(2)

 まもなく生徒に連れられてやってきたのは、恰幅と品のよい、貴婦人といった風貌の女性だった。グレーの髪をシニョンにして、ピッタリとしたサイズのダークスーツに身を包んでいる。ぷっくりとした頬に瞳は大きくキラキラと輝いて見えたが、今はそこに戸惑いがあって多少なりともくすんでしまっている。


「あらあらまあまあ」


 そう言いながら貴婦人は座り込んだままのレンの前までくると、「よいしょ」と言って膝を折る。そして高そうな指輪がたくさんはまった手でレンの枝のような指を取った。


「事情は聞きました。大変なことになってしまってごめんなさい。学長として謝罪いたします」

「あ……イエ、その……」


 事情を聞いていないレンは、自らが置かれた状況がわからず、学長を名乗る貴婦人の謝罪にどう答えるべきかわからなかった。そして曖昧なままうなずくと、人懐こそうな顔をした学長はこちらを安心させるように微笑んで軽く首肯する。


「ひとまず、ここから出ましょう」


 幼子のように――否、今のレンは幼子も同然だった――学長に手を引かれてレンはようやく立ち上がる。周囲を囲む少年たち――ここは学校で、彼らは生徒なのだろうとレンは確信した――の視線がちくちくと刺さるが、今のレンにはどうすることもできない。


 学長が年嵩の男性――恐らく教師だ――と話し込んでいるあいだに、手持無沙汰に視線を巡らせれば少年たちはびっくりしたようにまた目を丸くしたり、あるいはサッと視線をそらす。その中にあって、年嵩の男性に「ハートネット」と呼ばれていた赤髪の少年だけが、ひどく気まずげにこちらを見ていた。


「お待たせしてごめんなさいね。さあ、行きましょう」

「あ、はい……」


 学長が戻ってきたので、視線をそちらへと戻す。特にすることもなければ、するべき主張もわからないレンは、学長に促されるまま部屋を出る。そのときに頭上へ視線をやれば、見たことのない文字で「実践室」と書かれているのが。そこへきて、レンのようやくできた脳内の余白はひとつの推測を弾き出す。


 ――これ、もしかして「異世界召喚」とか「異世界転移」って呼ばれるやつか?


 文字もわかれば言葉も通じる。しかし、文字は見たことがないしなぜ会話によって意思疎通が取れているのか、レンにはさっぱりわからない。なにせ耳に入ってくる言葉は、いずれも聞き慣れないものですべてが構成されている。それにもかかわらず、レンにはそれらが


 それだけでも異常事態が起こっていることがわかる。


 学長はコーカソイドのような肌の色をしていたが、年嵩の男性は中東系の風貌だった。少年たちの肌の色も様々で、レンの知識ではここが地球上に存在する場なのかどうなのかわからなかった。しかし、異世界だと言われればしっくりくるような気はする。見慣れない文字も、あの床にあった魔法陣も。


 そしてレンの推測は残念ながら的中する。



 今度は「学長室」と書かれたプレートが下がる部屋へレンは足を踏み入れる。学長の持つ雰囲気と同じ、品のいい執務室といった室内には、お高そうな革張りのソファセットが鎮座している。


「どうぞお掛けになって」

「あ、はい……それでは失礼して……」


 学長の対面に腰を落ち着ければ、彼女はすぐさま困ったように眉を下げる。


「このたびは我が校の生徒が大変な失礼を……。学長として改めて謝罪します」

「あ、えーっと……ここ、学校なんですね……」

「そうでしたわ。そこから話すべきでしたわね。ええ、ここはカーヴァリオンにあるフリートウッドハイスクールといいますの。わたくしはここの学長を務めるザラ・フリートウッドと言います」

「カーヴァリオン……」

「その御様子ですと、ずいぶんと遠いところからばれてしまったようね。スヴォン大陸? それともセント・アリシア?」


 遠いどころか遠すぎる。遠いも遠い――異世界からきたのだ。とレンは確信するに至った。


 カーヴァリオンなんて国名は寡聞にして聞いたことがない。スヴォン大陸なんてものは地球上には存在しないし、セント・アリシアに至っては大陸名なのか国名なのかあるいはそれ以外のなんらかなのかすらわからない。わからないことが多すぎる。


 レンは学長にどう切り出すべきか悩んだ。「異世界からきたんですよ~あはは~」と言って、そんな物言いが通じるのかどうかわからなかった。


 しかし先ほどの「実践室」で見た魔法陣のようなものから推測するに、この世界には魔法がある可能性があった。となればライトノベルなんかで見るような「異世界召喚」がある可能性もある。


 推測からさらに推測するトンデモ理論だったが、いつまでも異世界人であるという事実を黙っているわけにもいかない。この優しげな学長が「元の場所に戻してあげます」と提案してくれたとしても、ここが異世界だとすれば同じ世界の中にレンの帰る場所など存在しないからだ。


 レンは意を決して口を開く。考えはまだまとまっていなかったが、長引かせるのも得策ではないと判断した。


「えー……フリートウッド、さん」

「はい」

「その……私って帰れるんでしょうか? たとえば――異世界人だとしても?」


 学長の瞳がかすかに揺れて、見開かれたのを見たレンは、直感的にイヤな予感に支配された。

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