6章 赤の瞳

そこまで話すと、ヴェルはふっと一息ついた。

随分喋ってしまったようだ。


「オレンドって変な人なのね」

「全くだ」


イーラは飽きもせず、ヴェルの話に聞き入っていたが。

一休止いちきゅうしになっていることを悟り、つんと背伸びをする。


「会ったことがないからわからないけど、きっと面白い人なのね」


出会いに想いをせて、イーラがけらけらと笑う。


「お話聞いてみたいなぁ」


何にでも興味を持つイーラとあの男が出会ったら。

この上なくにぎやかになるだろうことは、ヴェルでなくてもわかる。


「ねえ、オレンドは城から逃げ出した後どうなったの?」


ふむ。

少しヴェルが間を開けると、イーラはまずいことを聞いたかな?という顔をする。


「…死んじゃったの?」

「わからぬ。だが、おそらく生きておる」


と、

聞くや否や。

コト、と椅子を鳴らしてイーラはヴェルの方へと身を乗り出す。


「ホント!?会えるかな!?」


――おかえりなさーい。

ヴェルはふっと、昨日の昼間に出会った男のことを考えて。


「ふむ。近いうちに会うことができるだろう」

「やったー!約束ね」


椅子から立ち上がってイーラはにこりと笑った。

その勢いのままに、他にはないの?という目で見つめてきたが、もう昼の時間を超えたころ。

ヴェルも椅子から立ち上がる。


さて。

この温かな家から去らねばならぬ。


「私はそろそろ行くとする」

「え、ヴェル行っちゃうの?」


イーラはヴェルの服のすそを掴む。


まだ魔王の友達のことも聞き終えていない。

まだ魔王ヴォルカスの話を聞いていない。

まだヴェルのことも知らない。

まだ話していたい。


空気の流れの変化を感じてか、エリスがキッチンから戻ってくる。


「もうお帰りになるんですか」

「ふむ。こんな時間まで世話になった」


服の裾を掴んだまま、イーラはヴェルの横から離れようとしない。


「ねぇ、もっとお話聞きたい!」

「これ、イーラや」


とがめられてもその手を離さない。

ついっとエリスはヴェルに視線を戻す。


「…ヴェル様はこの後はどちらへ向かわれるのですか?」

「目的地は決めておらぬが、しばしこの街を見て回ろうと思っている」


すかさず


「ねえ、ばあば。ヴェルは家に泊まったらダメなの?」


これはエリスも気にしているらしく。


「ヴェル様や。もしお宿がなければ、この街にいらっしゃる間家におられても」


だからこの家は温かいのだ。


「ありがとう。心遣いはとても嬉しいが、あまり清い身ではない故、気持ちだけ頂戴する」

「そうですか」


ヴェルの物言いにくすりと笑い。


「相変わらず大袈裟おおげさな方さね」


退くのも優しさ。

ヴェルはほとほとこの家族が気に入った。


「ねえ、ヴェル。またお話に来てくれる?」


相変わらず裾をちょんちょんと引っ張りながらイーラはせがむ。

自分の訴えが叶わないことを悟った控えめな自己主張に。


「約束しよう」


律儀に応える。

約束は守らねばならない。

いつの時においても。


いつになるかもわからない小さな約束に。

イーラは飛び上がって喜んだ。


「やったー!」

「ふふ。イーラや、よかったわね」


うんうん!


