わたしのいるべき場所

藤光

わたしのいるべき場所

 ソロデビューはしないのですかと聞かれるたびに、ええとか、まあとか、返事をはぐらからしてばかりいるうちに、それが習慣になってしまった。いまのわたしは何者なのだろう?


 もう、アイドルじゃない。

 グループから卒業し、アイドルをやめたいと言ったとき、事務所の社長から目をむいて怒られた。


「お前にアイドル以外、なにができるというんだ」


 漫画家になりますというと、今度は腹を抱えて笑われた。


「そんなものなれるわけがない」と。


 同じことを聞かされたグループのメンバーたちはみんな驚いて、くちぐちに、「えー、そうなの?」「いつからそんなことしてたの?」「すごいじゃない!」「応援するね」などといってくれたけれど、本心からそういっているとは思えなかったし、だれからもグループに残るよう引き留められはしなかった。


 彼女たちは残酷だけれど正直だ。

 でも、わたしはその正直さに、ほっとしていた。

 ここはわたしのいるべき場所ではなかったから。


 教室の片隅でひとりマンガを読んでいる子どもだった。

 マンガを読んで、描いていればしあわせだった。


 中学に上がると、クラスメイトたちが、ファッションやかっこいい男の子の話に花を咲かせるようになっていたことは知っていたけれど、わたしとは関係ない別の世界のことだと思っていた。わたしの現実リアルは、ここにはなくて、マンガのなかにあると感じていた。


 それが変わってしまった。

 友達のひとりにアイドルオタクの女の子がいた。小さいころからアイドルにあこがれていて、じぶんもアイドルになるんだと、いつもいっていた。中学三年生のある日、彼女が親に内緒でアイドルグループのオーディションを受けるので、付いてきてほしいと頼まれた。


 気が進まなかったけれど、何人かしかいないオタク友達の頼みだったし、そうしたオーディションというものに多少興味のあったわたしが、彼女に付いていくと、事務所の社長は友達がオーディションを受けている陰で、わたしに声をかけてきた。いわゆるスカウトというやつだ。


「アイドルになってみない?」


 社長は女の子の気分を良くする天才だった。

 わたしも、いままでそんなふうに評価されてこなかったから、社長の申し出に舞い上がってしまった。アイドルには興味なかったのだけれど、「また、来ます」と約束して帰ってきた。そして、わたしのいままでとは違う人生がはじまった。


 わたしは友達をひとり失った。

 そして、失ったものは友達だけではなかった。


 これはほんとうに意外なことだったのだけれど、わたしの参加したアイドルグループは人気が出た。学生生活の余った時間に参加できるよと、聞かされていたわたしは、その約束とはうらはらに目の回るような忙しい毎日を送ることとなった。せっかく進学した高校も、半年でやめてしまわなければならないほどに。


「もっとレッスンに参加してよ」


 グループのほかのメンバーは、わたしとはまったく違っていて、小さいころからアイドルになることを目標にがんばってきた女の子ばかりだった。彼女たちの目には、いまひとつアイドル活動に身の入らないわたしが、とても歯がゆく映ったことだろうと思う。


「いまはグループのことだけ考えて」


 自然、マンガは描かなくなってしまった。

 わたしの大切なものが、わたしのなかから消去されてしまったように感じた。

 そんな空虚を抱えながら、わたしは毎日ステージへ上り、ファンに笑顔を振りまかなければならなかった。偽りの笑顔を――。


 わたしの心のうちとはうらはらに、グループの人気はうなぎのぼりに上がっていった。テレビにライブに、わたちしたちはつぎつぎと大きなコンサートを成功させてゆき、ついには武道館での単独ライブを開催するまでになった。武道館での公演開催は、音楽に携わるものとして大きな節目、ひとつの到達点だ。メンバーやスタッフの熱気はすさまじかった。


「もうだめ」


 武道館のステージの上で、ファンの熱気と歓声に包まれながら、わたしはじぶんの気持ちが限界まで追い詰められているのを感じた。


「わたしにはできない」


 この日、ステージの上では流したことのない涙が、わたしの頬を伝った。

 メンバーもわたしと同じように泣いていた。もっともそれは、武道館公演を成功させた感激に涙を流していたのだけれど。




 わたしのグループ卒業は、それなりに芸能ニュースの話題となった。


 ――人気絶頂のアイドル、突然の卒業発表!

