7章 王の気

「おい、そろそろいいか?脱走奴隷だっそうどれいを見つけなきゃいけないし、あんたにも聞きたいことがあるんだ」


貴族兵が後ろ向きのまま問うてきた。

表情は見えないが、軽い苛立いらだちを感じる。


と。


空から人影が降り立つ。

大きな影。

数刻前別れたばかりの。


「すまぬ、一足遅れた」


「ヴェル様」

「ヴェル!」


見知った名を呼ぶと、貴族兵が振り返る。

そこには大男。

今の今まで、どこにもいなかったはずなのに。

家の奥を目視で捜索そうさくしても見当たらなかったのに。


「うお!?あんた誰だよ!」

「ふむ。守り人よ、私はヴェルという。友人が世話になった。いろいろあるが・・・ふむ。事態は急がねばならぬ」


驚く貴族兵を一目見て、次に視線を動かす。

エリスへ。


「そなたは半魔はんまではない」


言われ、戸惑とまどうエリス。

続けて貴族兵へと視線を移す。


「そして守り人よ、そなたの恋人が帰りを待っておった」

「…は?」


事を急ぐ。

イーラへとヴェルの視線が移ろう。


「最後にイーラよ、空を見るのだ」


これにはイーラだけではない、その場にいた全員が夕暮れの赤みを帯びた空に注意を向ける。

一同、抱く思いは同じ。


「なんじゃありゃあ」


代表して貴族兵。


暗雲くらくもに長く、長く伸びる赤い影。

夕焼けよりも赤く。

まるで炎のような。


「…龍…」


エリスが的を得た解をもたらす。


「魔王の気には、当てられた魔の者の姿を大きく変える力がある。空を舞う一匹の魔鳥まちょうさえ。」


言ったヴェルの眼差しはイーラへと注がれていた。


「イーラは、長くとどめすぎたのだ。そして、私はイーラの素質に気づかなかった」

「私が…?」


龍の燃えるような瞳が、この街を見ている。

何者かを探すように。

探るように。


そして、それが。

ついに見つけた。


長い尾を上空へ向け、するりと旋回。

光る目を向けこちらを目指してくるのがわかる。


「ま、待て!あいつ街に!」

「主人を救おうとしておるのだろう」


焦る貴族兵たち。


広がる翼は人のいかほど分からないほど。

そのあぎとは、どれほどの人を砕くことができるのか。

犠牲が生まれるのは明らか。


「お前たち!外にいる者を全て屋内へ退避させろ!急げ!」


言った彼、一番偉いのであろう貴族兵が、後ろに控えていた二人に指示を飛ばす。

それでも太刀打ちできるか。

生唾を飲もうとしても喉を通らない。


「待て、守り人よ」


人民を守るため駆けだそうとした貴族兵らを止めたのは。

他ならぬヴェルであった。

その声はいささかかも慌てた様子がない。


「私が預かる」

「お、おい!人一人で勝てる相手じゃ…!」


言うが早いか、貴族兵が止めるのも聞かずにヴェルは龍を見据えて大地を蹴る。

常人を逸した跳躍力。

空を飛んだというに相応しい。


上空で龍がヴェルのことを敵だと捕らえたのか。

急停止。

睨みつける。


それでもヴェルは空を走る風と同じく涼やかな顔をしていた。

すっ、と龍に手を伸ばし。

首についっと触れる。


「すまない。そなたもこの姿になりたくて、なったわけではなかろうに。今戻してやる」


龍が一声鳴いた。

高く、長く。

悲しい響きだった。


望んでいなかったのか。

誰も気づけなかった。


「そなたの主人は私が預かろう。安心すると良い」


龍がちらりと固唾をのんで見つめているイーラを見た。

それから、ヴェルに瞳を向ける。

小さくいななくく。

どこか安らいでいるような。


瞬きをした龍の瞳が穏やかさを含むと。


するする。


その姿を変えていく。

いや、戻っていく。


夕空と同じ、燃えるような羽色をした一羽の鳥へと。


すりっ。


鳥がヴェルの手に一度擦り寄ったように見えた。

錯覚だったのかはわからない。

問いただすべき鳥が飛び去ってしまったからだ。


ヴェルは一人上空で、皆は大地からその飛び去る鳥を見送った。

夕焼けが夕闇に変わろうとしている空。


「どうなってるんだ、こりゃ…」