満足している様子でイーラはヴェルを見上げる。

もう裾は掴んでいない。

不思議と信じられる、ヴェルという人を。


イーラが安心したのを確認すると、ヴェルは少しかがみながら家の扉を中から外へ潜る。


「では、私はこれで。イーラも、また」

「うん!ヴェル、また絶対、ぜーーったい遊びに来てね!」


ぜーったい、と小さな身を縮こまらせるイーラに再度約束を重ねる。


「うむ、約束しよう。…では、失礼する」


出会いあれば別れがある。

ヴェルはこれを何度も繰り返してきた。


今は旅人。


踵を返し、歩き始める。

後ろから、何度も何度も


「約束だよー!絶対だよー!」


と声がする。

振り返れば、きっとイーラが両手を振っていることであろう。

そしてその手を取れば旅を止めてしまいそうなほど。

なぜだか愛しく思える。


一人葛藤かっとうを収めながら歩くヴェル。

声が徐々に小さくなる。


そして、とうとう聞こえなくなった。


歩き続けた。

無為むいな旅だった。

それでも求めるのか。

空虚くうきょな心にひびくもの。

先ほどの家族のようなものを。


「ロクシーよ。旅に出ると不思議なこともある」


足音だけが一つ、一つと広がっていく。

温かな家から一つ、一つと離れていく。


「君とよく似た家族を見かけた」


どれほど歩いただろうか。

無意識に向かっていたのは。


街の中心。

昨日の喧騒が嘘のように静まり返り、うたげの後の休息を過ごしている。

静かな通りを歩きながら、一人の旅人に想いがつのる。

風が、少し冷たい。


「いや、あれは君を求めるあまり私の心が見せたまやかしか」


ふうと、息を一つ吐く。


あの家で厄介になっている時間は、なんとも君と共にいた時のようななつかしさを感じた。


ロクシー。

君も最期くらいは家族の元へかえりたかっただろうに。


何度想いを寄せても、帰ってこない。

過去。

過ぎ去りしあの時。


一層溜息が深くなる。


傾いた太陽が街路樹がいろじゅの影を長くする。

溶けていった吐息は、夕暮れの空に立ち上る。

焼けた色の空。

明日の天気を占うかのような。


ふと足元に目を落とす。

ただでさえ長いヴェルの影は道幅いっぱいほどもある。

影が伸びた先は、路地の片隅。


視線をそちらへ移せば、うずくまる一人の女性。

見れば、自分と同じように何度も溜息をついているではないか。


「どうされたのだ、婦人よ」

「ふぁ!?何!?」


急に現れた旅人に女性は驚き、顔を上げる。

そこには大男。


「すまぬ、突然声をかけてしまった」


声をかけてから考える。

なぜ、自分が声をかけたのか。

先程まで世話になっていた家族にあてられたのか。


「私はヴェルという。旅人だ。歩いていたら婦人がうれいているのが気になってな」

「あ、あなたには関係のないことよ…」


疲れ混じりの拒絶きょぜつ


「そうだ、関係ない」


肯定こうていし、


「話してみよ」


と続く。


拒絶きょぜつ肯定こうていしてなお引き下がらないヴェルに、女性はいぶかしげな瞳を向ける。


「怪しい人じゃ、ないよね?」

「難しいな。自分でもなぜ声をかけたのか、不思議に思っている」


女性は更に驚きを連ねる。


ぽかーん。


次には大きな声で笑い始める。

忙しい女性だ。


「あっはっは!…あー、おかしな人ね。まあ、いっか。どうせ暇だし」


女性は気が済むまで笑った後、とつとつと語り始める。

ヴェルも女性の傍で静かに耳を傾ける。


「領主様の兵士をしている恋人を待っているの。

彼がって主人に報告した『脱走魔族奴隷だっそうまぞくどれい』っていうの?

