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 もしものときのために学歴はあったほうがいい、と言ったのは学長のほうからだ。その言葉にはレンも同意見だった。それにレンはこの世界のことをなにひとつ知らない。学長が口にしたカーヴァリオンがどういう国なのかとか、スヴォン大陸はどこにあるのかとか、そういうことをレンは一切知らないのだ。そんな状況では仮に働きに出ようにもじき困ったことになるのは目に見えている。


「ひとまず当校に籍を置くということでどうかしら」


 レンは己が持つ知識がどれほどこの世界で役に立つのかわからなかったため、学長の言葉に「お願いします」と答えた。レンは大学生であるので、もしこの異世界が己のいた世界とそう変わりがなければ、ハイスクールであるというフリートウッド校の授業にはついていけるはずである。


「でも私は魔力がない……つまり、魔法は使えないんですよね?」

「魔力があることと、魔法の才があることは別なの。人間はみな魔力を持って生まれてくるけれど、それを利用して魔法を扱えるかどうかは努力や運次第、といったところね」

「そうなんですか……」

「ええ。当校には普通科と魔法科があるから、レンには普通科に通ってもらうことになるわ」


 魔法がある世界だが、だれもがみな魔法を扱えるというわけではないらしい。そのことにレンは少しほっとした。己ひとりこの世界で魔法が使えないとあれば、困ることも多かろうと思っていたからだ。


 学長によればフリートウッド校の魔法科は魔法の才がある一五歳から一八歳までの生徒が大陸中から集まる、いわゆる名門校に属する学校らしい。魔法科が設けられている学校としてはこの世界では有名なようだ。


 普通科は魔法が使えない生徒が通う。魔法科が大陸各地から生徒が入ってくるのに対し、普通科は主にフリートウッド校が学び舎を構える地元・グレーウッドに住まう人間が通っているとのことだった。もともとは魔法学校として開校したが、グレーウッドが栄えるにつれて普通科が開設された歴史があるという。


「もちろん、学費は免除。生活費もこちらで負担します」


 レンは至れり尽くせりな学長の対応にちょっと気後れしてしまう。自己評価が大して高いわけではないレンは、己が丁重に扱われるべき人間だという認識は薄い。しかし拉致同然に異世界へやってきてしまったことを思うと、学長の態度にも納得は行く。悪意があっての行いでないとはいえ、過失はこの学校の側にあるのだ。


 そのことを思い出し、またこの世界に寄る辺のないレンは学長の至れり尽くせりな対応をありがたく受け入れることにする。


 それに仮に学校へ通うという選択肢を取らなかったとすれば――時間を持て余すのは目に見えていた。元の世界へ帰る方法を探そうにもレンは魔法はからきしなのだ。帰還という一点に関してだけ言えば、己の知識が役に立つ場面がまったくイメージできない。それらは学長に任せるべきだろう。


 となればやはりフリートウッド校に籍を置かせてもらい、この世界について学ぶのが建設的な行動に思える。レンは勉強することは苦にならないタイプだ。むしろ、新しい知識――それも異世界の――がタダで得られるなんて僥倖だと思う性質である。


 それにこの学校にいればなにかの拍子にまた元の世界へと戻ることが出来るかもしれない。可能性としては低そうに思えたが、まったくあり得ないとも言い切れない気がした。そうなればやはりますますフリートウッド校へ通う、一択だなとレンは結論付ける。


「住む場所は――」

「当校の敷地内に学生寮があるから、そちらへ入ってもらうことになるわ。レンには一年生として通ってもらうつもりだから、恐らく大部屋になると思うのだけれど、いいかしら?」

「もちろんです。雨風しのげるならどこへでも」


 フリートウッド校は基本的に全寮制。男子寮が六つに、女子寮がひとつあるのだと言う。女子生徒が極端に少ないことにレンは疑問を持ったが、もしかしたら元男子校だとか、そういう理由なのだろうなと勝手に判じた。あるいは女子寮だけめちゃくちゃ大きな建物だとか。とにかくそのときのレンは疑問を感じつつも学長に問うたりはしなかった。


 そして寮で割り当てられる部屋は一年生は六人から四人の大部屋、二年生はふたり部屋、三年生は個室が与えられるのが通例だと言う。兄弟のいないレンは家族とですら私室を共有していた記憶がなく、そして赤の他人と共同生活を送った経験もない。大丈夫だろうか、と少しだけ不安になったが、まあ「案ずるより産むが易し」の精神で行こうと早々に気持ちを切り替える。


 せっかくの魔法がある異世界での新生活。不安にばかり気を取られるより、楽しいことを探して行こう。レンの感情はそんな感じだった。


「俺TUEEE」が出来そうな気配がないのは残念だが、筋金入りのオタクなのでやはりどうしても「異世界」と聞くと心が躍ってしまう。今のところ学長の手厚い保護のお陰で金銭や衣食住の心配をしなくてもいいのだし、どうせなら楽しみたい。こういうのは楽しんだもん勝ちだろう、とレンは考えていた。


 レンは基本的にお気楽だった。能天気とも言い換えられる。そういうわけだったので、レンがすぐさまホームシックにかかる気配は皆無であった。


 色々とフリートウッド校について聞かされていると、突如鐘の音が鳴り響いた。正確にはスピーカーから流れ出たのは録音した鐘の音だ。


「あら、もうこんな時間」


 学長は壁掛け時計を見て「丁度いいわ」と言う。


「今日の授業もすべて終わったことだし、入学の正式な手続きは明日することにして、あとは寮に案内するわ。今なら生徒たちもすぐには帰寮してはこないから、案内するには丁度いいわ」


 フリートウッド校の生徒は授業が終わった放課後は思い思いの時間を過ごす。たいてい、クラブ活動やサークル活動に邁進するので、授業終わりの鐘が鳴ってもすぐさま寮に戻る生徒は少数派だと言う。それでももちろん寮に帰ってくる生徒はいるとのことだが、大抵はまだ入る部やサークルを決めかねている一年生だということだ。


 学長が優雅に立ち上がったのを見て、レンも腰を上げる。悠然とした足取りの学長のあとを、レンはカルガモのヒナのようについて校舎を出た。


 振り返れば――詳しい建築様式は知らないが――ゴシック建築に似た壮麗な学び舎が背後にそびえ立っているのが見える。天井が高いのは大昔に建てられたからだろうか。これからここで勉強が出来るのだと思うと、ファンタジー映画の世界にでも飛び込んだような気分になってレンはワクワクする。


 レンが着ているぶかぶかのアノラックパーカーの、余った部分がつむじ風に吹き上げられる。思ったよりも寒い。それは学長も同様のようで、「もういつの間にか寒い季節ね。早く行きましょうか」と言ってレンを促す。レンはそれにうなずくことで答えて、動かす足を速めた。


 そしてレンが連れてこられたのは――男子寮だった。

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