 ――原因はメンバーとの確執か、事務所は否定。


 多少グループのイメージは悪くなったかもしれない。社長が心配したのはこれなんだなと、あとで芸能ニュースの記事を見て苦笑いした。根も葉もない記事とはいいきれない。


 「ソロデビューはしないの?」


 漫画家としてゼロからのスタート――というわけでもなかった。

 グループは卒業したけれど、ソロ活動を続けてアイドルや女優として活躍する人もいる。それなりに名のとおったアイドルグループのレギュラーメンバーだったわたしには、ほかの漫画家志望の人たちにはない知名度があった。


 マンガ雑誌にわたしの作品を掲載する話は、とんとん拍子で進んだ。アイドルを卒業して3か月後には、わたしのデビュー作が大手出版社のマンガ雑誌に掲載された。わたしは有頂天だった。漫画家デビューするという、子どものころからの夢がひとつ叶ったのだ。アイドル時代には感じたことのない達成感でいっぱいだった。


 ほんの1か月のあいだだけ。


 雑誌の読者アンケートで、わたしの作品は最下位だった。

 出版社のもくろみとは違って、雑誌の読者は、わたしが人気アイドルだったということだけで、わたしの作品を評価することはなかったということだ。


 正当な評価だった。

 わたしの作品マンガが、プロとしてやっていくレベルにないということを、読者が教えてくれたのだ。ただし、正当な評価だからといって、わたしが傷つかないわけではない。


 乗り気なくやっていたアイドル活動できびしい評価をもらっても、「これは好きでやってるわけじゃないから」と言い訳できた。でも、いまは本当にやりたいこととしてマンガを描いている。わたしはじぶんに対して言い訳ができなくなっていた。


 わたしは甘えていた。アイドルが好きじゃないことを言い訳に、アイドル活動に一生懸命に取り組むことを避けていた。厳しい評価が突きつけられたときに「わたしがやりたいわけじゃない」と逃げ道を作っておくために。


 パフォーマンスにダメ出しされて、一緒に悔しがることのできない仲間がグループにいることにメリットなどあるだろうか。ひたむきにアイドル活動に打ち込んできたグループのメンバーには、わたしの心底などお見通しだったのに違いない。


 漫画家としてのわたしには、なんの言い訳も用意されていなかった。


 とても恥ずかしい。わたしはとても恥ずかしいことをしてまった。




「ソロデビューはしないの?」


 打ち合わせで、マンガ雑誌の編集者からそう聞かれるのが憂鬱だった。ええとか。まあとか。適当な返事をしているうちに、それが習慣になってしまった。


 わたしは何者なんだ?


 ソロデビューしないのかなんて言われるということは、編集者から漫画家として見られていないという証拠だ。いくつか描いてダメだったら、またアイドルをすればいいんだろと、言われているのと同じだった。わたしは漫画家でないことはもちろん、アイドルでもなかった。


 情けなかった。


 漫画家には向いていない。

 アイドルはやめてしまった。

 いまさら高校に戻れる年齢でもない――。

 

 だれも居場所を用意してくれはしない。

 

 ある日、自宅で発表するあてもないマンガのネームを考えながら、テレビを見ていると、わたしが卒業したグループが歌番組に出演していた。数か月前までわたしが歌っていたパートを見たことのない女の子が歌っていた。


 わたしの抜けたレギュラーメンバーの席を、オーディションで勝ち取った高校生の女の子だった。テレビの画面越しではあっても、彼女がいま一生懸命がんばっていることは伝わってきた。


 応援したくなった。

 彼女がわたしの分までがんばってくれているように思えて胸が熱くなった。彼女とわたしは同じだ――。 


 居場所を探しているのだ。


 わたしはマンガを描き続けよう。それがわたしにとって本当に楽しいことだと、人生をかけるべきことだと思い続けられるから。こんど、編集者から「ソロデビューしないのですか」と言われるようなことがあるのなら、必ずこう言おう。


「いいえ。わたしは漫画家ですから」と。


 そう。じぶんの居場所は、じぶんで見つけなければならないから。

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わたしのいるべき場所 藤光 @gigan_280614

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