それが街から森に向かうのを見かけた人がいるって。

聞いた主人が怒って、捕まえてこーいって彼に言ったのよ。

今日は彼の誕生日なのに…。

私、お祝いするために、お昼からここで待ってるのよ。

何時になるかわからないし…。」


ここまで聞いて。


「ふむ」


どこかで出会ったような。

ならば、手を出さざるを得ない。


彼が見つかるわけにもいかぬ。

それに何より。


「この私が、その件はあずかろう。ここで待っていると良い」

「へ!?なに?ちょっと!?」


話を聞いたかと思えば、預かられた。

女性は訳の分からない成り行きに戸惑うしかない。


急がねばならない。

きっとその貴族兵が今、手掛かりを求めて向かっているはずだ。


足早にヴェルは元来た道を急ぐ。

心遣いを断ったその日に伺うことになるとは。

何とも言えない。


そんなことも言ってられぬ、か。


「やめて!ばあばに手を出さないでーー!!」


――ドクン。


本来ヴェルが感じるはずのない気配が一瞬で街を包む。

目的へ向かうヴェルの足が早まる。




「おいおい、ちょっと胸ぐらを掴んだくらいで取り乱すなよ、ちびっこ」

「やめて!!ばあばにひどいことしないで!!」

「っち、わかったわかった。離すから騒ぐな」


右腕にしがみついたイーラを振りほどき、貴族兵は少女から目を背ける。

放たれたエリスは息を荒くする。


ほんの一瞬、貴族兵はイーラの赤い瞳の奥に、

ただならぬ深淵しんえん垣間かいま見た。

生きるもの全てに触れてはならぬとうったえるような。


「ばあば!」

「大丈夫さね」


心配するイーラに向けても気丈に振舞う。

荷を下ろした右腕の状態を確かめるように振るいながら、きっちりとした身なりの兵士がエリスに困ったような、鋭い視線を向ける。


昨日、路地に放り投げた魔族は確かに死を目の前にしていた。

今ここにいる貴族兵たち三人とも、それを確認している。


気を取り直した兵士がエリスに問う。


「ばあさん、魔族がどこに行ったか教えてくれませんかね」


そう遠くには行けないはず。

ならば、ここでかくまっていてもおかしくはない。

貴族兵のうちの一人の視線は入り口の奥の方へ進んでいく。


「本当に、私は知りません。確かに家で一晩休まれましたが…」

「いや、やつは死にかけていたんだ。信じられるか。一晩で起きれるとは思えないんだよ」


目視できる奥には探している魔族の姿はない。

だが、魔族を家に泊める者の言葉など、信じられない。


「嘘をついても為にならんぞ。薬じゃそんなことはできないし、魔法なんて使おうものなら魔素検知器が反応して警報が鳴るだろうが」


貴族兵が言う通り、街の各所には魔法を使う時に生まれる魔素を探知する計器が設置されていた。

魔の者をのさばらせておくわけにはいかない。


さあ、どうなんだ。


更に詰め寄る貴族兵の耳に。


けたたましいサイレンの音が飛び込んでくる。

甲高い音。

街中のそれがこの辺りを起点として伝播でんぱするように、だ。


「何事だ!どうなっている!」


貴族兵が誰ともなく説明を求めるが、サイレンは鳴りやまない。

サイレンの音に驚き、辺りを見回すイーラ。

これが鳴るということは。

魔族が魔素まそを放ったということ。

襲撃しゅうげきということも考えられる。

しかも、街中のサイレンが鳴り響くほどの。


「おい、お前ら。緊急事態だ。

奴隷のことは後だ。今は家の中に入っておけ。おそらくはこの辺りが発信源はっしんげんだ」


サイレンが鳴った時は、家にこもりサイレンが鳴りやむまで家の外に出ないこと。

この街に住む者だったら知っている。

それを促しながら、貴族兵はふと一人の少女にその目を向ける。


一瞬だが畏怖いふを感じるほど深い赤を放つオッドアイ。

確か、この娘が腕に絡み付いてしばらくして、サイレンがなったか。

とすると…


「…いいえ、大丈夫でございます」


貴族兵の思考をさえぎるエリスの言葉。

エリスは落ち着いていた。

けたたましいサイレンの中で。


「私が半魔はんまでございます」

「え!?」


驚いたのは貴族兵とイーラ。

サイレンが響く。


「つい感情の高ぶりを抑えきれず魔素を放ってしまいましたが、サイレンの音で心が落ち着きました」


じきにサイレンも止むでしょう。


宣言して前を見据えたエリスは、貴族兵に続ける。


「すみませんでした」


「…」

くるうり。


じっとりと、貴族兵の視線が街並みを流してエリスを刺す。

エリスはりんとしていた。


その間、数秒。

何に納得したか、貴族兵はエリスに。


「あんた、半魔はんまの登録は?」

「していませんでした」


今の世界、街に住まう者で魔族の血が混じっている者は

全て届け出なければならない。

反乱分子の卵を一人たりとも逃さないように。

身元を明言していなければこの街に住まうことは許されない。


「そうか。では、無断居住むだんきょじゅうの罪で刑にかけさせてもらう」


いいのか?


貴族兵の無言の警告けいこくにもエリスは動じず短く答えた。


「かまいません」

「ばあば!」


エリスにしがみつくイーラ。

それを優しく抱き止め、エリスは金の髪をゆったりと撫でる。


「挨拶くらいは見逃してやる」


言って後ろに身体を向ける貴族兵。

隊長の所作しょさに、他の二人も見習う。


「イーラ。ご飯の作り方はわかるかい?」

「待って、ばあば!今のは…!」


続く言葉の意味をさとってエリスはイーラを抱きしめて、その耳に囁く。


「しっ、だめよ。あなたが捕まったら、悲しむ人がたっくさんいるの」


そう、たくさん。

何より、イーラを閉じ込めてしまうなどエリスには耐えられなかった。


「でも!だからって…ばあば!」

「お願いだから聞き分けて頂戴」


抱きしめる手を強くする。

エリスの想いそのままに。


生きてきた、私は十分に。


でもイーラにはまだまだ先がある。

悲しみの未来であってほしくない。

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