(5)

 一八〇センチメートルを超える長身に、痩せぎすの体。胸は「絶壁」という言葉を用いるのに相応しい貧相さ。身に着けているのはセールで買ったがゆえにぶかぶかのアノラックパーカーと、細身のジーンズ。……加えてレンの声は女性らしい高さがほとんどない、ハスキーボイスだった。


 レンは、今まで散々男に間違われてきた。屈辱とまではいかないにしてもちょっとした寂寥感を覚えるていどには男に間違われて生きてきた。だから学長が勘違いをしたという事実に気づいたときも、怒りの感情は湧きはしなかった。


 ただ、レンは己の見た目に女性らしい特徴がないことはよくよく知っていたので、自らの性別をわざわざ主張することには一種の気恥ずかしさを覚える。もしもこんな状況でなければ、男と勘違いさせたまま過ごすということすらしていただろう。


 しかし寮だ。男と女でわざわざわけられている住居空間だ。気恥ずかしいからという理由で男子寮に素知らぬフリをして入るわけには行かない。レンは意を決して、男子寮の寮監を探す学長の背中に声をかけた。


「あの……私、女です」


 レンは散々悩んで「わかりにくかったかもしれませんが」という言葉を飲み込んだ。自らの正確な性別をわざわざ告げる。いつだって居心地が悪くイヤな時間だ。内心で冷や汗をだらだらとかくレンを前に、頭ひとつぶんは背の低い学長は「あら」と声を出した。


「あらあら、ごめんなさいね……わたくしもまだまだ見る目がないこと」

「イエ、イインデス。ヨクマチガエラレマスカラ」


 緊張からレンの言葉は不自然なカタコトになる。それを聞いた学長は申し訳なさそうな顔をしたが、それは一瞬だけのことだった。すぐにその表情は珍しいものを見たという顔になる。レンはそんな学長の反応に、己はそんなに男っぽいのだろうか……と思い悩む。


 特段、レンは男ぶったりはしたことはない。けれども振る舞いは優雅さがなく粗雑な自覚があったし、言葉遣いだって女らしい柔らかさとは無縁だと思っている。しかしそんなことはレンのいた世界の、日本人女性であれば、別に珍しいというほどのものでもない。……この異世界ではどうだかは知らないが。


 しかし貴婦人を体現したかのような学長を前にすると、もしかしたらこの異世界ではレンの言動は男と判じられても仕方のないことなのやもしれない――。……とまでレンは一足飛びに考えるが、学長の表情の真の理由はそんな妄想とは別のところにあった。


「その格好はわざとなのかしら?」

「え? いえ……わざとというか、これが普通というか、自然体というか……」


 レンは学長の質問の意図をイマイチ読めず、しどろもどろな物言いになる。「わざと」というのはどういう意味なのだろうか? 男と取られたくてこういう格好をしていると誤解されているのだろうか? レンの頭をそんな予測が目まぐるしく渦を巻く。


 しかしレンがそんな疑問を口にするより先に、学長はある可能性に思い当たり、双方に誤解が生じていることを看破した。


「重ね重ねごめんなさいね。レンは異世界人だものね。この世界とは異なる世界の人間……。言葉が通じるし言動にも不自然な点は感じられないから、ついつい忘れてしまっていたわ」

「あ、はい。それで……この格好は特に男を装うことを意図しているわけではなく……私の普段着、とは言っておきます」


 学長のダークスーツを見れば、レンのいた世界とこの異世界で服装の許容範囲に大きな違いはなさそうである。あのとき実践室のプレートがかかった大部屋にいた少年たちの服も、レンが知る学生服と大きな差は感じられなかった。となるとレンが身に着けているアノラックパーカーがなにかしら問題を引き起こしている、というわけではなさそうである。


 そして学長はようやく双方に誤解が生じていることを告げた。


「わたくしが驚いたのはレンが女性だったこと……と言うとまた誤解が生じそうね。――あのね、レン。女性であるあなたにはしっかりと聞いて、覚えていて欲しいのだけれど……この世界では女性の数のほうが男性よりもひどく――少ないのよ」


 大いなる秘密を打ち明けるような声で、学長はそう言った。レンは学長から言われたことをすぐに理解し、だから己が女であったことに学長が驚いたのかと合点する。そしてフリートウッド校では男子寮が六つあるのに対し、女子寮がひとつしか存在しない理由もようやく察した。あの実践室でレンを取り囲んでいた生徒たちが、いずれも少年ばかりだった理由も。


「つまり……女は珍しい存在だというわけです、よね」

「ええそうよ。そしてレン。あなたも女性ならわかるでしょうけれど、その状態はとても、ひどく危険なの。人類全てが善人ではないように、男性がおしなべてみな紳士ではないことはレンにもわかるでしょう」

「ええ、はい。それは、もちろん」

「……もちろん、ほとんどの男性は恥知らずな真似はしないわ。当校に通う生徒も、フリートウッドのエンブレムに恥じるような真似はしないものと信じたい。けれども可能性の問題として、レンには気をつけて欲しいのよ」


 学長のくりくりとした大きな瞳が不安に揺れる。レンは――そんなに心配するべきことなのだろうかとのん気に考えていた。


 レンは今までほとんど女扱いされたことはない。かつては「男みたい」と言われるたびに、男だと勘違いされるたびに密かに傷ついていたが、今ではほとんど開き直れている。男ぶることはなかったが、ことさら女ぶったこともない。さすがに大学生になって薄化粧はするようになったが、それでも男だと勘違いする人間は後を絶たなかった。


 そういうわけでレンは己の女性性を欲される、という状況を上手く想像できなかった。いくら男女比が偏っており、いくら男が女に飢えており、いくら多感な思春期の少年が通う学校に放り込まれても、己が求愛される図などまったく描けなかったわけである。


 けれども学長が心配する以上、「大丈夫です」などと気軽に言えることもできず、レンは曖昧なうなずきで誤魔化す。学長はそんなレンの胸中を見抜いたのか、心配そうな表情を崩すことはなかった。その気まずさに耐えられなかったのはレンのほうで、矛先をそらすべく心中に湧いた疑問を口にする。


「あの……この学校にも女の子はいるわけですよね?」

「ええ。当校は共学ですから」

「その女の子たちは普段はどうしているんですか? ……集団行動必須、とか?」


 それだったらカンベンして欲しいなあとレンは思った。


 身を守るためという理由はわかるが、レンはそういういかにも「女子っぽい」行動はしたことがないし、なんだったら苦手意識すら持っていた。トイレまで一緒に行動するなんてことは、レンの意識からすればちょっと遠慮したいことなのである。……この世界では恐らくそんなことは言っていられないだろう、ということも一応理解してはいたが。


 しかし学長の返答はレンの予測の斜め上をかっ飛んで行った。


「女子生徒はむしろ同性同士で行動することはありませんね」

「え……。それってちょっと危なくないですか?」

「そんなことはありませんよ。常にハーレムの成員がそばにいて、彼女たちを守ってくれますからね」

「ハー……レム……?」


 レンは己の思考が急ブレーキをベタ踏みした音を聞いた。

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