 拭っても拭ってもまた出てくるそれに情けない声が出る。

 好きな気持ちに折り合いを付けたふりをして関係を保とうとする殿下。

 殿下の気持ちに応えられず気を遣って距離を取ろうとするお嬢様。

 どちらもお辛く、お互いのことを思っての行動だ。

 だから何もできることはない。

 殿下の切なさは、軽くして差し上げることも、変わって差し上げることもできない。

 

「オレのために泣いてくれるのか……」

 

 子どものように泣きじゃくる私に、殿下は慌てることも怒ることもしなかった。

 ただ私の隣に座り、優しく私の頭を撫でてくれた。

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、殿下は優しく微笑んでいた。

 その穏やかなお顔にホッと少し安堵した。

 私のみっともない顔を見て、気が紛れたんだろうか。

 少しでも殿下の悲しいお気持ちを逸らせたならよかったな、と嬉しくなって頬を染めた。

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