鳥が見えなくなってから、ヴェルは大地へと降り立つ。

イーラたちが見守っていたところへ戻ってくるなり。


「ヴェル!!」


飛びついてくるイーラ。

その頬は興奮のためか薔薇色に紅潮こうちょうしていた。


「すまぬ、心配をかけた」

「ううん!かっこよかった!」


ぼんやりと事の成り行きを見守っていた貴族兵もその声に現実へと引き戻され。

戻ってきたヴェルへ刮目かつもくする。


その瞳には畏怖いふが、込められていた。


「かっこよかった、か。して守り人よ」


向けられた畏怖の対象の持つ眼差し。

射貫かれたように姿勢を正す。


「はいい!」

「かしこまらずともよい」


ヴェルは貴族兵に声をかけていく。


「奴隷を探しているのだったな?」


それでもかしこまる貴族兵。


「そ、そうです!」


これには少しばかり困った様子で、ヴェルはその手の内にある物をもてあそぶ。

奴隷の代わりくらいにはなるだろう。


「奴隷は返せぬ」


きっぱりと言い放つ。

貴族兵は落胆してみせる。

この男が後ろにいる以上、奴隷を取り返すことは困難を、いや不可能であろう。


「しかし、これでそなたの主人を納得させることはできるか?」


これ、と取り出された品に貴族兵はどよめく。

手のひらに収まるくらいの、しかしそのきらきは間違いのない先程まみえた龍の色。


「一枚だけ拝借した」


首に手をやった時であろうか。

放り投げられた鱗はきらきを残しながら、貴族兵の元へ。

不意だったためか、貴族兵はよろめきながら、しかし取りこぼすことなく鱗を手にする。


「うおっとっと」


鱗を天に掲げると、炎の色をしたそれが夕闇に染まりつつある空にくっきりと浮かぶ。

その輝きは正に。


「本物だ…」


滅多にお目にかかることのない輝きに、貴族兵たちの目が奪われる。


「いくらかは知らぬ。だが高価だと聞く。受け取ると良い」

「あ、ありがとうございます!」


奴隷よりも高価なものであることは推測がつく。

これがあれば主人は納得してくれるかもしれぬ。

後ろ盾が強力であるのにこうすることもあるまい。


「それと、恋人が待っておる。急ぐことだ」


先ほども感じたが、どうしてそれを。

一瞬だけ、そのような表情を見せたが、不思議とこの男の言うことは信じられた。


確かに今日約束はしていたのだ。

彼女であれば待っているだろう。


貴族兵はそれぞれで頷き合うと、ヴェルへ向けて礼を述べて足早に去っていく。



それを見送り。


ぶらぶら。


まだイーラはヴェルにしがみついたままであった。


「さて、イーラよ。そろそろ降りてはくれぬか」

「ヴェルってすごいのね!今の何ー!なんで!?龍はなんだったの?龍がちっちゃくなったのは何なの?」


ぶらぶらぶらぶら。


しがみついたままイーラ。

瞳には、好・奇・心、と刻まれているかのよう。


「これこれ、イーラや。ヴェル様が困ってるさね」


一息ついたエリスが二人の元へやってくる。


ぴょんと降り立つイーラを手助けしてから、ヴェルは改めてエリスへ向き直った。

どことなく疲れた表情をしたエリスを見て。


「ふむ。ご苦労であった」


その言葉に、深くため息をついた後。

「ええ、全く・・・。とりあえず家に入りましょうか。ヴェル様もどうぞ」


暗くなり始めた屋外から温かな家に導かれ、

ヴェルは訪れることがないだろうと思っていたドアを再び潜ることになる。

出ていった時と同じ、ふんわりとしたコーヒーの香りがそこにはあった。

今日もヴェルが泊っていくことになるのをイーラは手放しで喜び、

ヴェルの周りをくるくる回りながら家に入る。


おっとまりー、おっとまりー。今日もヴェルがお泊りだー。


作詞作曲、イーラ。

彼女ならではの明るさを、今日はなお強く感じた。



-------------------


ヴェルさんがかっこいい話です!

魔王様はいつも冷静で強いのです!


と・・・世界観を壊さない程度に

思いのたけを書きました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る