(35)
「ベネディクト先輩、奪っちゃってもいいですか?」
「――え? なんて?」
レンはボケたわけではなかったし、わざとそういうトボけた反応をしたわけでもなかった。ただ本気でキャメロンの言ったセリフがすぐには理解できなかっただけの話である。レンは勉強はできるが、頭の回転が凄まじく速いとかそういうことはないので。
しかしキャメロンはそうとは受け取らなかったようだ。一瞬だけ不機嫌そうにくりくりとした目を細く平たくしたかと思うと、今度はレンを頭のてっぺんから爪先まで見て勝ち誇ったような顔になる。くるくる表情が変わる子だなあ、などとレンはのん気に考える。
キャメロンはいつもふわふわとした笑顔を浮かべているイメージがある。少なくともレンの中ではそうだ。どこかおどおどとした雰囲気もある、可憐で儚い微笑を口元に湛え、笑うときは「うふふ」である。間違ってもレンは「うふふ」などと笑えない。そんなことをした日にはアレックスにからかわれるどころか、頭の中を心配されるだろう。
だがレンを前にしたキャメロンは実に表情豊かだった。美少女はあくどい顔をしても似合うなとレンは思った。己がすれば、きっと変質者のような気持ち悪さが生まれそうだとも思う。キャメロンはつくづく絵になる少女だ。
「……で、なんて?」
「余裕ぶってもムダですよ」
「別に余裕ぶってるつもりはないんだけど……」
「ベネディクト先輩はレンさんにひと目惚れしてハーレムに入ったそうですけど……そんな一過性の感情、長くは続かないですよ」
「え? あ、ああ、うん……そうかもね」
レンは「そう言えば表向きはそういうことになっているんだった」と思い出したので、とっさのことで微妙な返答をしてしまう。それがキャメロンの気に障ったらしい。レンに相手にされていないと感じたのかもしれない。いずれにせよ、レンの身の入っていない声はキャメロンの神経を逆なでしたようだ。
「やっぱりレンさんってベネディクト先輩のこと狙ってたんですか?」
「……そんな事実はないよ」
「でもお、ベネディクト先輩が襲われたところを助けたって、出来すぎじゃないですか?」
「タイミングは良かったね」
「それってえ、ストーカーしてたって認めてるんですか? アッ、わたしはそんなことは思ってないんですけど……先輩に聞いて……」
レンはキャメロンより背が高いので、キャメロンは自然と上目遣いになる。糸目のレンとが違う、大きな瞳をうるうると無駄に潤ませてレンを見上げている。そして高く甘ったるい猫撫で声……。これは同性のウケはすこぶる悪いだろうなあと、レンは珍しくがらんとしている女子寮の談話室で、物思いにふける。
そう、今レンはキャメロンと寮の談話室にふたりきりだった。そして他の寮生はなにかを察しているのか、談話室にくる気配がない。みなキャメロンとかかわり合いになりたくないのだろう。ここのところの女子寮にはそういう空気がありありとあった。
「レンがベネディクトのストーカーだった」という噂話を当然のようにレンも知っている。引く手あまたのベネディクトをハーレムに入れた弊害として、そういった根も葉もない悪い噂が回っているのもわかっている。けれどもレンはその噂があまりに荒唐無稽すぎたのでさほど気にしてはいなかった。レンと親しい生徒はだれひとりとしてそんな噂を信じていなかったこともある。
キャメロンは「先輩に聞いて」などとのたまったものの、それがどれほど真実なのかは怪しいとレンは思った。架空の「先輩」のせいにしてレンの猜疑心や疑心暗鬼を引き起こそうとしている可能性もある。「ベネディクト先輩、奪っちゃってもいいですか?」などと宣言されたあとであれば、なおさら。
しかしレンはキャメロンの棘を隠した――実際にはあまり隠せているとは言いがたいが――物言いにも、淡々と返す。
「そういう噂はあるね。でもただの噂だよ」
「でもお、火のないところに煙は立たないっていいますし。もしレンさんがベネディクト先輩に恩を売って縛りつけてるんだったらベネディクト先輩が可哀想です!」
「……ハーレムにはベネディクト先輩から入れて欲しいって持ちかけられたんだよ」
「それは……一時の感情に流されただけじゃないですかあ? だってえ、ベネディクト先輩、わたしのことすごく熱い目で見てくるんです」
吹かすなあ、とレンはキャメロンの物言いに悪い意味で舌を巻いた。しかしもしかしたらキャメロンはベネディクトから本当に熱い目で見られていると勘違いしているのかもしれない、という可能性に気づいてレンはちょっとゾッとした。もしそうならベネディクト以上に思い込みが激しいということになる。そうだとすれば厄介だ。
もちろんレンはベネディクトがキャメロンのことを熱い目で見ていた、だなんて言は信じていない。先日見かけたときのベネディクトは冷めた目でキャメロンを見ていたからだ。ベネディクトは自身の美貌に自覚的であったから、同じく美しさで鳴らしているキャメロンの容姿には特に惹かれないのかもしれない、とレンは思った。
レンなどはキャメロンの容貌をうらやましく思ったりするが、イケメンの自覚があるアレックスとベネディクトにはあまりそういう感情は伝わっていないようだ。
「アレックスくんもたまたまレンさんを
などとアレックスのことも考えていたことを見透かされたのかと、レンは一瞬ドキリと心臓を跳ねさせる。しかしもちろんキャメロンはエスパーなどではないので、単なる偶然だ。
しかし「同情で付き合っている」という言葉はレンの心に刺さった。恐らくそこだけは事実だ。アレックスは罪悪感から、貴重な女として男子生徒に迫られるレンを守ろうと奮闘してくれている。レンとしては気にしないでいて欲しいのだが、アレックスとしてはそうもいかないらしい。アレックスは今も律儀にレンのハーレムメンバーとして振る舞っているのだから。
「それで、なんて言いたいの?」
心に感じた痛みを無視して、レンはキャメロンに次の言葉を促す。キャメロンはあざとく可愛く微笑む。キャメロンはこういう表情がサマになる、美少女だった。レンとは真逆の。
「わたし、ベネディクト先輩とアレックスくん奪っちゃいますね♡」
それはキャメロンからすれば宣戦布告だったのだろう。しかしレンには渡りに船だった。
――これは、逆ハーレム解体のチャンスでは……? テキトーに言い訳してふたりを解放すれば、私は「ざまぁ」される女の特徴を減らせる……。これだ!!!
口を閉ざしたレンを、キャメロンはニヤニヤといやらしい顔で見る。まさかレンの脳内がそんな斜め上にかっ飛んでいるとは知らず……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。